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対馬藩主宗家墓所 対馬市厳原町西里 |

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対馬藩主宗家墓所 対馬市厳原町西里 |
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中世の対馬では、荘園制度の発展はみられなかった]が、鎌倉幕府は国ごとに守護を置き、対馬国守護職は少弐氏(武藤氏)にあたえられた。
12世紀には、のちの宗氏の始祖となる惟宗(これむね)氏が対馬に入部している。
惟宗氏は、もと大宰府の官人であったが、筑前国の宗像郡から対馬へ向かったとされる。
史料で惟宗氏の名が対馬の在庁官人として確認される初見は、建久7年(1196年)である。惟宗氏(宗氏)は、少弐氏の守護代として次第に対馬で勢力をのばし、武士化していった。
従来対馬で勢力を保っていた阿比留(あびる)氏は、当時国交を結んでいな高麗との交易をおこなっていた。
大宰府はこれを詰問したが、阿比留氏が従わなかったため、1246年(寛元4年)、大宰府の命により惟宗重尚(これむねしげひさ)が、鶏知を中心に強い勢力を持っていた阿比留在庁(平太郎)を征討して対馬の支配権を確立した。
2012/10/11(木) 午前 5:35 [ 底質汚染 ]
対馬藩主宗家墓所
国指定史跡昭和60年2月18日対馬市厳原町西里
金石城跡
国指定史跡平成7年3月28日対馬市厳原町今屋敷
寺の名は「万松院」と呼び、対馬市民にはこの名で親しまれている。
初代藩主宗義智は元和元年(1615)、正月3日に金石城で逝去した。墓は中世風で正方形の基壇に宝篋印塔が建っている。
対照的に2代義成、3代義真の墓が夫人の墓とともに格別に大きいのは、朝鮮貿易が好況で藩政が興隆期であったことを反映している。
「上御霊屋」は歴代藩主と夫人、「中御霊屋」は側室と童子、下段は一族及び分家(初代)の墓所になっている。
「百雁木」と呼ばれる石段(132段)が「上御霊屋」まで続く。万松院は元禄4年(1691)、享保11年(1726)と2度火災に合っているため本堂は再建されたが、山門だけは創建当初の桃山様式を残す貴重な木造建築物である。
2012/10/14(日) 午後 1:46 [ 環境歴史観光防災カメラマン ]
ありがとうございます。
2012/10/14(日) 午後 9:55