みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

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長崎の風景・史跡 (県 北)

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                    対馬藩お船江跡  対馬市厳原町久田

 厳原港から県道24号線により豆酘方面に南下する。厳原港のすぐ次の入り江が久田浦で、久田川の河口に「対馬藩お船江跡」がある。
 県道から海岸に新しく架かった「お船江大橋」が見えるので、下って行って橋の中間の階段を利用し久田川の川岸へ降りると、そこに史跡説明板が設置されているそうである。
 まだ町中に史跡案内板が整備されてなく、船着場がほとんどわからなかった。
 最後の写真は、久田浦の南はずれで見た海岸の井戸。
 長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

                      対馬藩お船江跡  県指定史跡

  指定年月日 昭和44年4月21日  所在地 下県郡厳原町大字久田字白子4−1
  所有者 長 美嘉
 厳原港の南、久田浦に注ぐ久田川河口に構築された人工の入江に4基の突堤と、5つの船渠がある。対馬藩お船江の跡である。寛文3年(1663)の築造で、築堤の石積みは当時の原形を保ち、往時の壮大な規模を窺うことができる。
 江戸時代、水辺の各藩はいずれも藩船を格納する施設を設けていたが、これほど原状をよく遺存している所は、他に例がない。日本近世史上、貴重な遺構である。

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「お船江跡」は厳原湾の南側の久田川河口に対馬藩時代に藩船が係留されていた場所で「お船屋」とも言われていました。
4列の石積みの突堤が残っており寛文3年(1663)の造成と推測されています。
突堤は鏡石を配した石積みで造られ、原形を良好にとどめています。正門、倉庫、休息所などの建物の遺構も残っており、往時の壮大な規模をうかがうことができます。そして、陸上には造船場があり、船大工や水夫たちの納屋があったといいます。

対馬藩は江戸期鎖国下にあった時代も日朝外交史上大きな役割を果たしました。その対馬藩の一つの象徴ともいえる遺跡です。

2012/10/14(日) 午前 6:44 [ 高砂のPCB汚泥の盛立地浄化 ]


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