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古写真に残る石橋風景 (7)矢上の番所橋 |

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古写真に残る石橋風景 (7)矢上の番所橋 |
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この古い写真、すごいすてきですね!絵に描きたいです。
2008/10/28(火) 午後 10:35
古写真の石橋は「輪橋の形は、やや形としては変形をしている。破損した橋の材を用いて修復された跡が見られる」とあるとおり、アーチがいびつな形をした珍しい橋ですね。上流側から下流の河口の景色を写しているようです。この辺りは東望の浜も埋め立てられ、現在では一変しています。
そうそう、さいたまの姫は、絵も習っておられた。
2008/10/29(水) 午前 0:01
伊能忠敬さんが1812年に測量した時に、すでに目鑑橋が架かっていたそうですが、説明板ではその26年後の1838年に架橋されたというのでは変ですよね。
これは永島正一さんの『長崎街道』に記載されていたものと同じ間違いでは?
以前、長崎県立図書館に『佐賀藩 諫早家 日新記』という古文書がありましたが、そこには由来などが書かれていないのでしょうか。
2009/5/31(日) 午後 10:47 [ sat*mo*a*emo2*08 ]
あくまでも幕末のことですが、幕末に描かれた鍋島藩の絵地図では番所のような広場が番所橋から100mちょっと先の右側に描かれています。そのすぐ右先にはお茶屋(現在の自動車教習所)へ行く道が描かれていて、現存するようです。
その先、左の矢上小学校が庄屋跡です。
2009/5/31(日) 午後 11:26 [ sat*mo*a*emo2*08 ]
貴重なご指摘に感謝します。地元の郷土資料や現地説明板をそのまま掲げていますので、関係先へは伝えたいと思います。今後ともご教示をよろしくお願いします。本来の腹切坂の基盤石も確認に行き、写真を追加しました。
2009/6/1(月) 午前 1:37
腹切坂の供養塔の基礎石の写真ありがとうございます。
番所のことですが、再度幕末の矢上村絵地図を拡大して見ましたら、確かに長崎側から番所橋を渡るとすぐ左に『御番所』、右に『御高札』と文字が書かれていました。ですから私の昨日の番所の記述は誤っていました。スミマセン。
しかし、その文字の部分には見取り図のような広場は無く、取調べをしたのは昨日の私の記述の場所かもしれません
2009/6/1(月) 午前 10:45 [ sat*mo*a*emo2*08 ]
最近、矢上小学校の所に「本陣と脇本陣」のさるく説明板が設置され、長崎歴史文化博物館所蔵の矢上村地図があります。参考のため番所橋付近の拡大した図を最後に追加しました。
2009/6/1(月) 午前 11:19