みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

長崎県の石橋

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           旧街道宿場「波佐見宿」の水路と石造橋  東彼杵郡波佐見町

 波佐見町折敷瀬郷の”飛瀬の水路橋”については、前項において昨年の河川改修工事によって煉瓦造アーチの1橋が壊され、新たに下流に石造アーチの1橋が見つかったことを載せた。
 ところで、この水路である。川棚川(以下「波佐見川」とする)の川岸平野を縦横に這い、2つの橋の水路が続いているのか、取り入れ口がどこなのか、すぐには確認できなかった。
 2つの水路橋の下の小川は、延宝6年(1678)築造とされる飛瀬上・中・下の各堤からの流れであろう。水路はこの上を橋により渡っている。
 高度を考えると、近くに今ある本流の井堰から引いたものでないようだ。上流の「横枕橋」よりまだ上のようであり、横の谷間の支流からとも考えられる。

 新しく見つかった水路橋の下流側は簡単である。水路は波佐見川沿いに護岸の上を約600m流れ、県道1号線の鹿山橋へ出た。清酒「六十餘洲」の今里酒造前である。酒造用水かと思ったが、そうでもない。
 県道及び同工場下をくぐり、波佐見中生徒会の手づくり説明板のとおり、往昔から街道宿場「波佐見宿」の町並みを網羅した大事な水路となっていた。

 波佐見地方は、県下でも溜池の多い地域として知られている。治水工事や新田開発は、藩政時代になって頂点に達した。大村郷村記によると「内海の宿の辺、古戦場にて往昔は萱池ヶ原とて曠々たる野原」であった。
 領主の積極的な奨励と、農民の経営規模を拡げようとする努力によって、井出の普請、波佐見川の本流、支流からの用水路、溜池の築堤、補修ができていった。それにつれて新田が開発され、村の石高は増加したのである。
 いま見られる波佐見平野の美田は、溜池、井出の築造年から文化−文政期(1804−1829)に完成したことが知られるそうである。

 水路や水路橋の手がかりに調べた波佐見町「波佐見町史(上巻)」昭和55年第二版360〜374頁の記述は、上記のとおり。「大村史談」にも掲載は見当たらないようである。
 旧街道宿場の重要な水となった水路と水路橋について、地元の関係者が解明を進めてもらえないだろうか。
 波佐見の中心街や鹿山神社周辺で見た主な石造橋なども写した。旧「わたや」久保田邸の庭園池の橋は見事であった。

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ここは、河童のミイラが有るところじゃ無かったでしょうか?

2009/2/7(土) 午前 9:52 パソ親父

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河童のミイラが展示してある造り酒屋は、伊万里市の「松浦一酒造」でしょう。この手はカワウソやサルの骨が多いらしいです。波佐見の水神社には「河童の爪かき石」があるそうです。

2009/2/7(土) 午前 10:35 みさき/michito


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