みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

長崎の風景・史跡 (市北西)

[ リスト ]

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

                   釛山恵美須神社  長崎市飽の浦町

 バス停は「飽の浦神社前」下車。菱重興産ビルの裏となる。この神社が「釛山(こがねやま)恵美須神社」である。「恵美須町」の町名の由来になった恵美須様を、江戸初期に恵美須町から移して祀られた。
 神社の前は海で、有名な「恵美須波止」があり、「金島(こがねじま)」という島があった。明治の初め、長崎製鉄所(現在の三菱重工(株)長崎造船所)の建設によって、姿を消した。
 神社へ行くと平成21年1月、380年祭を記念して立派な説明板が設置されていた。
 2006年江越先生作成資料「女神大橋周辺巡り」による神社の説明は次のとおり。

                          恵美須神社

 寛永10年(1633)に小柳五郎左衛門という人物が、恵美須町の恵美須様を移して祀ったもので、浦上村渕でただ1つの神社(江戸時代、渕神社は万福寺といい弁天様を祀っていた)として信仰された。当時は神社の前はすぐ海で、海中に石灯籠が立っていたが、埋め立てられた折に取り払われた。また、沖にあったこがね島は、一時期刑場であったらしく伊藤小左衛門も処刑されたといわれる。
 五箇所商人建立石灯籠  この神社が五箇所の商人の援助を受けていたことを示している。
 渕村役場建築費寄付人名の石碑  神社のとなりに明治31年10月まで渕村役場があったが、境内に役場の建築費を寄付した人々の名前を彫った石碑が立っている。目に付くのは、岩崎弥太郎の嗣子で明治29年に三菱3代目を受け継いだ久弥が百円を寄付して筆頭者になっていることである。

閉じる コメント(2)

顔アイコン

通さるくのマニアコースで行きました。
この横の道、パソ親父が小学生だった頃に、三菱だった親父の帰りを
母親と待った場所でした。 毎日の様にお迎えに行ってましたよ。

2009/4/16(木) 午後 10:24 パソ親父

顔アイコン

可愛いかった小学生姿が浮かびますね。ウフフッ。私は薄汚れた格好で毎日、給食を楽しみに飽浦小へ神社前を通っていました。だから、この神社を紹介しておきたいのです。

2009/4/16(木) 午後 11:26 みさき/michito


.
みさき/michito
みさき/michito
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事