みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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                    曽木発電所遺構  伊佐市大口曽木

 「曽木の滝」ついては、前の記事にしているので参照。曽木の滝公園下側(滝からすると上部落下点 前記事写真5)に曽木発電所用の導水口があり、岩をくりぬいた導水路の隧道跡がある。
 曽木発電所跡は曽木の滝の1.5km下流にあり、鶴田ダムへの県道404号鶴田大口線により下って行くと、対岸側から発電所跡のレンガ造建物を眺められる展望台がある。

 なお、県道整備のため滝のすぐ下流側に「曽木大橋」を架橋工事中で、大きな橋脚を築いていた。伊佐市HP「いさ(伊佐)市」観光地案内などによる説明は次のとおり

                   曽木発電所遺構  (伊佐市大口曽木)

 曽木の滝の1.5キロメートル下流に、今でも明治の面影を強く残している曽木発電所跡があります。曽木発電所は明治42年に竣工し、その出力は当時国内でも最大級のもので、水俣のチッソなどにも送電を行っていました。
 昭和40年に鶴田ダムの完成とともに水没することになりましたが、現在では渇水期の5〜9月頃に中世のヨーロッパの居城跡を思わせるレンガ造りの建物が姿をあらわします。その時期以外は大鶴湖の湖底に沈み、存在をも忘れさせます。また、周辺にはヘッドタンクやずい道跡なども残っており、土木遺産として貴重なものとなっています。

 創設者は野口遵で、牛尾大口金山に電力を供給するために明治42年に曽木の滝の水力を利用する電気事業を起こしました。当時としては大規模な800キロワットの電力を作りだし、余剰電力を使い水俣ではカーバイト生産を開始。後に、戦前における日本最大の化学会社へと発展したことから、この発電所は日本化学工場発祥の地といわれています。

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いや〜,ホントに岩をくりぬいたトンネルですね。これはかなり作るのが大変だったのではないでしょうか。
渇水の時だけあらわれる,なんだか幻のような遺構ですね。魅力的です。

2009/11/7(土) 午後 10:05 [ 713 ] 返信する

期間限定で見れるなんて素敵ですねp(^-^)q


パソコン調子悪いので携帯から伺いましたがやっぱり大きい画面で画像見たかったな

2009/11/8(日) 午前 0:22 [ けいこ ] 返信する

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あら、こんばんわ。久し振りでうれしいね。パソコン良くなってゆっくり見てください。中世の城は私が実際写してきた写真です。これから甑島の絶景にかかります。
茂木の昔の話も古写真に出てきました。読んでくださいね。

2009/11/8(日) 午前 0:43 みさき/michito 返信する

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おお〜!行かれたんですね!上から3〜5枚目の写真の隧道は初めてみました。よくその場所が分かりましたね!
発電所跡の遺構はまだ水没していなくて、良かったですね。思ったよりキレイな感じがしませんでしたか?クリーニングをしたからでしょうか?気になります。

2009/11/8(日) 午後 4:35 hsnm下町おやじ 返信する

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岩盤の導水路隧道は、曽木の滝公園内の清水神社すぐ下からくりぬいてあり、遊歩道の案内板がありました。その先が大橋橋脚の工事中で、行き止まりとなっていました。発電所跡は、県道を下って対岸からうまい具合に見えました。

2009/11/8(日) 午後 6:06 みさき/michito 返信する

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すごいトンネルですね

2009/11/8(日) 午後 10:23 パソ親父 返信する

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滝の観光客はほとんど行きません。トンネルの中が遊歩道となっており、ゆっくり散歩できます。写真写りも良かったでしょう。

2009/11/8(日) 午後 11:56 みさき/michito 返信する

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北朝鮮の国章にあるダムや送電線は、日本統治時代に、北朝鮮のコウナンで東洋一の化学コンビナートを建設のため、日本窒素肥料株式会社の子会社朝鮮窒素肥料が全額負担し、東京芝浦電気が製造した発電機や日本の建設会社が建設した水豊ダムです。

その発電機のいくつかは、ロシアが盗んで今でも使っています。

チッソは化学だけでなく発電も一流の技術を有していました。

2012/7/25(水) 午前 7:16 [ アジアや世界の歴史や環境を学ぶ ] 返信する

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日本窒素の野口は水俣工場、延岡工場を拡張しながら、更に朝鮮でも大規模硫安製造業の建設を行った。

1925年6月、蓋馬高原の鴨緑江支流の赴戦江に20万kWの発電所を建設した。
1926年に朝鮮水電株式会社、1927年には、朝鮮窒素肥料株式会社が設立された。
1933年には長津江、1937年には虚川江の電源開発に着手、合計12箇所の発電所で87万kWの電源を確保した。

これら蓋馬高原に建設したダムによる大電力を利用して、ダム群の日本海側にあたる咸鏡南道咸興郡には興南、永安、本宮の3工場が建設された。
これらの工場では主に合成アンモニアを原料にした硫安、硫燐安などの肥料が製造されたが、他にも油脂、石炭低温乾留、アルカリ、カーバイド、火薬、金属精錬など多角的な化学工業が展開された。

興南地区には、朝鮮窒素肥料など10社を超える子会社、関連会社が設立され、面積は1980万m2、従業員は4万5千人、家族を含めた総人口は18万人に達していた。
設備能力では水電解設備は世界第1位、硫安は年産能力50万tで世界第3位と、世界屈指の化学コンビナートに成長した。

2012/8/18(土) 午前 2:53 [ 建設環境は震災復興 ] 返信する

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