みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

江戸期のみさき道 (地図研究集)

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                   江戸期の「みさき道」推定ルート図

 文久元年(1861)4月3日から4日にかけて、仲間3人で1泊2日の御崎観音に詣でた長崎医学伝習所生、関寛斎『長崎在学日記』(北海道陸別町同資料館所蔵)による当時の「みさき道」推定ルート図は、上の地図のとおり。
 日記原本の写しは、みさき道歩会の研究レポート第1、2集に収録している。長崎市立図書館、地区公民館、長崎県立図書館などで借りられる。

 江戸期の「みさき道」推定ルート図は、次の記事などとともに参照。本ブログで地図をどの記事に載せているのかわかりにくかったから、書庫に「地図」を新設、地図だけここに再掲する。
  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/11620684.html
 地図はズーム拡大。主要地点や現存道塚などの解説をしている。図3は参考。

  図1  江戸期の「みさき道」推定ルート図  (十人町ー蚊焼間)
        平成17年5月29日修正  三和史談会、みさき道歩会

  図2  江戸期の「みさき道」推定ルート図  (蚊 焼ー脇岬間)
        平成17年5月29日修正  三和史談会、みさき道歩会

  図3  長崎半島東回りコースの主要地名と推定ルート図

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こんばんは 書き込みありがとうございました。
みさき道人さんのブログは大変参考になります。
御崎道もちゃんと歩いてみたいです。
母が言うには、昔長崎から野母崎に行くには船か山越えだった。
山越えには追いはぎがでていた。と言っていました。
きっと寂しい道だったのでしょうね。
黒浜〜高浜へは海が迫った崖地なので、昔は山道が一般的だったのでしょうね。

あちこちの昔道をみさき道人さんがたの標識を頼りに歩いてみたいと思っています。
これからもよろしくお願いします。

2011/12/18(日) 午後 9:08 [ そよかぜ ]

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そよかぜさんは、趣味多彩、文も楽しいです。私は山屋の観点から疑問を感じ、「江戸期のみさき道」を実証的に研究してみました。
まだ間違いも多いと思います。お母さんの話を良く聞いて参考になることがありましたら教えてください。こちらこそよろしく。

2011/12/19(月) 午前 0:18 みさき/michito

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みさき道の「追いはぎ」の話は、草住町の杠葉病院下の岩場で聞いています。土井首の人は、鹿尾川を渡り大山祇神社から、この病院を越した山道が、「殿様道(みさき道)」と言います。川の河口沿いにちゃんとした街道が古地図にあり、私はなぜ高巻きをしたのか、疑問です。両方の道を通っても、「追いはぎ」の岩場は通ります。一昔前の街道か、殿様が領地検分のため、高台から眺めたことは考えられます。

2011/12/19(月) 午前 2:47 みさき/michito


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