みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

長崎要塞地帯標・軍港境域標

[ リスト ]

イメージ 1

イメージ 2

                     陸軍省標石探しと新聞報道

 陸軍省要塞地帯標や海軍省軍港境域標の標石探しと、研究をされている佐世保市高橋輝吉氏から寄せられた資料である。
 最近の新規発見は少なくなり、本文はこれまでの所感をまとめられているようである。以下、2記事も続く。各資料や写真は、すでに以前の記事に載せているので参照。

               高橋 輝吉氏稿   陸軍省標石探しと新聞報道

 佐賀県伊万里市東山代町脇野で、軍事に詳しい方に2人出会った。白い板のこと、標石刻字のことを聞いてみた。前に「佐世保要塞地帯図」や「陸軍輸送港域伊万里港域要図」を見ていましたから、青螺山へ登った。「陸軍省」の伊万里港「陸軍輸送港域第二区標」「第40号」「昭和一五年六月十日」の標石発見(写真)。
 これは前後があるなー。後日、第41号と第42号発見。黒岳に第38号があった。第39号はどこに。近くの山を全部登った。山を下るとき、白い物を見た。よくよく見ると、陸軍省第39号。国道上5m位の所に。山の上かと思っていたが、下の方でした。

 これで良しと思い、新聞各社の伊万里3支局へ。全部笑われました。伊万里は焼物と松浦党の話でいっぱいと。私は支局の方が解からず屋と思いました。年の差かなー。海軍大臣官房の本のコピーですよと言っても気付かず、それではと佐賀新聞の支局へ行きました。
 説明すると、すぐ現場へ行きましょうとなりました。2週間位しますと、佐賀新聞に大きく出ました。標石では初めてのことでした。

 この後が大変でした。伊万里や有田一帯は、昭和の標石と明治の標石が交ざった所です。昭和の標石は福島と黒川方面に、明治の標石は有田川沿いに。明治の標石では、第69号、第73号、第74号を発見しました。
 第73号を写真に撮っているとき、近くの盲人の方が、耳が目代わりだったのでしょう。「字が変わっていますか」と?。お宅は目が見えないのにと、質してみました。「いや、昔、兵隊さんが話しながら、仕事をしていました」と。

 エーッと思い、佐世保市立図書館などでいろいろな本を探してみました。佐世保史談会の本の中に、三間十郎氏「長崎要塞地帯標石の一資料について」があり、陸軍省標石について記録していました。 ( 本ブログ次を参照。 http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/40070801.html
 終戦時、柚木村役場にあった公文書が焼かれず残っていたのです。このことは、2、3人位しか知りません(軍縮2回目位後)。長崎へ資料送ります。
 伊万里港「陸軍輸送港域標」の詳細は、「http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/63572260.html


.
みさき/michito
みさき/michito
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事