みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

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長崎の風景・史跡 (市中央)

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             『先民伝』による長崎に道教の寺「崇玄観」の記録 (1)

 以下は、sat*mo*a*emo2*08氏から、2月9日メールによるご教示である。『先民伝』による長崎に道教の寺「崇玄観」の記録を、国立国会図書館デジタルコレクションから調べてくれた。
 川原慶賀「長崎眺望」図において、同氏からは金比羅山や西山方面を描いた右側1枚の続きや、私たちが慶賀が描いたと推定した地点、現弥生町の長崎女子短大背後の標高240mピークから対象の山などとの位置関係を、現在の地形図へ線引きして確認するなど、たいへん協力いただいている。

 長崎名勝図絵による「崇玄観」の編述は、本ブログ次の記事を参照。
  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/68989158.html
 「121 崇玄観  大江操軒が建てたが、廃絶歳久しく、その趾は不明である。〔長崎先民伝の操軒大江宏隆の項を引用してあるが略す〕」
 これは、文化文政期の図絵執筆当時、長崎奉行の命を承った長崎聖堂助教の儒者ら編者が、「田上に崇玄観趾はすでに不明」とはっきり記している。〔 〕書きは現代語訳著丹羽漢吉先生が、先民伝引用の掲載は略したという注釈である。

  Re: 報道センターNBCの特集

 『先民伝』について「出家とその弟子」 様が述べられていたので、私も調べてみました。テレビ画像は『先民伝』の写本のようですが、木版本が国立国会図書館にありました。
  http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2543340    コマ番号31〜32に書かれています(ズーム拡大)。以下書き下し文です。( )内は私が補いました。

大江宏隆(おおえ ひろたか)。字ハ意敬。操軒ト號ス。
(中略)
晩年自ラ道観ヲ(于)田上ニ構。鎮正ノ南在。真武廟ヲ建。修練ヲ以事ト為。享保丙午(享保11年
1726年)。高学士但賢(深見 有隣ふかみ ありちか1691年〜1773年)。字ハ松年。事ヲ奉メ崎ニ在。其観ノ顔メ崇玄ト曰。鎮台日下部博貞(くさかべ ひろさだ長崎奉行1717年〜1727年)。字ハ文如。丹波守。親テ崇玄観三字ヲ書以賜。後三年己酉(享保14年1729年)病卒。時年六十一。

 メは〆で、…にして か? いくつかの文字の読みは判りませんが、これが問題の発端の文章です。最初に「出家とその弟子」 様は、その時点で原文を読まれた上で、慶賀の絵に関する原田氏の見解に疑問を感じ、「道人」様に調査依頼として問題提起されました。
 原田氏は「鎮正の南に在り」という部分にこだわり過ぎて、真南にある丸尾神社と崇玄観を強引に結びつけておられるようです。『長崎名勝図絵』にも書かれているように、大江宏隆没後九十年を経て、志を継ぐ者も出ず、寂れて跡を留めぬこととなったと思われます。
 慶賀の絵も『長崎名勝図絵』とほぼ同時期に描かれているようなので、絵には崇玄観が存在しないはずです。

 NBCのニュースは独自取材も無く、長崎新聞記事に追随したことは明らかです。「道教の寺が長崎に!」ではなく「道教の寺が長崎に?」と断定していないところに、まだ救いがあります。
 川原慶賀の絵は稲佐山からの絵も含めて、今から190年程前の長崎を描いた正確なパノラマの絵は全国的に評価されてしかるべきと思います。

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これ以上この件で書き込みをするとみさき道人様にご迷惑かと思い、控えておりましたが...。
この放送は私も録画してみております。要旨をまとめてアップしようかとも思いましたが...余りにむなしく思え控えました。
鳥の視点が無いと見えないはずの高鉾島が描かれているから、見えないはずの”丸尾神社”が描かれてもおかしくないとか、北方守護の玄武が南の位置から奉行所を守るとか、不思議な解説が語られています。多分これからも原田氏は講演会や著書を通じてこのお話を喧伝されていくのでしょう。こうやって「歴史」が作られていくのだと今回学びました。今、神道と道教思想の接点について勉強しております。色んなことを学ぶ動機づけをしてくれた点において、原田氏に感謝したいと思います。

2014/2/10(月) 午前 1:08 [ 出家とその弟子 ]

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「みさき道」の正しいルートは、私が史実から研究し、5年間かかってみなさんへ誤解を解いてもらうよう努力していたのに、「新長崎市史」で一瞬にして砕かれ、がっくりきました。長崎大学附属図書館の幕末・明治期古写真も間違った解説が多いです。
権威に立ち向かうのは、なかなか困難でむなしくなりますが、正しいと思うことはだれかがはっきり言うべきです。長崎大学の方は実を結びつつあります。長崎学が正しい方向へ発展するよう、今後も協力をお願いします。

2014/2/10(月) 午前 10:14 みさき/michito

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今日、『先民伝』の大江 宏隆の前の部分を読んでみたのですが、神道のことが書かれています。

(神道の)卜部定親と云う者に從う(学ぶ?)。悉く奥旨(おうし)を伝わる。『神令鈔』を著す。其の神道の秘に於ける知らざる所無し。闔郷(こうきょう)祠官と雖も其の右に出る無し。晩年自ら道観を田上に構。(以下略)

したがって、「道観」は道教よりも神道の道場のようなものと考えたほうが自然に思えます。

2014/2/11(火) 午後 8:29 [ sat*mo*a*emo2*08 ]

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神道を深く学んだ大江宏隆がなぜ「道観」を作ったかは、「先民伝」記述の謎のひとつかと思います。
例えば京都にあります玄武神社のように、神道の中に道教的思想の系譜があり、大江宏隆が玄武(玄天上帝)を敬う廟を建てたとしても不思議ではないことと思われます。
それを指して、帰化人ともいわれる盧千里が「道観」と表現したのではないでしょうか?
彼が著したと言われている「神令鈔」は、多分「神令」という神道の思想書の注釈書かと思います。「神令鈔」自体は見つけることは困難なようですので、「神令」から何かヒントが得られないか調べてみたいと思います。

2014/2/11(火) 午後 11:04 [ 出家とその弟子 ]


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