みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

長崎の古写真考 2

[ リスト ]

イメージ 1

イメージ 2

      長崎の幕末・明治期古写真考 幕末明治の長崎 146P 1864年ベアト撮影の麹屋町の筋

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

 「古写真に見る幕末明治の長崎」 明石書店2014年6月刊

 146P 1864年ベアト撮影の麹屋町の筋。当時の家屋の状況がよくわかる。正面は興福寺の鐘鼓楼

  ■ 確認結果

 姫野順一氏著「古写真に見る幕末明治の長崎」が、明石書店から2014年6月発行されている。本書は、2007年から2013年まで朝日新聞長崎版に毎週1回、5年9ヵ月に亘って連載された長崎古写真の解説記事「長崎今昔」から、後半部分をテーマに沿って再編集している。
 著者の解説は、新聞掲載時から疑問が多かった。そのつど本ブログ古写真考前の記事で指摘済みで、一部は修正されているが、刊行本の内容で再び問題となる作品を取り上げる。正しい解説をお願いしたい。

 146P 1864年ベアト撮影の麹屋町の筋。当時の家屋の状況がよくわかる。正面は興福寺の鐘鼓楼
 ●麹屋町―石と木と紙の造形
 坂本龍馬が勝海舟に従い、豊後から九州を横断して長崎を訪問した1864(元治元)年の春、ベアトはこの麹屋町の筋を撮影しました。湧水に恵まれ、味噌、醤油、酒の麹を作るところから、正保年間(1644〜48)にこの町名となりました。長崎の街中を写した最古の写真として貴重です。
 背後の山は風頭。正面は興福寺の鐘鼓楼です。左上の建物は興福寺の永福庵ですが、現存しません。…

 データベースでは、目録番号:1293「興福寺開山堂と麹屋町(1)」の作品。超高精細画像の画像解説は次のとおり。
 「F.ベアトの撮影。中島川に直交する道路では当時から幅広だった今紺屋・中紺屋町(現在は麹屋町に統合)の通りから興福寺を見通したもの。背後は風頭山。正面の重層の楼閣は、文政8年(1825)に至って荒廃していた開山堂を併合した観音堂であるが、これは戦災で失われ、現在はそこに民家が建て込んでいる。その左上は境内にあった永福庵であろうが、その跡地には明治34年(1901)に鶴鳴女学校が開設され、それが大正11年(1922)に小島地区に移転後は同校の寄宿舎となり、現在に至っている。」

 この作品は、本ブログ次を参照。  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/60250231.html
 正面の重層の楼閣は、「文政8年(1825)に至って荒廃していた開山堂を併合した観音堂であるが、」とあるのに、なぜ「鐘鼓楼」となるのか。
 興福寺の「鐘鼓楼」は、同じ時期ごろF・ベアトが撮影した目録番号:3246「興福寺の鐘楼(2)」があるとおり、本堂前の庭にあるこの建物(正式名称は「鐘鼓楼」)で、現在も現存する。
 データベースに対し、変なタイトルの変更や間違った解説にすべきでないだろう。

「長崎の古写真考 2」書庫の記事一覧


.
みさき/michito
みさき/michito
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事