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能 古 島 福岡市西区能古 |
九州(福 岡 県)
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はじめまして(^^)
長崎市在住の大学生です。
以前、長崎市三山地区の兵底に関する記事を読ませていただきました。とても興味深く思い、実際自分も現地に足を運ばせていただきました。
自分も長崎の歴史に対して興味があり、主に開港以前の歴史を調べる事があります。兵底周辺の事についても詳しく知りたいと思っており、もしよかったら教えて頂けたら嬉しいです(^^)
記事の投稿と関係のないコメントで申し訳ありません。
これからも記事を楽しみにしています(^^)
2015/12/8(火) 午前 4:21 [ kobrin ]
長崎市三川町の「兵底の古墓」のことですか。わざわざ現地へありがとうございます。長崎の歴史に興味があるとはうれしいです。私ブログは各地の見聞きしたつまみ食いの記事と写真にしか過ぎません。これ以上のことは知らず、特に長崎市周辺地区の本格的な研究は、そちらでぜひお願いします。鹿児島へ旅行中だったので、遅くなり失礼しました。
2015/12/11(金) 午後 2:56
刀伊の入寇までの北東アジア情勢
926年に契丹によって渤海が滅ぼされ、さらに985年には渤海の遺民が鴨緑江流域に建てた定安国も契丹の聖宗に滅ぼされた。
当時の東北部にいた靺鞨・女真系の人々は渤海と共存・共生関係にあり、豹皮などの産品を渤海を通じて宋などに輸出していた。
10世紀前半の契丹の進出と交易相手だった渤海が消失したことで女真などが利用していた従来の交易ルートは大幅に縮小を余儀なくされ、さらに991年には契丹が鴨緑江流域に三柵を設置し、女真から宋などの西方への交易ルートが閉ざされてしまった。
女真による高麗沿岸部への襲撃が活発化するのはこの頃からである。
1005年に高麗で初めて女真による沿岸部からの海賊活動が報告されるようになり、1018年には鬱陵島にあった于山国がこれらの女真集団によって滅ぼされた。
1019年に北九州に到達・襲撃するようになったいわゆる「刀伊の入寇」に至る女真系の人々の活動は、これら10世紀から11世紀にかけて北東アジア全体の情勢の変化によってもたらされたものと考えられる。
2018/3/21(水) 午後 2:40 [ 歴史の真実を世紀ごと学ぶ ]