みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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                   宮良川のヒルギ林・宮良橋頌徳碑  石垣市宮良

 現地説明板は、次のとおり。国道390号宮良橋の橋上から「宮良川のヒルギ林」は一望できるが、橋手前右側の駐車場から下に降りると、説明板がある。

      天然記念物 宮良川のヒルギ林  昭和47年5月15日指定
「宮良川のヒルギ林」は宮良川の河口から上流の両岸1,500mにわたって発達し、その面積225haで、メヒルギ、オヒルギそしてヤエヤマヒルギなどの種類を中心としたヒルギの大群落であります。
 また、指定地内には前記の種以外にハマナツメ、カカツガユ、ヒメガマ、オキナワシャリンバイ、サルカケミカン、アダンなどもみられます。
 ヒルギ林は熱帯から台湾、沖縄を経て鹿児島県まで分布し、海岸や河口などの泥地に成林する特異的な群落です。
 本地域は石垣島の代表的なヒルギ林として指定してあります。
 なお、この地域において許可を得ることなく現状を変更し、または、保存に影響を及ぼす行為をすることは法律で禁じられています。     文 部 省・沖 縄 県

 橋を渡ったバス停のところに宮良橋「頌徳碑」がある。HP「石垣島の石碑・説明看板(郊外−1)」によると、概略は次のとおり。

      15. 宮良橋頌徳碑  宮良
 宮良川の河口付近には、17世紀中頃から交通の要として架橋が行われてきました。当初は石積みの橋で、架設に重要な役割を果たした人物として、元宮良頭職・宮良長重の名が伝えられています。その後、石積みの橋は木橋に架け替えられますが、以降、何度も災害で破壊され、その度に補修、架橋建設が繰り返されてきました。しかし、明和の大津波(1771年)で破壊された後は橋が架けられる事は無く、人々は干潮時を見計らって浅瀬を伝って渡るなど不便を余儀なくされたそうです。
 明治を迎える7年ほど前に、禁制の真宗の信徒であるとして今帰仁から無期流罪を言い渡され、石垣島に流刑され真栄里に滞在していた「仲尾次政隆」が私財を投げ打って木橋を架けました。しかし、その翌年、台風によって破壊された為、再度、私財を投じ架橋を復興させました。島人と蔵元役人は仲尾次氏の赦免請願書を王府に提出、その功績により1864年に赦免されたということです。人びとは橋の完成を喜び「宮良川節」という民謡を作り仲尾次氏を称えました。
 宮良橋が鉄筋コンクリート製になったのは昭和8年です。同工事の竣工祝賀式典は同10年に行なわれ、その際には、架橋の沿革などを刻んだ「頌徳碑」が橋畔に建立されました。
 現在の橋は、1997(平成9)年に架けられたものです。

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               とふりやの高こるせ石・津口北の端の高こるせ石  石垣市大浜

 サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによる説明は、次のとおり。国道390号沿い大浜公民館から国道をしばらく下る。右側に牧場があり、この手前の農道を奥へ進む。牧場ブロック塀のところに「とふりやの高こるせ石」がある(写真1〜7)。
 あと1つの「津口北の端の高こるせ石」は、国道をもう少し進む。右に大浜海岸展望所があり、ここから沖合を眺めると、はるか彼方の海上に見えるのが「津口北の端の高こるせ石」のようである。ズームでも良く写せなかった。国道先の橋際から海岸へ出ても、この津波石は沖合に見える(写真8〜12)。

      とふりやの高こるせ石
石垣市 (石垣島) とふりや 津波石 1771年 国天然 WEB 牧場の一角にブロック塀や石積みの延長として使用→外側からのみ見学可 明和の大地震の前後に島で起きた不思議な現象を記録した『奇妙変異記』に記載/津波大石と違い明和の大津波によるもの 3 C

 HP「石垣島・東海岸の津波石群」による説明は、次のとおり。

      高こるせ石(たかこるせいし)
 石垣島南東部の大浜(沖縄県石垣市字大浜船着原)の国道390号線に面した個人牧場と畑地の境界にある津波石です。2,000年前の先島津波でコルセ御嶽(黒石御嶽)に運ばれていた石が、1771年の明和の大津波で再び北方に約600m移動したものと考えられています。大中小の3つに分かれており、合計推定重量は約700トン。「奇妙変異記」には、元々、コルセ御嶽の中に2つの石が並んでいたものが、津波で流されてひとつが畑地(「とふりや」という所)に、もうひとつが沖合にそれぞれ移動したと記録されています。

 畑地の石は「とふりやの高こるせ石」と呼ばれ、沖合の石は「津口北の端の高こるせ石」と呼ばれています。今回指定を受けたのは、畑地の「とふりやの高こるせ石」の方です。
 この津波石は、現在、牧場のブロック塀や石積みの延長上(南側)として利用されています。塀の外側からの見学ができますが、牛がいたり農作物の栽培が行われていたりしますので注意して下さい。
 「とふりやの高こるせ石」は牧場の南端に位置しています。沖合中央にあるのが「津口北の端の高こるせ石」です。

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                           津波大石  石垣市大浜

 サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによる説明は、次のとおり。国道390号沿いの大浜公民館前へ右折し、大浜小学校の先まで行く。崎原公園の北側に「津波大石」はある。
 2枚目写真は、津波大石と関係はないが、美崎御嶽近くの「オヤケアカハチ之像」。

      津波大石 つなみうふいし
石垣市 (石垣島) 崎原公園 津波石 長径12.8m,短径10.4m,高5.9m 約2000年前 国天然 WEB 公園内/石の上に一面に木が生えている 日本最大の津波石(津波によって打ち上げられた石)/炭素14等による年代測定により約2000年前の先島津波により現在地に移動したことが判明/明和大津波では移動しなかったが回転した可能性は指摘 1 A

 HP「石垣島・東海岸の津波石群」による説明は、次のとおり。

      津波大石(つなみうふいし)
 石垣島南東部の大浜の崎原公園(沖縄県石垣市字大浜下屋敷地)にある津波大石は、長径12.8m、短径10.4m、高さ5.9mで、推定重量700トン(最近では1,000トンとも言われています)の巨大なサンゴ石灰岩の岩塊です。牧野清氏によって命名されました。表面に付着したサンゴを炭素14により年代測定した結果、この石は1771年の明和の大津波に由来するのではなく、先島津波と名付けられる約2,000年前の津波によって打ち上げられたものと考えられています。
 この津波石は、大浜公民館から海側に進んで行った所の、大浜小学校の東側にある崎原公園の北側にあります。

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                          パイナーカー  石垣市平得

 HP「石垣市内の文化財 (史跡)」による説明は、次のとおり。国道390号の平得交差点手前、沖縄県警察安全運転学校八重山分校から対面南側の市道へ入る。すぐ「パイナーカー」の史跡説明板がある。

      3−2.パイナーカー
 この井戸は、長さ約20m、40段の石段があるウリカー(降り井戸)である。ウリカーとは直接水面まで降りて水をくむ井戸のことで、琉球石灰岩の岩盤を削って作られている。
 平得村の伝承によると、年代は明らかではないが、井戸のある場所付近がナカントゥと呼ばれていた頃、ウーリヤー(宇里家)に武勇に優れた7兄弟がいて、昼間は彼らが井戸を掘り、夜は神が掘って、この井戸が完成したといわれている。
平得村の共同井戸として、一般家庭へ水道が普及されるまで大切に利用された。また、井戸の周辺からは多くの鉄滓や土器が見つかっており、パイナーカー遺跡としても知られる。 [碑文より一部抜粋]

 パイナーカーは石灰岩の岩盤を削り、斜面に40段の石段を築いて直接水際まで下りて汲むウリカー(降り井戸)です。井戸底までの急勾配の通路は約1m、長さは約20m。地表から垂直に約11mの深さで底に達します。

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                      仲道の三番アコウ  石垣市登野城

 沖縄県環境部環境再生課HP「おきなわ緑と花の広場」沖縄の名木百選による説明は、次のとおり。石垣市登野城の市街地、平真郵便局手前の国道390号とぅーばらーま記念碑五叉路交差点のところに、「仲道の三番アコウ」はある。  

      仲道の三番アコウ
 「仲道道(なかどうみち)から七けえら通うけ・・・」と歌われる八重山の代表的叙情歌 「とぅばらーま」ゆかりの地にあり、地元では「三番アコウ」と呼ばれている。
 この三番アコウの生育する登野城区には以前まで一番アコウ、二番アコウがあったが枯死し、現在は三番アコウのみが現存している。
 これらのアコウは、昔は道しるべや行商人の憩いの場として親しまれた。現在は旧暦8月に行われるとぅばらーま大会の前夜祭が樹下で開催され、歌を刻んだ歌碑が建立されている。
 地域の人に守られ、葉を約20mも広げ、大きな緑陰をつくり出している。

 認定番号  022
 認定年度  平成14年度
 樹   種  オオバアコウ
 樹   高  13m
 幹   周  5.4m
 推定樹齢  200年
 所在地   石垣市登野城636-2
 経度・緯度 24.3377008_124.171275
 所有者   石垣市
 その他   ■市指定天然記念物■ 「仲道の三番アコウ」平成3年11月3日指定

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