みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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                八郎岳天測点と大久保山子午線標の調査

 恒星を観測して経度・緯度の座標を決める天文測量に使用した天測点は、全国に48点あり、長崎八郎岳(標高589.8)には、地理調査所によって昭和33年設置された。その対となる子午線標は、天測点のほぼ真北、約4.6kmの大久保山にある。
 機器の改良によって、昭和34年以降は使われず、つかの間に役目を終えた標石となった。

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            外海地区の佐賀藩深堀領藩境石 2  寄稿 川上 正徳

 「ゆうこう」と呼ばれる柚の一種は、長崎市土井首などに昔からあった(写真下がゆうこうの実。優しい香りと筋の山があるのが特徴)が、友人川上君らの尽力により新種の果樹であることがわかり、園芸学会で認められた。
 世界スローフード協会の「味の箱舟」に登録されるよう、2006年10月イタリアトリノ世界大会に参加している。

 この果樹は、出津教会ドロ神父がもたらしたのではないかと考えられ、川上君は長崎県内や佐賀県馬渡島などキリシタンの関係地で木の分布を調べるとともに、佐賀藩深堀領の飛地が多かった外海・三重地区でその藩境と石塚の調査に取り組んでいる。

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               正月登山・大久保山  寄稿 松林 重宗

松林水彩ギャラリー別館・お遊びの部屋「低山趣味の山登り」(松林重宗ホームページから)
2006年1月4日(日)曇の記録
魚見岳の台場跡、大久保山の藩境石塚と子午線標、もう一つの古道戸町から白崎を紹介している。 

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                   多良見西川内の道路改修記念道案内標石

 多良見JR市布駅から後方川沿いの谷間車道を上流に向けて走る。西川内のバス停終点からまだ500mほど行くと、橋の手前で広い駐車場があり、車道が左右に分かれる。写真のとおりののどかな場所。無線柱の根元にこの標石がある。城跡津屋岳の山腹に長崎バイパスが見える。

 古賀町陸角氏が3年くらい前、たまたま津屋岳からこの道の方へ下ってきて見かけたという。話を聞いたとき、長崎街道などで見る藩境石と思った。平成19年2月16日陸角氏の都合がつき、森田氏の車で織田先生も誘って出かけたが、そうではなかった。場所ものどかだが、しかし、標石も苔むしてのんびりとして珍しかった。
 寸法は、21cm角、上面四角錘まで高さ170cm。右面「改修記念」、「名代」1人と「改修委員」6人の名前あり。右面「大正十二年春」。正面がふるって、上に「指差し」の絵あり「大草村 伊木力村へ上り十三丁十間」とあつた。

 「指差し」から、左右の分岐は右コンクリート道が改修道路と思われるが、最近地形図では途中から山道となって多良見普賢岳の鞍部を越す。陸角氏は地元からあと1本あったと聞いているが、まだ探しきれない。改修道路の起点と終点に建てたのだろう。
 どこかにある標石をまねたのか、年代は新しいが格調高い造りと織田先生は感心しておられた。多良見郷土誌から調べてみたい。

 研究レポートでこの標石の写真を見た京都市上西氏(近代測量史研究)から、宮城県白石市にも似たような標石があると、連絡を受けている。(一番下の画像)
 「上から指向する手の形、つぎに英文筆記体で横書き「Main Road Tokio」、その下から縦書き「一等道路東京街道」とありました。彫りが薄く、写真にはうまく現れていません。」

 多良見町「多良見町郷土誌」平成7年刊新版の750〜751頁には、西川内の標石は次のとおり紹介されていた。
 7,道路改修記念碑 ここ源八から千年首(千人首)までの道を改修整備した記念の碑。「大草村、伊木力村へ上り十三丁十間 大正十二年春 改修記念 名総代松尾喜久之助」他改修委員五名の名を刻む。十三丁十間は約一・四粁である。

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                   茂木河平の「戸町二至ル」標石

 茂木へ下る途中の「河平」バス停から、コンクリート舗装の急坂道路を100mほど下ると、河平川谷間の旧県道(明治新道の茂木街道)へ出る。出合い口の両脇に標石はある。
 左は「戸町二至ル」「昭和三年十一月 御大典記念 河平青年団」。寸法は、16.5×14×53cm。この標石は、茂木街道から分岐し、現在の唐八景の市民の森入口(八郎岳縦走東登山口)を越え、戸町に至ることを指す。
 標石の写真は、どじょう会「長崎の碑(いしぶみ) 第四集」に載せられ知られている。

 気づいたのは、道路の反対右側。別に苔むした古いコンクリート石柱が石垣に倒れるように立てかけられていた。上の方に「指差し」マークの凹みがあるが、下部は摺り減って字がわからない。寸法は、18×11×87cm。
 鶴見台森田氏の記憶では、これは茂木地区によくあるバス停上の「四国茂木八十八ヶ所第七十九番霊場」札番所へ行く道案内標石である。


(追 記  平成21年9月11日)
 「戸町二至ル」標石が指すルートについて、宮さんの本日付ブログ記事があったので次を参照。 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/21001284.html
 当時のルートの参考のため、明治34測図国土地理院旧版地図を最後に掲げる。現在の地形と比べてもらいたい。

 旧版地図の右端、水車小屋のマークがある下の分岐が「戸町二至ル」標石がある所である。唐八景の鞍部へ向かって登り、道が交差する所が現在の市民の森入口(八郎岳縦走東登山口)。この鞍部はまっすぐ越し戸町側の谷間へ入る。
 ちびっこ創作村・立岩大師を通って、星取山手前から下ってきた小径と合い、現在の小ヶ倉水源池の湖底に明治時代から戸町へ下る街道があったことがわかるであろう。
 昔の戸町への街道跡は、唐八景の鞍部からも以下湖底へ消えるまで、まだ残っているのを確認している。

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