みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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                   大久保山から戸町岳に残る天明藩境石塚の調査

 長崎県立長崎図書館(現在は長崎歴史文化博物館に移管)の古記録によると、佐嘉領小ヶ倉村と大村領戸町村の藩境紛争が天明七年(1787)に解決し、大久保山と戸町岳の間に69の塚を築き、道路が藩境を通過する地点の塚の上に境石を建てている。

 「従是南佐嘉領」と刻んだ形のよい藩境石の標石は、新戸町団地バス停近くと白崎バス停上に2本あることは知られていたが、大久保山から戸町岳にかけて築いた69の藩境塚の存在はこれまで知られず、調査が行なわれていなかった。

 これは、古賀敏朗著「くにざかいの碑」(1983年峠の会 福岡)のある記述と、御境絵図から藩境となる両方の山の尾根を踏査し、まだ藩境塚33基が現存していたことを確認した平成17年春の調査記録である。(画像は、一部松林氏協力)

 (2014年9月4日 追 記)
 大村郷村記「戸町村」分が、2014年発刊されている。大村市立史料館へ照会したところ、戸町村と小ヶ倉村境の塚について、「一、佐嘉領境三國境ゟ小ヶ倉迄、先年ゟ論所之處、天明六午年熟談 論所差分相極、同七年塚築立、同八年膀示石建」という記述があるとわかった。

 追加の2図は、入江氏作成。「地図上に藩境塚と思われる地点に赤い点を付けました。小ヶ倉村古地図からは、写真の解像度の問題から、これ以上判断できませんでした。赤い点が小さいので見にくいと思いますが、ビューワーで拡大して御覧下さい。現地調査される際はGPSを活用されると良いと思います。」ということである。

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               大村郷村記の三重東樫山「藩境石塚」の存在を確認

 「みさき道」の調査仲間で友人である川上正徳君が、峠の会(福岡)昭和58年発行の古賀敏朗著『くにざかいの碑―藩境石物語』の本で知り、調べていた。本の著者が地元樫山の人へ聞いてもどうしてもわからず、実見できなかった石である。
 大村郷村記三重村144頁に「佐賀領境傍爾石之事」として藩境銘のある大塚の石2、その他大塚、建石(竪石)を相当数建てた記録があるのに、地元で存在が確認されていないことは不思議なことであった。著者は茫漠とした「竪石」がどんなものか気になっていたようだ。

 川上君が、長崎県立長崎図書館で御境・石塚位置の古地図をデジカメ写真に撮って見当をつけており、平成17年9月と10月の2日間、同行して調査した。現実に何の苦労もなく、偶然に見つかったのは幸運としか言いようがない。
 三重崎の突端海岸部の山中に、境大塚が1基完全な姿で残り、あと2基ほど壊れたものがあった。竪石は赤岳頂上(標高118mの三角点)から北側の海岸断崖部に、列をなして完全なのが3基確認された。後日また行くと列の崩れたのが、頂上直下の北側下りに7基ほど確認された。
 「竪石」とは単なる平たい少し大きめな自然石を、藩境線の地上に間隔を置いて埋めたものであった。

 櫻の首白眼に建てられた銘のある大塚「従是 東北大村領 西南佐嘉領」は、三重リハビリセンター事務局長木浦氏の記憶によって、東樫山町836番地新道宅前の空き地に放置されていたのが判明した。ここは樫山バス終点の奥にあたる。この路地が藩境だったと言われるが不明である。
 三重崎の同大塚「従是 西北佐嘉領 東南大村領」は、同じく長崎市三重支所の玄関スロープ植え込みの中に移設されてあった。調査において「灯台もと暗し」はよくある。この石は支所に何の記録がなく、どうしてここにあるのか不明となっている。いきさつを地元でよく調査して、説明板をつけるなり、元の場所に戻した方が良いのではないだろうか。

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                   深堀の女島大神祠 香焼埋立地に残る

 深堀のすぐ手前の海に、かつて「女島」という小さな島があった。昭和43年(1968)深堀〜香焼間の海面埋立てが完成し、三菱重工などの工場が進出した。この埋立地の中にまだ「女島」の島影が残っている。

 場所は、深堀バス終点前の角に深堀公番がある。埋立地大通りを香焼側に50mほど行くと右に入る道があり、奥に赤い鳥居があってここが境内である。
 アコウの大きな枝分かれした木の根元に「女島大神」が祀られ、中にはぐるぐる蛇がまいたような不思議な石の神体があった。女島は小さな岩礁だったので昔からあったのは、この祠だけと聞いた。他の祠や浜恵比須は後でどこからか持ってきているらしい。

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