みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

イメージ 1

       萬延元年(1860)「彼杵郡深堀 蚊焼村彩色絵図」(三和公民館蔵)

 長崎医学伝習所生の関寛斎「長崎在学日記」の脇岬観音詣では、文久元年(1861)4月3日から4日にかけての紀行記事である。
 佐賀藩深堀領であった長崎半島の他村の絵図は、長崎県立長崎図書館の史料にあったが、蚊焼村がわからなかったところ、三和町中央公民館(長崎市合併前の当時)展示ホールに郷土資料として展示されていることがわかった。

 萬延元年(1860)「彼杵郡深堀 蚊焼村彩色絵図」である。複写ものかA3サイズの小さな絵図である。原図がどこにあるかわからない。当時の村の様子と道がわかる貴重な絵図である。萬延元年(1860)は、ちょうど関寛斎の一行が旅した文久元年(1860)の前年に作成された地図となる。

 大籠村との村境から「みさき道」をなぞると、補正した黄線のとおりとなり、岳路上の高浜村・川原村境までほとんど現在歩く「みさき道」のそのとおりの道となっている。
 平山台から晴海台にかけての団地上の県道が、ほぼそのままの道を利用して作られていることが良くわかり、蚊焼茶屋と蚊焼峠の判断にもこの絵図が役立った。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

            長崎手帖1963(昭和38年)の「碑のある町」うつろい

 ”碑のある町  孤独な碑はささやく 片隅にいるのですから 少しでも長生きさせてください”
 長崎手帖社「長崎手帖 第三十二号」昭和38年6月発行の田栗奎作氏稿「碑のある町」の書き出しである。カメラは春光社当時のご主人真木満氏で、次の5つの碑の43年前の姿を写している。
・居留地境の碑 ・みさきみち ・諏訪神社境界碑 ・筑州建山の碑 ・恵比須神社の碑

 私は若いころ田栗氏と多少面識がある。なつかしさを感じ、今度は私がこれらの碑を訪ねることとした。東京オリンピックの開催や東海道新幹線の開通した前年の写真である。

全1ページ

[1]


.
みさき/michito
みさき/michito
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事