みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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                     諏訪神社境内の珍しい石

 諏訪神社境内で見かけた珍しい石など。説明板もあるものは添えた。写真上から、

 ・よか獅子 流政之
 ・まよひ子志らせ石
 ・石造狛犬一対
 ・厄難除け蛙岩
 ・種田山頭火句碑 「大樟の そのやどり木の 赤い実」

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                  諏訪神社にある福田清人句碑の「岬道」は

 諏訪神社の拝殿右奥となる斎館諏訪館(諏訪荘を移設復元した建物)の前に、「岬道」と歌った土井首ゆかりの文学者、福田清人氏の句碑がある。
 ”岬道 おくんち詣での 思い出も”

 この碑にある「岬道」や、作品「岬の少年たち」などの「岬」とは、氏が少年時代を過ごした長崎半島のまだ中間「土井首」の地の思い出をいっており、「みさき道」の厳密な意味の「みさき(御崎)」とはならないようである。
 句碑左下の建立説明碑文は次のとおり。建立年月は書かれていない。

 福田清人は農と陶の里長崎県波佐見に生まれたが、長崎の港を抱く岬、土井首磯道に少年の日を過した。岬をめぐる長崎一帯の風土と歴史は、深く心に刻まれて、文学の原郷となり、「岬の少年たち」「春の目玉」「天正少年使節」など国の内外に顕彰された数々の名作を生んだ。…
 俳句をたしなみ主宰する無月句会が発起して、郷土の先人、向井去来の句碑を諏訪神社境内に建てたゆかりもあって、同神社の厚意により、その文学を偲ぶ碑を建て、半世紀を越える文業を讃えるものである。
              社団法人 日本児童文芸家協会 理事長 西沢正太郎


 なお、福田清人氏は土井首で育った思い出を「春の目玉」という作品として出版、国際的な児童文学作品に贈られるアンデルセン賞を受賞している。他に「秋の目玉」という作品もある。 

四郎ケ島台場跡

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                      四郎ケ島台場跡

 長崎港の入口、長崎市神の島町の先端の島にある。平成19年4月28日に実施した長崎学さるく「長崎の古台場と珍しい標石めぐり」配布資料による説明は次のとおり。
 なお、文化庁平成14年度「近代遺跡(戦跡)の所在調査一覧」「近代遺跡の調査等に関する検討会」544件→50件に、長崎県では、「四郎ケ島砲台」「旧佐世保鎮守府防衛砲台群」「対馬の砲台群」が3箇所が選定されている。

12 四郎ケ島台場跡
 文化5年(1808)のフェートン号事件で大失態を演じた佐賀藩では、寛永6年(1853)に藩の総力を挙げて佐賀藩独力で四郎ケ島に最新鋭の台場を完成させた。
 工事は神ノ島と四郎ケ島とを繋ぐ約150間(約270m)の堤防造りから始まった。
非常な難工事の末、寛永4年7月に二つの島を繋げると、今度は四郎ケ島を石垣で囲み砲台場を築いた。大砲は佐賀で鋳造し、四郎ケ島に150ポンド砲2門、80ポンド砲8門、36ポンドと12ボンド砲を各2門の計14門を備えた。さらに、佐賀藩では神ノ島と伊王島にも台場を築き、合計54門の大砲で長崎港口を押さえたのである。
 ちなみに、国指定の史跡で、当時最も装備が整っていた魚見岳の3つの台場には1貫5百目砲2門、1貫目砲5門、8百目砲3門、7百目砲2門、6百目砲1門、5百目砲5門、3百目砲4門の計22門が備えられていた。12ポンド砲が2貫5百目砲とほぼ同じであったから、魚見岳台場が四郎ケ島と比べるといかに玩具のようなちゃちなもので、四郎ケ島台場の大砲が最新式で飛び抜けた威力をもっていたかがよく分る。

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                    三川の屏風岩・薬師如来

 江越先生の平成18年7月12実施、西山街道歴史散歩「大村藩殿様道A(洗切〜川平〜西山口)」資料による説明は次のとおり。

5 屏風岩・薬師如来
 …三川の谷に下ると、左手に三川渓谷の番人のような大岩壁が聳え立っている。この岩壁を屏風岩とか人間岩とか言い、岩壁の根元に薬師如来のお堂があり、岩壁には薬師如来の像が彫られている。
 郷村記には、この薬師如来はもともと浦上家野村の岡本というところにあったが、延宝5年(1677)にこの地に遷座したとある。なお、岩壁の如来像の近くに「元禄15年(1702)午正月 願主長崎大井手町原賀利兵衛」と刻まれているのは、この如来像が彫られたことに関するものであろう。

 なお、「元禄十五年午正月 願主長崎大井手町原賀利兵衛」の刻は、如来像堂の左外の野外岩面に○をして中に刻まれている。屏風岩の右方には乳首の形をした下乳首岩があるらしいがわからなかった。
 また、このお堂の登り口は、JR長崎本線「長崎トンネル斜坑入口」となっており、列車の通過音が聞こえ、冷風が来る。

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                 これは何だろう 東山手にあった歩道上の銘板

 東山手で見かけた石畳み歩道上の白い左側の小さな銘板。下水道か水道のマンホール蓋との対比も構図となった。グラバー邸のハートストーンより面白い。近くの風景も添えた。

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