みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

                茂木地区にある指差し石柱の施主がわかる

 藤田尾の消防団分団前の車道分岐を左へ下ると浜に出る。
 浜の右手前にゲートボール広場があり、これから歩いて藤田尾川河口の小さな鉄橋を渡ると、青屋根の32番所札所がある。道は上って集落へと続く。最初の写真のとおりの光景。浜手前からのこの道は、昔の街道みちである。

 大正七年架けられた石橋の「架橋碑」とその残骸(別項)もここにある。橋を渡って道の右脇を注意して見て歩くと、3本のコンクリート石柱が続けてある。
 まずは「長崎県」境界柱。えらく凝った昔の字で古めかしく珍しい。これと同じものは伊王島灯台入口バス停付近にもあった。次は上に「指差し」マークがあり、その下に「茂木町 施主 川浜奥四郎」と字の彫りがある。その次は道角に「指差し」のマークのみの石柱が立てかけられている。

 「指指し」マークのコンクリート石柱は、これまで茂木地区で2本見ていた。河平バス停下の「戸町二至ル」標石の対面角と、重篭轟の滝の手前分岐にあった。(それぞれの別項に写真を掲載)
 施主を刻んだのを、この藤田尾で初めて見た。この石柱は札所の案内であると聞いていたが、重篭轟の滝は現在の札所に入ってない。作成年代も、藤田尾は昭和22年茂木村から為石村に編入された。その前に設置したとも考えられる。

 コンクリート製で新しい年代のものと考えられるが、いつの頃、だれが、どこに、何本設置したか、調べればおもしろい。茂木地区は「茂木町新四国八十八ヵ所霊場めぐり」が昭和4年頃できた。これと関連がやはりあるのかも知れない。施主がわかったのは、調べる手掛かりができた。

全1ページ

[1]


.
みさき/michito
みさき/michito
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事