みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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                  幣振坂周辺の風景  寺町・鍛冶屋町・風頭町

 平成19年9月10日、この坂周辺を歩いた写真。坂の長崎。寺が多いから寺町。その中でも晧台寺(曹洞宗)と大音寺(浄土宗)の間の坂を、特に「幣振坂」と言う。
 「へいふり坂」とは、寛永15年(1638)諏訪神社の鳥居造営のため風頭の石切場から重い石を運び下ろすこととなり、宰領が御幣を振って郷民たちがこの坂を運搬するのを励ましたことによる。
 寺町界隈から風頭山にかけては急坂が続き、斜面の墓が密集している。長崎開港以来の著名な人たちの墓もここに数多くある(岩永氏著から)。
 

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                 大音寺のイチョウ  長崎市鍛冶屋町

 長崎市鍛冶屋町、大音寺の本堂裏手の墓地内にある。現地説明板は次のとおり。

                 市指定天然記念物 大音寺のイチョウ

   指定年月日 昭和51年7月20日  所有者 大音寺
 イチョウは、中国原産の落葉潅木で雌雄異株である。日本には鎌倉時代に渡来したと考えられ、寺院の境内に老木が多いことから、僧侶によってもたらされたという。
 このイチョウは、長崎市では最大のもので、胸高幹囲3.90m、樹高20m、斜上した枝は東西19m、南北17mの樹形をつくる。樹齢は300年をこえると思われる老木のために、枝の基部から多くの乳房状の突起を出している。この木は雄株で、もちろん「ぎんなん」はならない。
                     長崎市教育委員会 (平成元年3月設置)

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                  大音寺のクロガネモチ  長崎市鍛冶屋町

 長崎市鍛冶屋町の大音寺境内にある。現地説明板は次のとおり。

    市指定天然記念物  大音寺のクロガネモチ  指定年月日 昭和50年6月26日
 クロガネモチは、亜熱帯、暖帯の沿海地に分布する暖地性の樹木である。長崎近郊の山にも自生は珍しくないが、このクロガネモチも、おそらく自生のものと思われる。
 胸高幹囲2.6メートル、樹高15メートルで、クロガネモチとしては極限に近い。
 クロガネモチは、雌雄異株の樹木である。この木は雌株であるから、晩秋から冬にかけて、真紅のつぶらな小果で木全体を覆う。
                      長崎市教育委員会 (62.12設置)

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                   奇縁氷人石  鍛冶屋町清水寺下聖天堂

 長崎市鍛冶屋町清水寺境内にある。社務所の入口となり門の入口右側に立つ風流な石。清水寺は堂が現在改築工事中。すぐ上の石段右手には「時雨塚」なる石柱もあった。
 岩永弘著「長崎周辺”石・岩・陰陽石”」2002年新春刊8頁による説明は次のとおり。

 門の入り口右側に大正5年に建てられた奇縁氷人石がある。正面に「奇縁氷人石」、右面に「おしゆる方」、左面に「たずねる方」と刻んである。仲人のことを月下氷人というが、この石は良縁の仲人役ということである。掛けた目印(紙札?)で多くの見知らぬ同志が結ばれたことであろう。古き時代のロマンが想像され、長崎年配者の若人を思う心づかいが偲ばれる。

 (注 「大正5年に設けられた」とは、長崎市史地誌編清水寺の記録によるようだが、この文意が不明。奇縁氷人石は江戸時代のものとも考えられるという住職の話である。)

 (追記 平成20年7月6日)
 「奇縁氷人石」については、西の高野山といわれる五島市玉之浦町「大宝寺」境内において、まったく同じものを見た。次を参照。  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/41184892.html

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                     大願王碑  風頭町幣振坂上

 長崎市風頭町にある。寺町墓地から風頭へ上る幣振坂のほとんど上の方となり、上から下るのが近い。港と市街の展望が良い草むらに鳥居形をした碑が建っている。別項愛宕山の大石に刻まれた「大願王」との関係から、ここに特に載せる。
 岩永弘著「歴史散歩 長崎東南の史跡」2006年刊48頁の説明は次のとおり。

 舗装された道を下って行くと住宅が途切れ、草むら空き地に珍しい鳥居形の碑が立っています。額に「大願王」と刻まれ、「女人講中」享保十四己酉(1729)四月二十五日、右下には銀屋町、左下には磨屋町と読みとれます。また柱には寛政三年辛亥(1791)銀屋町中とあります。
 愛宕山の大願王の大石とは形は異なりますが、柱の銀屋町中から推察すると何らかの因縁で町の人たちが奉納したのでしょう。

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