みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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               高浜の「石鍋」と岬木場の「鍋岩」  字名の謎

 為石石鍋製作所跡は、三和中学校上の墓地から左の寺岳登山道に入る。すぐ白川稲荷神社で赤鳥居道を登り、上祠から下に下ると右手の山際に跡の岩面2つがある。掘りかけの途中の石鍋も残る見事な岩面である。すでにこれは前に紹介している。

 高浜にも「石鍋」という字名がある。長崎市高浜公民館の以前の講座資料、松尾秀喜氏作成「たかはま字名の由来考」44〜45頁は次のとおり。
  本村名 石 鍋 いしなべ
 いしなべ…は、石で作られた鍋や釜の作り出された所の字名でしょう。長崎新聞社の長崎大百科事典によると、平安期末から鎌倉期に西日本一帯に使用された石鍋(石材・石製)には硬質の滑石が用いられ、その製作所跡が西彼半島、野母半島の山中に見られる…と記されてあるところから、此処の石鍋の字名も石鍋作製による字名でしょう。
長野観音さんの手洗器と八幡神社の手洗器は石鍋の原型ともいわれる。当地の石鍋の由来。

 長野観音堂跡の公民館庭先にある手洗石も前に写真で紹介した。さて、この高浜の「石鍋」の字名。地元の人に場所を聞いて探しに行った。野母崎高校のずっと上の方の谷間で大野集落となる。中を川が流れ、橋の左上斜面をいう。川を上流へつき上げてずっと付近を調べたが、人工的な岩面は見あたらなかった。このあたりの畑所有者本村さんや字名資料松尾氏の話でも何も残っていないそうだ。 驚いたのは、この川に小さいながら落差10mほどの見事な滑滝があった。滝の名前はないらしい。

 返って橋の下流側に、写真のとおり人工の跡がある大岩と小岩があった。大岩は上に祠が祀られ、下部はえぐられ自然のものかどうかわからない。
 近くにある小岩は石材として切り出されたような跡がある。畑の人に聞くと明治時代造られた長野観音堂の石垣は、ここから石を出したという話であった。しかし、ここは字名の「田郷」となる場所である。この岩も名前はないらしい。

 あと1つ岬木場の「鍋岩」は、昭和62年「木場子供会発表会資料」3班の項に次のとおり記されている(資料は高浜公民館保存文書)。
  ”なべ岩”について
1 目  的
   ・身をかくすため
2 長  さ
   ・横に約150mあり、老人の話を聞くと10mぐらいは中に入っていかれたそうです。
3 由  来
   ・なべの形をした岩が見つかったから「なべ岩」と呼ばれています。
   ・平家の「おちびと」ががたどりつき、ほったものと言い伝えられています。
4 生活した様子
   ・岩に「のみ」でけづったあとがある。
   ・焼山に段々畑があり、そこで作物を作っていたとみられる。
   ・中に入った人の話によると、入り口のところに物をついたうすがあったそうです。
    現在は土が積もって形しかわかりませんでした。

 「なべ岩」のこの資料による場所絵図は上に掲げた。描かれている運動場の位置から、今の岬木場バス終点の上方でゴルフ場の進入道路となっているあたりの山でないだろうか。運動場は、サイクリング道路の一段下に見るグランドのようだ。この上はゴルフ場敷地となって、今は調べようがないと思われる。

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          古里海岸の埋立地に残る「建岩」(たていわ)  長崎市高浜町

 長崎市高浜町となる古里海岸の港となった広い埋立地の中に、大きな岩が立っている。古里バス停のすぐ後ろ。昔の海岸を埋め立て、この岩は海の中にあった岩礁だとすぐわかる。古里は「みさき道」が堂山峠越しにかかる入口だから、よく見る岩だ。

 この岩は、地元の人が言う「建岩」(たていわ)または「トンビーセ」の呼び名でなかったか。長崎市高浜公民館の以前の講座資料、松尾秀喜氏作成「たかはまの字名の由来考」27頁に次のとおりあった。

  字 名 無し   通称語 建 岩 たていわ
 たていわ…は、大古里、小古里の中間の海中に踏ん張って立ち巨岩を中心とした磯場の呼称で地方者はトンビーセと呼び里の象徴化した岩と見る。

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                昭和50年建の「示道標」標石  長崎市松崎町

 平成19年12月18日、神浦ダムから奥の新牧野町で前外海町の木「ヤマモモ」を見て、山越えして畦刈へ出た。この標石はその途中、松崎町・西海町の町境となる山手の道脇で見つけた。
 場所を逆に説明すると、樫の久保バス停から森林基幹道「西彼杵半島線」が上がっている。約3分ほど走るとここは四叉路となり、九州自然歩道の「神ノ浦ダム 畦刈・三京」標識があった。対面の案内図の根元に標石があった。

 刻みは、「示道標」「昭和五十年三月 才木栄建」「右 才木、岩立、桂山ニ至ル」「左 長田、黒崎、外海方面ニ至ル」。寸法は、28×20×90cm。新しい年代造りの道標石のため、取り立てる標石ではないが、殊勝な方が地元にいたものだ。基幹道が整備され、道も変わってきている。しかし、昔からここは重要な分岐点だったと思われる。

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