みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

                   大勝寺跡のイチョウ  長崎市川原町

 長崎市川原町の川原本村バス停先から、右へ舗装のきれいな車道へ入る。つきあたりに住吉神社がある。市指定天然記念物大クスノキを回りさらに行くと、左へ分かれる車道があり、これに入るとすぐ大勝寺跡史跡の案内標識がある。
 三和町「三和町郷土誌」昭和61年刊の第五章「植物」73頁、外山三郎氏稿の説明は次のとおり。なお、大勝寺跡から高い石段を登ると大師堂があり、その狭い境内にもクスノキ・アベマキなどのかなりの大木がある。
 入口標識へ戻り車道をさらに進んだ八幡神社上祠脇にも大木が見られる。

                        大勝寺のイチョウ

 昔、川原に大勝寺という寺があったらしい。それがいつのころか廃寺となったといい、この寺に関連したと思われる墓石群もある。この寺に植えられた一本のイチョウの雌株がある。このイチョウは目通り幹囲、二メートル足らずで大木というほどではないが、幹の下の方が膨らんでいることなどから、かなりの古木と思われる。また大勝寺記念の木として意義がある。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

                   蚊焼海岸通りのエノキ  長崎市蚊焼町

 長崎市蚊焼町の蚊焼小学校前から海岸通りへ出て、右方へ曲がるとこのエノキがすぐ見える。大きな石を組んだ石垣の内側の斜面庭に生え、根元から2本の支幹に分かれ、端正な枝ぶりである。目通り幹回り4.5m、樹高15mくらい。蚊焼町の唯一の大木。
 隣家の入口に地蔵堂があった。防波堤上にあった別の石祠はラビリンスの風景。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

                 深堀城山の善長谷の座禅石  長崎市大籠町

 深堀の菩提寺、六代賢外普門和尚が座禅を行い悟りを開いた。「座禅石」が寺背後の山、深堀城山(標高350m)の北西側山腹、善長谷に残っているという。

 善長集落へは、深堀または平山台から行き、大籠町の迎川橋脇に教会入口の案内標識がある。善長谷カトリック教会前に車を置き、集落の横道により畑地の中を深堀方向へしばらく行くと山腹鞍部に出て4叉路となる。右上の山頂八幡社への参道山道を登ると、すぐ「←お水・座禅石」の標識があり、左へ入る。230歩で座禅石に着く。
 幹まわり3.7mのタブノキ老木が横に立つ。お水場はさらに120歩先の沢である。

 座禅石には、たしかに五言絶句のような刻字があった。字が小さく読み取れない。深堀の歴史を良く識る有海の森節男氏を訪れて聞いたが、文意を記録したものはない。自分も何と刻んでいるかわからない。菩提寺も同じであった。一度、拓本を取る必要があるだろう。下の谷に二つに割れた石の痕跡を探したが、何もなかった。

 中尾正美編「郷土史深堀」昭和40年刊の説明は次のとおり。

(三八) 座 禅 石
 菩提寺六代賢外普門和尚が座禅を行い悟りを開いた処で、此の故に禅定谷と呼ばれる様になり訛って善長谷となったとも言われる。此処には五言絶句の石があるが、現在は風化してその文意さだかならずして且つ二つに割れている。座禅をしたであろうと想像される境石をもって仕切ってある。
 此処の空をおほふ老木は其の当時のもので今に到るも繁茂しこれを切れば祟があると信じられて誰も伐る者がない。

(三九) 藩主の水
 座禅石より東約百米の谷に清水が垂れ落ちている。現在は善長部落の用水に取水されているが、盛夏時には渇水する程の水量である。善長にお水方がいて所要に応じて運んでいた。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

       星取墓地公園道脇のは、長崎要塞第二地帯標第二十七号  高橋氏確認

 星取山の山頂手前、星取墓地公園道脇の長崎要塞第二地帯標は、平成18年1月の調査により見つけたが、下部は埋設しているため番号不明として、先項では次のとおり報告していた。

2−J 星取墓地公園道脇 (確認 長崎要塞第二地帯標 下部埋設番号不明)

 略図では小ヶ倉村境に描かれている。「2−特」大崎林道鹿尾町尾根で、略図外の標石が見つかったため、風頭町と線を結び、星取山に間違いないと推定して調査した。
 長崎統制無線中継所そば三角点270.0mと二本松側尾根には見当たらない。戻って星取バス停側の大カーブ地点から山頂へ以前の山道を歩いたが中継所で途切れ、ここにもなかった。その帰り星取墓地公園へ道が分かれていたので墓地に入った。

 この墓地道脇の肩の高さの石垣上に、標石が頭を覗かせていたのを高橋氏が見つけた。下部は石垣と土に埋め込まれている。他の標石と異なる立派な白御影石である。21cm×17cm角。地上上部35cmの刻面は「2ndZ 長」「第」「陸」「明治三」だけしか読み取れない。勝手に掘り出すわけにいかず、現在、高橋氏が墓地(大正寺管理墓地)管理者や長崎県と交渉中だが埒があかない。近くには基準点があった。

 この高橋氏とは、佐世保市に住む高橋輝吉氏である。正月早々、えらい写真が送られてきた。
80歳になるというのに、愚かな戦争の生き証人「要塞地帯標」を探しに、県内・九州はどこでも、小笠原諸島や宮古島へも出かける。健在ぶりの一端は、すでに新聞記事などで紹介している。
 今回送られてきたのは、私と調査した上記星取墓地公園道脇のである。彼は何とか探求したく、遂に自ら下部を掘った。長崎要塞第二地帯標「第二十七号」と確認できた。
 はじめの写真2枚は、以前撮っておいた標石の写真。掘ってあとをどう埋め戻しているか、現地へ写真を撮りに行き、後日報告したい。

 2012年2月9日に宮さんが、この要塞標を確認に訪ねる。標石は元通り埋め直されていた。最後の写真がそれ。

 

全1ページ

[1]


.
みさき/michito
みさき/michito
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事