みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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                   坂下川の元平橋  南島原市北有馬町乙

 諏訪の池から南島原市北有馬町へ下る県道30号線沿い。人家や幼稚園に出たところに案内標識がある。坂下川に架かる。石橋の川からの高さが高く、多くの石を積んでいる。上流側の新元平橋と並ぶ光景は、見ごたえがあった。
 県道沿いですぐ近く、通りかかりに寄って見る価値がある。夕暮れで写真が暗く、再度出かけたい。HP「長崎県の石橋を訪ねて」の中の説明は次のとおり。

 第 45 番  元 平 橋    南高来郡北有馬町坂上下名田中
  大正10(1921)年   長さ18.7m 幅員2.8m
  有馬川にの支流、坂下川 上流側に新元平橋がかかる。橋の横には公園整備がなされている。北有馬町には沢山のアーチ橋が残っているそうだ。この橋も偶然に出会えた。

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                  上岳のタブノキ  雲仙市千々石町庚

 国道57号線千々石木場交差点から別所ダムに登る県道へ入り、しばらくすると岳集落とやまめの里の案内標識がある。この道を行き上岳集落を過ぎ、なお奥のやまめの里までつめる。
 宮橋がある神社のまだ手前の右道脇ガードレール側に、この大きなタブノキを見た。清水川の上流となり、九千部岳の山頂岩が真上に見える。

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                    女人堂跡と磨崖仏  雲仙市千々石町庚

 昔の温泉山参詣道、千々石登山道に建てられた女人堂跡は、雲仙市千々石町木場にある。国道57号線木場交差点から左へ別所ダムに登る県道へ入る。しばらくすると岳集落とやまめの里への分岐があり、これに入ったらすぐ磨崖仏、その先に女人堂跡入口の史跡案内板がある。

 磨崖仏は島原半島では珍しいとあり、見に行った。千々石町「千々石町郷土誌」平成10年刊161〜162頁の説明は次のとおり。

                           温 泉 山 信 仰

 …温泉山は、高野山や吉野大峯山と同じように名高い霊場であり、それは女人禁制の山であった。女性の参詣者は登山できなかったのである。そこで千々石木場に女人堂という御堂を建てて、霊場へ参詣できない女性が参籠した。いつの頃からかはっきり分からないが、ここでは昼夜読経の声が絶えなかったという。
 今では、その女人堂は田畑となり、跡には石垣と板碑、そして少し離れて磨崖仏が残るだけである。
 板碑のひとつは高さ一・二メートル。自然石の上部に大日如来の種子(梵字)が刻まれ、その下に妙圓と道音の名前が薬研彫りされている。碑には年紀銘はないが、鎌倉時代の建立であろう。この二人は温泉山衆徒修験者であったろう。
 また高さ一メートル、幅八四センチの無名の三角埵や、高さ一・一メートル、幅七三センチの角柱板碑がある。この碑には輪中に五智如来の種子が刻まれていて、温泉四面宮を表わしている。(「修験道とキリシタン」)
 磨崖仏は島原半島では珍しい。巨石に高さ七〇センチの像を彫り込んでいる。合掌しているそのお姿から見て比丘尼像であろう。年紀銘がないのでいつ奉納したものか分からないが、多くの女性が参籠していた時代のものであろう。温泉山を背に鎮座するこの素朴な比丘尼像に、それぞれどんな願い事をお祈りしたろうか。その願いを叶えてくださったであろう比丘尼さんは、今も静かに座っていらっしゃる。…

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            千々石町に残るアーチ石橋 (2)上流部  雲仙市千々石町

 雲仙市千々石町の千々石海水浴場にそそぐ川は、雲仙地獄盆地に発する延長12kmの島原半島第1の長さ2級河川の千々石川を本流とし、清水川・飯岳川・上峯川などを集めている。
 石橋群が残っているから、下流部から上流部まで見てまわった。千々石町「千々石郷土誌」平成10年刊の1216〜1218頁に資料と地図があった。HPでは「長崎県の石橋を訪ねて」が地域別に詳しい。

 郷土誌の記録当時から年月が経ち、大中橋は平成10年3月、古松橋は平成18年4月に橋が架け変えられ、石橋は解体されていた。道路拡幅のとき残すのがむつかしいようだ。現在、残っているアーチ石橋は次のとおり6橋。
 上段は「千々石郷土誌」の記録。下段はHP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明。

 写真  1  万 松 橋  下塩浜  明治末期
  第 14 番  萬松橋(塩浜橋) 千々石町 下峯川に架かる
  江戸時代末期   長さ 6.5m  幅員 5.2m(1/4程度はコンクリートの継ぎ足し)
  千々石町では石造アーチ橋を壊さずに補強したり打ち増ししたりして残してくれている。石橋好きには嬉しい。
  車時代に合わせて橋の幅を広げている。このような形でも残してくれるのはありがたいことだ。

 写真  4  八 千 代 橋  神ノ下  大正 6年頃(1917)
  第 23 番  八 千 代 橋  千々石町 橘神社より千々石川の下流に架かる
  大正6年    長さ22.0m  幅員 5.4m
  付近は河川公園で「橋の歴史」が見られます。
  下流側には、補強工事が右下のようにされてある。橋の景観を守るため補修のしかたに工夫が見られる。
  左下の写真は八千代橋の上流の風景、増水した時は完全に水没する「河磯橋」と、その奥には橘神社にいたる「軍神橋」が見える。軍神橋は近代的なコンクリート橋。
  八千代橋下流の飛び石。飛び石からコンクリート橋までが短い区間に並んでいる。

 写真  7  大 門 橋  小 倉  明治30年頃(1897)
  第 15 番  大 門 橋    千々石町 橘神社より千々石川の上流に架かる
  明治30年   長さ14.3m  幅員 4.0m
  上流の風景もいいですよ。行ってみませんか?
  車止めがついた。下流側に新しい橋が出来たために、大門橋は車両通行止め。橋の寿命は随分延びるだろう。

 写真 10  水 道 橋  飯 岳  大正7年?
  第 30 番  水 道 橋    千々石町飯岳
  大正7年   長さ 7.3m  幅員 2.5m
  ダムからの発電用水路の水道橋。飯岳橋の下流のダムの点検通路を通って水道橋まで行けるが、立ち入り禁止になっている。
  千々石町の総務課の方から存在を伺った。枠石もしっかりしている。長崎県内では、私の知る限り唯一の水道橋。発電所の存在は判っていたから、水道橋の名前さえ判っていれば、もっと早く出会えたのにと思う。
  要石の上の平石が気になる。押さえ石か排水口か?

 写真 11  白 新 田 橋  白新田  明治31年頃(1898)
  第 16 番 白 新 田 橋  千々石町 木場入口手前から入って千々石川の上流を目指すと判りよい。
  明治31年   長さ13.9m  幅員 3.3m
  もう無くなってしまったと思っていた。
  普通に通る分には、石橋を忘れてしまう。石橋の上に架かる新橋は、石橋に負荷を掛けない構造になっているようだ。

 写真 13  水 電 橋   岳   大正 4年 (1915)
  第 17 番  水電橋(水力発電からの命名だろう)千々石町 棚田の岳の集落に入って羽山橋のバス停手前
  大正4年5月  長さ11.0m  幅員 2.6m
  黄色い柵は発電所まで続く。
  補強工事をしている。枠石が崩れなければめったなことではアーチ橋は破損しない。このような補強は、素人目にも有効に思える。標柱もちゃんと立っていた。

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            千々石町に残るアーチ石橋 (1)下流部  雲仙市千々石町

 雲仙市千々石町の千々石海水浴場にそそぐ川は、雲仙地獄盆地に発する延長12kmの島原半島第1の長さ2級河川の千々石川を本流とし、清水川・飯岳川・上峯川などを集めている。
 石橋群が残っているから、下流部から上流部まで見てまわった。千々石町「千々石郷土誌」平成10年刊の1216〜1218頁に資料と地図があった。HPでは「長崎県の石橋を訪ねて」が地域別に詳しい。

 郷土誌の記録当時から年月が経ち、大中橋は平成10年3月、古松橋は平成18年4月に橋が架け変えられ、石橋は解体されていた。道路拡幅のとき残すのがむつかしいようだ。現在、残っているアーチ石橋は次のとおり6橋。
 上段は「千々石郷土誌」の記録。下段はHP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明。

 写真  1  万 松 橋  下塩浜  明治末期
  第 14 番  萬松橋(塩浜橋) 千々石町 下峯川に架かる
  江戸時代末期   長さ 6.5m  幅員 5.2m(1/4程度はコンクリートの継ぎ足し)
  千々石町では石造アーチ橋を壊さずに補強したり打ち増ししたりして残してくれている。石橋好きには嬉しい。
  車時代に合わせて橋の幅を広げている。このような形でも残してくれるのはありがたいことだ。

 写真  4  八 千 代 橋  神ノ下  大正 6年頃(1917)
  第 23 番  八 千 代 橋  千々石町 橘神社より千々石川の下流に架かる
  大正6年    長さ22.0m  幅員 5.4m
  付近は河川公園で「橋の歴史」が見られます。
  下流側には、補強工事が右下のようにされてある。橋の景観を守るため補修のしかたに工夫が見られる。
  左下の写真は八千代橋の上流の風景、増水した時は完全に水没する「河磯橋」と、その奥には橘神社にいたる「軍神橋」が見える。軍神橋は近代的なコンクリート橋。
  八千代橋下流の飛び石。飛び石からコンクリート橋までが短い区間に並んでいる。

 写真  7  大 門 橋  小 倉  明治30年頃(1897)
  第 15 番  大 門 橋    千々石町 橘神社より千々石川の上流に架かる
  明治30年   長さ14.3m  幅員 4.0m
  上流の風景もいいですよ。行ってみませんか?
  車止めがついた。下流側に新しい橋が出来たために、大門橋は車両通行止め。橋の寿命は随分延びるだろう。

 写真 10  水 道 橋  飯 岳  大正7年?
  第 30 番  水 道 橋    千々石町飯岳
  大正7年   長さ 7.3m  幅員 2.5m
  ダムからの発電用水路の水道橋。飯岳橋の下流のダムの点検通路を通って水道橋まで行けるが、立ち入り禁止になっている。
  千々石町の総務課の方から存在を伺った。枠石もしっかりしている。長崎県内では、私の知る限り唯一の水道橋。発電所の存在は判っていたから、水道橋の名前さえ判っていれば、もっと早く出会えたのにと思う。
  要石の上の平石が気になる。押さえ石か排水口か?

 写真 11  白 新 田 橋  白新田  明治31年頃(1898)
  第 16 番 白 新 田 橋  千々石町 木場入口手前から入って千々石川の上流を目指すと判りよい。
  明治31年   長さ13.9m  幅員 3.3m
  もう無くなってしまったと思っていた。
  普通に通る分には、石橋を忘れてしまう。石橋の上に架かる新橋は、石橋に負荷を掛けない構造になっているようだ。

 写真 13  水 電 橋   岳   大正 4年 (1915)
  第 17 番  水電橋(水力発電からの命名だろう)千々石町 棚田の岳の集落に入って羽山橋のバス停手前
  大正4年5月  長さ11.0m  幅員 2.6m
  黄色い柵は発電所まで続く。
  補強工事をしている。枠石が崩れなければめったなことではアーチ橋は破損しない。このような補強は、素人目にも有効に思える。標柱もちゃんと立っていた。

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