みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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         雪浦の目一ッ坊岩の石鍋跡と山中の境石を見る  平成20年2月

 雪浦の目一ッ坊岩の石鍋跡と山中の境石を見ようという大瀬戸歴史民俗資料館の江越先生の企画行事。平成20年2月13日に参加14人で実施した。コースは、県民の森西ゲートー目一ッ坊岩ー原山ータンポ山ー御用堤ー自然歩道ー西ゲート。
 いつもの調子で、のんべんだらりと後から歩いていたら、最初から道がわからなくなり、また置いてきぼりされた。街道歩きの人は足が早い。携帯は通じない。この日私は何の目的を達せず、時間つぶしだけした。みじめ…。

 快晴の2月16日。ひとりでリベンジ。地図も持たず位置勘だけ。目一ッ坊岩の石鍋跡はわかりにくい場所にある。岩の周辺を3回まわってやっと見つけた。何のことはない。自然歩道を九電鉄塔の方まで行って登ればすぐで、また弁慶岩洞窟や頂上へ立てる。
 石鍋跡は岩裏側の中腹の離れた岩面にある。歩道に今つけている標識は不親切だ。ただ、岩の真下で岩が眺められるからその標識。手前すぎる。ここから登ると石鍋跡まで遠く踏跡不明でたどれない。初めての人は、誰でも迷って探しきれないのでは。

 目一ッ坊岩の尾根を歩き、鞍部で崖面工事中の林道へ出る。左、左と林道を進むと、植林の伐採地で行き止り。先は尾根の作業山道。「大村郷村記」雪浦村・神浦村に記す村境石を連続して8基ほど見る。
 先は踏跡不明となったので、やや明瞭だった小沢へ下り、本流との合流点から今度は本流を遡った。植林地内で作業道があり、つめるとタンポ山広場だった。境石はこの谷にもあった。
 コンクリート林道が御用堤まで出る。林道の途中からは県民の森小道がある。後は九州自然歩道を歩き岩瀬戸渓谷の車道を下って、出発の西ゲートへ戻った。西ゲート付近は「西彼杵半島ふるさと林道」の橋脚架設中。一帯で道路工事が進められている。

 国地院地図は郷土誌から理解のため掲げるが、国有林内がほとんどで一般人は歩いてはいけない。道もわからないだろう。大瀬戸町「大瀬戸町郷土誌」平成8年刊228〜229頁から次の話だけ紹介する。
                        目一ッ坊の洞窟

 目一ッ坊は、河通川の南岸に聳える、標高三三〇メートルの、峻険な山塊の頂上に近い急斜面にあり、その頂上にある岩山を目一ッ坊岩と呼んでいる。この岩山を遠くから眺めると、ちょうど帽子をかぶったように見える。
 この周辺には、かつての石鍋製作所跡があり、現在もその未完成品が散在し、滑石露頭面にはその痕跡をとどめている。
 なおこの近くには、高さ約六〜七メートルの断層間の間隔に、「弁慶岩」という洞窟があるが、この洞窟については、次のような話が伝えられている。
 「巨岩の内には洞窟があり、この洞窟に近づくと、その身に凶禍が及ぶ」といわれ、この洞窟には誰一人入った者はいないという。また「この洞窟の奥には石棺が置いてある」とも伝えられるが、それをまた見た者はいないといわれる。
 一説には、かつての古代人の住居であったとか、キリシタン信者の隠れ場所であったとかいわれるが、いずれも定かではない。 

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                 福田千本松原のアコウとマツ  長崎市福田本町

 長崎市西部の福田本町。国道202号線により行く。福田千本松原の先の海は埋め立てられ、海上レジャー基地”長崎サンセットマリーナ”となっている。
 福田の浦は、長崎港が開港される前に開港された。長崎の港口に当り、千本松原は古台場跡である。今は姿を変え、松とともに遺跡らしさもところどころしか見受けられない。

 台場跡の石垣にはアコウが群生していた。口之津町早崎漁港の群落に及ばないが、長崎市内では珍しい群生地であろう。
 千本松原であった名残りを偲ばせるマツの大木は、数本が福田中学校裏門辺りに残る。マツの大木はなかなか目にすることがない。ブログに登場させるため市内でマツを探していたが、やっと会った感がする。
 福田中学校の正門内庭にも、アコウが植えられ大きくなっていた。なお、山手の福田天満宮にもクスノキの大木がある。

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                   手熊橋の古い親柱  長崎市手熊町

 長崎市西部の手熊町。手熊川河口にある小さな石橋「杉の上橋」を見に行った。HP「長崎県の石橋を訪ねて」によると、「河口の手熊橋も石造アーチ橋で有ったが、昭和57年の水害後撤去してしまった」とある。
 現在、この「手熊橋」には、脇に古い親柱が2本残されている。地元で聞くと、石橋が解体されたのは、長崎大水害後でなく昭和40年代である。国道202号線ができ、橋の老朽化と道路拡幅のためである。銘板によると「昭和47年3月竣工」とあった。
 古い橋の親柱をこうして保存されているのは、地元の心にくい配慮といえよう。1本は「手熊橋」、1本は「てぐま橋」と刻まれている。

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                       手熊の風景  長崎市手熊町

 平成20年2月16日、長崎市西部の手熊町へ行く。手熊川河口あたりで見た風景。白髭神社・手熊台場跡などから。

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              手熊川河口のアコウと白髭神社の社叢  長崎市手熊町

 長崎市手熊町へは、国道202号線により飽の浦方面から行くか、県道112号線により小江原方面から入る。手熊橋の近く手熊川の河口は、海岸埋め立てもなく、昔のたたずまいが残り、アコウの大木が4本見られる。
 杉の上石橋の対岸には、岸の石垣から川面へ横に張り出したアコウがあり、幹を積んだ石で支えていた。近くの白髭神社の社叢にはアラカシ、エノキ、ツバキがある。右隣り海岸側高台の手熊台場跡には、カゴノキの大木があった。

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