みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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                       小佐々・鹿町・佐々の風景

 平成20年6月4日、小佐々・鹿町・佐々へ行く。佐々志方から愛宕山の遠望、小佐々楠泊海岸、神崎天主堂、日本本土最西端の碑、佐々の平戸街道江里峠籠立場跡などの風景。

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              皿山公園のスギ(残心の杉)  北松浦郡佐々町市瀬免

 国道204号線が佐々町中心街を過ぎると、佐々川対岸に清峰高校がある。ここを過ぎなお行くと、市瀬免の国道脇に「皿山公園」入口案内板があり左折する。
 一番奥の住宅地の中の駐車場まで進むと大スギは目の前。赤い太鼓橋を渡り史跡「市の瀬皿山窯跡」まで行くと根元がある。
 国道脇駐車場からは、「ほたるの里菖蒲園」があり、歩くと菖蒲が満開であった。
 Otoji.K氏HP「長崎の名木」リストの中の説明は次のとおり。

                         残 心 の 杉

 佐々町・市瀬の皿山公園の一角に皿山窯跡があり、県の史跡に指定されている。
 佐賀藩の有田焼、平戸藩の三川内焼、大村藩の波佐見焼が造られていたが、福本新左衛門を中心とした陶工5人が、1751年(宝暦元年)に三川内村(現佐世保市)からこの地に開窯した。
 63mの階段状登窯で、当時としては国内最大級であった。白磁を主体とし、平戸藩の御用窯でもあった。

 尾張国・瀬戸の陶工・加藤民吉が、1804年(文化元年)に、磁器製法の会得にやってきた。当時、瀬戸焼は陶器が主で、磁器の技法は未熟であった。
 2代目福本仁左衛門に教えを受け、1807年に瀬戸に戻り、瀬戸の磁器の基礎を築いた。民吉は、愛知県瀬戸市の窯神神社に磁祖として奉られている。
 民吉が佐々を去る時、3本のスギを植えたという。樹齢200年になり、大木になっている。
 地元では、「残心の杉」と呼んでいる。

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                  長串山公園のツツジ  北松浦郡鹿町町長串免

 国道204号線からは、佐々の手前から見返橋を渡り小佐々を通って鹿町方面へ入る。または江迎まで行って鹿町方面へ入る。双方を結ぶ県道16号線の中間あたりが長串山公園の登り口となっている。
 Otoji.K氏HP「長崎の名木」リストの中の説明は次のとおり。

                         長串山公園のツツジ

 鹿町町にあり、平戸ツツジ、久留米ツツジなど、10万本が咲き、その数では日本一である。九十九島を見渡せ、風光明媚な公園。下のツツジは花の小ぶりな久留米ツツジ。その場で植樹もできる。

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                     北松浦郡佐々町に残るアーチ石橋

 北松浦郡佐々町に残るアーチ石橋は、3橋である。佐々町役場前から国道204号線を江迎町の方へ向かう。
 1の「トロッコ橋」は、皿山公園前を過ぎて神田入口となるダイレックス角で右折。佐々川に架かる「正興寺橋」を渡らず、右手川岸の遊歩道へ入る。佐々川がカーブする所まで行くと対岸に小さなアーチが見える。

 2の「江里峠の橋」は、佐々松瀬郵便局先の交差点から江里川沿いの町道に左折して入る。「平戸街道江里峠」史跡板のある所まで登る。
 3の「江里峠下の橋」とも江里川でなく、峠を越した江迎側の山ノ田川上流にあるので、道路標識に従い江迎の方へ少し下る。川を渡る2つの地点で下を覗くとアーチが見える。
 HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。

 写真  1  第 127 番  ト ロ ッ コ 橋       佐々町神田免
  大正中期    長さ 6.0m  幅員 1.8m
  佐々港への石炭トロッコレールが敷かれ馬が曳いていたという。
  大正〜昭和30年代まで、佐々川べりにはトロッコのレールが引かれ、上流の炭鉱から馬でトロッコを曳いて下流の佐々港まで運搬されていた。その当時の橋の輪石だけが残っている。
  この位置は佐々川が大きくカーブしていて、増水時には濁流が強くあたる場所なのに、よく残っていたものだと輪石の基部を見てみると、しっかりした岩盤に乗っていた。
  橋の右手には幅2m程度のトロッコ道が残るが、何ヶ所も崩れていて通行は不能。
  【ガイド】佐々町の中心街から国道を吉井町に進む。市瀬を過ぎだ辺りの右手にあるがよく見えない。ナフコの手前から右折して川縁の道を行くと見える。
  対岸の県道からは全く見えない。

 写真  2  第 167 番  江 里 峠 の 橋       江迎町高岩から佐々町松瀬ヘ向かう平戸街道に架かる橋。
  明治19年頃ではないか。北松浦半島最古の石橋の可能性も。 長さ 約9.0m  幅員 約4.9m
  佐々から来れば江里峠の最高部を超えて松瀬側に架かる。
  松瀬の方から上がってくると、この橋の下流に架かる橋を超えて、長崎街道の案内板を見てから、しばらく上がって右手に田圃がある緩やかなカーブが広がる。
  中央部が橋になっている。下流側はヒューム管で延長した様子で、今回はこちらから入った。
  この橋の情報を頂いた末永氏によると、明治19年に工事の担当官として赴任していた山口氏が病に倒れ亡くなったことを悼んだ碑が有るそうで、その頃架橋されたのではないかと推測できるとの事。

 写真  3  第 168 番  江 里 峠 下 の 橋      江迎町高岩から佐々町松瀬ヘ向かう平戸街道に架かる橋。(江里峠より江迎側)
  形状から大正から昭和期の架橋ではないかと判断。  長さ 5.0m  幅員 12.1m
  江里峠の橋から50m程度下流になる。水汲み場が目印かな。
  末永氏も言っておられるが、この橋の幅は広い。実際に見ているとトンネルかと思うほどだ。

 写真  4           神田跨道橋       佐々町神田免
  これはあくまで参考。松浦鉄道の上に架かる。コンクリート造。上の道は旧道か?

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                     北松浦郡鹿町町に残るアーチ石橋

 北松浦郡鹿町町に残るアーチ石橋は、1橋である。中野免の「中野橋」。
 鹿町町役場から県道18号線により江迎の方へ行き、鹿町川と出合った「新中野橋」から右折し、川沿いの町道を約500m行くと右手に見える。
 HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。

 写真     第  79 番  中 野 橋       鹿町町中野免
  大正3年     長さ 約7m  幅員 約1.5m
  藪で姿が見えないのが残念だが、なかなか良い姿をしている。町指定文化財。
  鹿町町には、「大加勢橋」という立派なアーチ橋が有ったが、残念ながら平成14年の河川改修で架け替えられてしまっていた。橋の存在を教育委員会に寄って話を聞いたときに、この橋を教えてもらった。
  【ガイド】江迎町から鹿町町役場に向かう。橋の元のバス停を過ぎて新中野橋の手前を左折。約500mで右側。

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