みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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                     藤津郡太良町に残る桁石橋

 藤津郡太良町に残る桁石橋。大字太良の諫早街道太良道沿い、「開の庄屋屋敷」(田中宅)周りの水路に4橋がある。
 国道207号線により太良町に向かう。町の中心を過ぎ多良川の橋を渡ると、国道左に「大魚神社」があり、左折してこの道をまっすぐ進む。
 円教寺横を通り長崎本線のガード下をくぐると、田んぼの中の道となりすぐ右手に大きな屋敷が見える。ここが「開の庄屋屋敷」である。多良連峰がよく望める。
 
 未舗装のこの道が今の正門か。屋敷入口の橋はコンクリートになっているが、下を覗くと桁橋であった。
 裏木戸門に立派な石橋があるので、車道を少し戻り右の住宅地の方から回りこんで見に行く。屋敷が安政3年(1856)の建築だそうだから、その頃の古い橋である。

 親柱が菱型に造っていて珍しい。周辺の水路に2つの板石橋を渡している。
 屋敷に入らず、右手の坂段道を行くと稲荷神社があった。
 fwd−net長崎・諫早HP「石造アーチ橋以外の石橋たちを訪ねて」による説明は次のおり。

 第 k-043 番   開の庄屋屋敷の石橋       佐賀県藤津郡太良町開
  架橋年は未確認だが、後日、宮崎のニエモンさんの確認に寄れば、屋敷が安政3年(1856)の建築だそうだから、その頃か?   長さ 4.3m  幅員 1.8m  スパン m
  周辺に二基の石桁橋、諫早街道太良道の脇に架かる。

  諫早街道の矢筈峠から太良宿に下るときに、本来なら、この庄屋(田中邸)屋敷の庭先を通らなければいけないのだが、個人の敷地に入る訳にはいかないので今まで迂回していて、この橋の存在に気がつかなかった。
  今回、諫早から入ってきて、庄屋さんの玄関?前に立派な水場と石橋に気がついた。水場周辺には使い勝手のためか二基の桁橋も架かっている。

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                     丸尾古墳  諌早市小長井町牧

 国道207号線により諌早市小長井町まで行く。長里の道路公園を過ぎしばらく行くと、入江に帆崎橋が架かる。
 橋のたもと、小深井バス停に古墳の案内標識があり、左上の金刀比羅神社へ石段を登って、神社先の小道を少し行くと、畑地の中に「丸尾古墳」がある。

 ここはどうも急傾斜面の方に、古墳内部への入口があったようだ。崖崩れで入口が損壊し、現在は工事中。ブルーシートにより覆われ、何も見学できなかった。
 入江の対岸、有明海に面した帆崎の先端部には、前項の「長戸鬼塚古墳」がある。
 現地説明板は次のとおり。丸尾古墳にも線刻画があるらしい。

                        文化財名  丸尾古墳

 小深井港の東側、帆崎の丘陵に位置するここ丸尾山に、鬼のすんだという岩屋がある。しかし、これは昔の豪族の古墳であって円墳だと言われている。
 円墳の高さは、前の室が横1.7m、高さ1m余。奥の室が横2.3m、高さ2.5m、奥行が3.3mで四壁や天上は、幅の広い巨石を積み重ねてある。
 千数百年の間に石室の中のものは、運び去られたとみえ、空洞で鬼の岩屋のように見える。
                   諌早市教育委員会  諌早市文化財保護委員会

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                  長戸鬼塚古墳  諌早市小長井町小川原浦

 国道207号線により諌早市小長井町まで行く。小長井の町へ出る前が長戸である。小深井の入江に架かる帆崎橋から高台へ登った国道右方へ案内標識がある。右折してこの道へ入り、戻るように丘陵の先端部、帆崎へと行く。

 墓地の先に円墳が見え、ここが「長戸鬼塚古墳」である。有明海や雲仙が良く望める。古墳の中はつっかいをしていて、内部を見学できる。
 玄室と羨道に、鯨・船などの線刻画と線刻文が刻まれているらしいが、懐中電灯を持参しても、今は確認がむずかしいようだ。
 入江の対岸、帆崎橋脇の金刀比羅神社上にも丸尾古墳(別項)があるが、損壊して工事中。
 現地説明板は次のとおり。 
                        長戸鬼塚古墳 (史跡)
                 昭和63年3月1日指定  諌早市教育委員会

 有明海に面した標高約10mの丘陵先端部に造られている。墳丘は、高さ約5m、直径約15mの円墳である。
 石室は典型的な複室構造(玄室・前室・羨道)をもつ横穴式石室で、巨石を積み上げ、持ち送るという築造工法をとっている。全長9.6m。
 貴重な線刻壁画古墳で、築造年代は、7世紀後半と考えられる。本古墳には、玄室(棺を安置する部屋)と羨道に鯨・船などの線刻画の他に格子文・鋸歯文などの線刻文が刻まれている。
 県内の、線刻古墳は、本古墳の他に、丸尾古墳(本町牧名)、善神さん古墳(高来町)など、7例が知られているだけである。
 隣接する墓地からは、開墾の際箱式石棺が7〜10基発見され、中から人骨、鉄刀等が出土したと伝えられる。
 本町には本古墳の他に大峰古墳(大峰名)、城山古墳(井崎名)があり、同様なものは有明海沿岸に広く分布している。

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                 水ノ浦のスクイ漁場  諌早市高来町水ノ浦

 国道207号線により諌早市高来町まで行く。湯江を過ぎて長里への高台へ上がる国道右方に案内標識があり、右折して海岸へ行くと「水ノ浦のスクイ漁場」がある。
 諫早湾干拓の水門が近くに見えるところ。行きは満潮だったが、帰りには潮が引いていて、干潟の先に石で築いた遊水地が見えた。
 防波堤の少し先にあり、長靴を用意してないと、干潟の遊水地には歩いていけない。
 現地説明板は次のとおり。

                水ノ浦のスクイ漁場  (昭和62年市指定文化財)

 すくい漁は、有明海の特質である干満の差の激しさを利用して魚を捕るという干潟地域特有の最も原始的で大掛かりであり、歴史の古いと思われる漁法である。満潮と共にすくいに入った魚が引潮に従いオログチ近くの遊水地に集まるようにして捕獲するものである。
 「すくい」は有明海沿岸一帯・肥後・筑後・島原半島沿岸一帯には、江戸時代から明治の中頃まで200箇所以上見られたが次第に荒廃し姿を消していった。
 県内唯一、往時の姿を留めるこの水ノ浦の「すくい」は健在である。
   平成17年3月1日             諌早市教育委員会 高来文化協会

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