みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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                 (ニ)現川分校のサクラ  長崎市現川町

 国道34号線が矢上を過ぎて、現川川の橋のところから左折して現川へ入る。現川のバス停から左へJR現川駅の方へ行くと、右手のモダンな建物が現川分校である。
 矢上小学校の分校であったが、平成20年4月、長崎市立高城台小学校の開校に伴い、同校の分校に変った。
 校庭にあった樹齢100年以上というサクラの老木は、枯れて伐られていたが、切株から次の若木が育っていた。

 2001年7月開催「第15回 ながさき巨樹・巨木を見る集い(東長崎地域)」の「東長崎巨樹マップ」に、(ニ)でサクラを記している。同写真説明は次のとおり。
  現川分校の桜 もう100年以上この地で根を張り、今なお現川分校の子供たちを見守る。

 東長崎地区連合自治会編「2000年の東長崎」平成13年刊、巨木・名木92頁の説明は次のとおりであった。
                       ◇桜の名木  現川分校の桜

 現川分校に、今にも倒れそうな桜の木がある。国道34号線馬場バス停より北西方向へ3kmほど入り、JR市布線の現川駅より100mほど手前に、現川分校はある。明治11年現在の所が校地となった頃、植えられたものと推定される。
 今では老樹のため、補強用の支柱と柵に支えられ、根元は大きく口を開けたように穴が開いている。もう100年以上この地で根を張り、今なお現川分校の子供たちを見守っている。

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             (ハ)現川の山の神神社のカシノキ  長崎市現川町

 国道34号線が矢上を過ぎて、現川川の橋のところから左折して現川へ入る。現川のバス停からJR現川駅の方でなく、右へまっすぐに川の上流へ行くと、左方に「山の神神社」がある。老木のアラカシが鳥居横に立つほか、他の大木もある。
 次の樹木の再掲。  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/29196445.html

 2001年7月開催「第15回 ながさき巨樹・巨木を見る集い(東長崎地域)」の「東長崎巨樹マップ」に、(ハ)でカシノキを記している。同写真説明は次のとおり。
  現川 山の神神社のカシノキ。400年は経っていると聞く。毎年10月に願成就の神事。

 東長崎地区連合自治会編「2000年の東長崎」平成13年刊、巨木・名木92頁の説明は次のとおり。
                ◇樫の大木  現川 山の神神社の樫の木

 現川分校よりさらに500mほど北へ上ると、現川地区の守り神社である”山の神”神社にたどり着く。その入り口にひと際大きく、高い樫の木が居座っている。根元から裂けたように大きく穴の開いたこの老樹は、400年は経っていると聞く。
 この神社では、毎年10月に願成就の神事が行われている。

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                (ロ)現川の連理樹だったスギ  長崎市現川町

 2001年7月開催「第15回 ながさき巨樹・巨木を見る集い(東長崎地域)」の「東長崎巨樹マップ」に、(ロ)でムクノキを記している。同写真説明は次のとおり。
  現川のムクノキ 幹周り4.21m。
 マップでは、JR現川駅から現川峠へ上がる車道の左側(西方)。幹囲4.21mというムクノキの大木なのに、地元で話は聞けないし、所在がどうしてもわからずにいる。

 考えられるのは、もう現川峠近くカーブした道路脇に「大権現社」の石鳥居がある。この鳥居下の谷間に、昔の現川峠越しの旧道が残り、大権現社とは別の祠「弁天様」が祀られている。
 ここにあったスギとクロガネモチの「連理樹」である。

 東長崎地区連合自治会編「2000年の東長崎」平成13年刊、巨木・名木89〜95頁には、すでに掲載されていない。
 郷土誌の古いのは、東長崎町編「東長崎町誌」昭和38年3月発行。名木・珍木・巨木105頁に、次のとおり「連理」の記録がある。当時の写真も同107頁から。

  連 理

 現川と加勢首に杉とクロガネモチ(俗称シロキ)の珍しい連理がある。現川より長崎の西山に通ずる山道の中腹で、2本の木がぴったりくっつき、周囲4.85mある。
 木の下に素朴な自然石でつくった弁天様がある。毎年9月7日にお祭りがあり、しめなわをはりかえする行事が伝えられている。

 以上が昭和38年の記録。「弁天様」は旧道の中ほど。曲がりくねった現在の車道の下から登っても、上から下っても旧道は荒れて歩きにくい。行きやすいのは、大権現社鳥居の手前となる車道を斜めに横切った水路。植林地内のコンクリート溝の中を下ると、「弁天様」の近くに出る。
 植林地内には、参詣のかすかな踏み跡が見られる。

 連理だったスギの方は、薄暗い谷間に奇怪な枝を広げて、今も生きている。根元に巻き込まれたクロガネモチは、朽ち果て黒々として、大木であった丸い跡だけ残していた。
 車道の右と左、クロガネモチとムクノキの違いがあるが、マップの地点と幹周りの大きさからすると、連理樹だったこの木と思われる。
 町誌のクロガネモチは、マップどおり、正しくは「ムクノキ」だったのではないか。
 このため、樹木の項目も「現川の連理樹だったスギ」に変えた。

 最後の写真は、現川峠近くの「大権現社」鳥居と、加勢首で見るクスノキの大木。奥の家は、長崎大学第一外科教授だった調来助医師の養実家となるらしい。昭和20年8月9日大学病院で被爆し、その後、医局員たちとともに被爆者の治療・救護のため、日夜奔走されたことは、今なお語り継がれている。

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                (イ)矢上切り通しのモチノキ  長崎市田中町

 矢上入口となる切通交差点から、マルキョウ東長崎店前を通る国道34号線を行き、しばらく進んで国道右手を見ると、奥の民家裏手の高台に大木が見える。この木が「矢上切り通しのモチノキ」である。
 次の樹木の再掲。  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/33188389.html  

 2001年7月開催「第15回 ながさき巨樹・巨木を見る集い(東長崎地域)」の「東長崎巨樹マップ」に、(イ)でモチノキを記している。同写真説明は次のとおり。
 矢上切り通しのもちの木 幹周り3m およそ150年。白山大権現様。被爆したもちの木 爆風で一瞬のうちに葉っぱが全部散る。

 東長崎地区連合自治会編「2000年の東長崎」平成13年刊、巨木・名木93〜94頁による説明は次のとおり。

                 ◇もちの木の大木  切り通しのもちの木

 国道34号線、下切通しのバス停より東南方向へ200mほど行くと、小高い所に見上げるほど大きなもちの木がある。幹回り3mあり、ねじれたように左右に大きく枝を伸ばしている。
 安政年間に植えられ、およそ150年は経っていると伝えられている。木の根元に祭られた白山大権現様は、地主の田中家の先祖である田中権蔵氏が1913年(大正2年)、石川県の白山神社を詣でた時のお礼を祭り、当時16軒あった地元の人たちの”守り神”となった。以前は毎月10日に地元の家々で供え物をして、お祭りをされていたが、今では長島實氏が上げ物をして祭っておられる。
 この大木、もちの木にも最大の危機があった。それは、長崎に原爆が落とされたとき、その爆風で一瞬のうちに葉っぱが全部散ってしまい、丸裸になってしまった。これぞ正真正銘の被爆したもちの木なのである。今は元気を取り戻し、春になると花を咲かせ、そして、秋には赤い実をつけ、小鳥たちの楽しい憩いの場になっている。
 

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