みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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             波佐見町に残るアーチ石橋(3)  東彼杵郡波佐見町

 東彼杵郡波佐見町に残るアーチ石橋は、15橋である。ただし、飛瀬の水路橋は石造アーチ橋としてカウントしない。5橋ずつで3項に分けた。
 なお、写真13の湯無田陶山神社入口のレンガ橋は、現在、中尾宅の入口となり、切石には「伊東橋」と刻まれていた。
 波佐見金山跡は http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/34953760.html を参照
 HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。

 写真 11  第 156 番  松ノ木川内橋      波佐見町村木郷(不動佐川)
  明治末期〜昭和初期      長さ  4.0m  幅員 2.4m(現在は拡幅)
  旧村木分校裏手。不動佐橋の下流にあたる。拡幅されていて通っただけでは判りにくい。
  〜県の河川課川内係長の情報で波佐見町文化財保護係の坂本氏から教えていただいた。

 写真 12  第  92 番  中尾山レンガ橋(仮称)  波佐見町中尾郷 中尾山入口
  大正時代(推定)        長さ 約4.0m  幅員 約3.5m
  中尾山の窯元から降りてくると左手に見える。
  陶芸の里らしく、窯で使われたものらしい赤レンガのブロックで組んだアーチ橋。要の石だけは切石が使われてアクセントになっている。
  〜波佐見町教育委員会社会教育課山口係長から教えていただいた。

 写真 13  第  93 番  湯無田陶山神社入口のレンガ橋(仮称) 波佐見町湯無田郷
  大正時代(推定)        長さ 約4.0m  幅員 約4.5m(拡幅)
  湯無田郷から中尾に向かう旧道の陶山神社の前になる。
  陶芸の里らしく、窯で使われたものらしい赤レンガのブロックで組んだアーチ橋。要の石だけは切石が使われてアクセントになっている。中尾山入口の橋と共通の特徴が見られる。
  〜波佐見町教育委員会社会教育課山口係長から教えていただいた。
  (註 要石に「伊東橋」と刻まれていたため、HPでは仮称から橋名が変更された)

 写真 14  第  94 番  中尾山陶源橋(いわんした橋) 波佐見町中尾郷
  大正時代(推定)        長さ 約5.0m  幅員 約4.5m(拡幅)
  ひらがなの橋名を見た時は桃源郷かと思いました。
  中尾山の奥に向かって、左側が橋面を拡張してあり、左側がアーチ自体を拡幅している。左の上流側から覗いたたら、アーチの1/3程が拡幅しているのが判る。
  もともとは岩下(いわんした)橋であったが、開発事業でネーミング募集をして現在の橋名になったとの事。
  〜波佐見町教育委員会社会教育課山口係長から教えていただいた。

 写真 15  第 175 番  中川内の橋(川内川上流部の橋) 波佐見町川内郷中川内橋から支流に入る
  明治期から昭和初期      長さ 7.5m  幅員 2.9m 
  川内川上流に架かる中川内橋を渡って上流の右手に入る支流に架かる。
  1986年に波佐見町が調査した資料を基に、再度現地を歩いて出会えた橋。4年前には消失してしまったと早合点していたのだが、諦めきれずに捜し歩いた。
  蔓などで橋の姿が見えないが、現地で確認した姿はすばらしい。周辺の景観に溶け込んだ良い石橋だ。こんな石橋がもっと眠っているのではと思えば彷徨い歩くのも楽しい。

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              波佐見町に残るアーチ石橋(2)  東彼杵郡波佐見町

 東彼杵郡波佐見町に残るアーチ石橋は、15橋である。ただし、飛瀬の水路橋は石造アーチ橋としてカウントしない。5橋ずつで3項に分けた。
 なお、9の池は地元では「本谷池」(ほんだいんいけ)と言っていた。
 HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。

 写真  6  第 159 番  田別当のレンガ造橋   波佐見町湯無田郷(田別当川)
  明治末期〜昭和初期      長さ 7.0m  幅員 2.5m
  波佐見町に多いブロック状にカットしたレンガを上部に使用した橋。
  田別当川沿いに入って左手に高速の架橋が見えてきたら、道路右手に注意。
  〜県の河川課川内係長の情報で波佐見町文化財保護係の坂本氏から教えていただいた。

 写真  7  第  77 番  清 流 橋(鬼木橋・第二谷源志橋)  波佐見町鬼木郷
  大正末期             長さ 約6m  幅員 約1.5m
  川ばかり探して見つけられなかったら、こんなところに移築されていた。

 「大正末期、大鬼木川下流(元鬼木公民館前)に田中久太郎氏により築かれていた石橋は幾度の大水害にも耐えていたが平成2(1990)年7月2日発生の大水害による河川の災害復旧工事に伴い解体を余儀なくされ保存されることとなり平成4(1992)年久太郎氏の孫、福島正美氏の手で復元される。欄干、階段の部分は昭和12年久太郎氏の長男、要次郎氏により築かれた湯無田橋の一部であり、鬼木の清流の差とのイメージから清流橋と命名。第十二代波佐見町長松尾常盤氏の直筆を福島正美氏が彫刻したものである。」 〜鬼木郷説明板から〜

  旧道に架かっていた時は、地元からは鬼木橋と呼ばれ、正式には第二谷源志橋と言ったそうだ。また(第一)谷源志橋は、巨石積みの石橋と一部に紹介されていたが、実際には木橋であって、第二谷源志橋と混同されていたとの事のようです。山口係長自体が石橋にも関心をもっていらっしゃるようで、丁寧に教えていただいた。感謝。
  〜波佐見町教育委員会社会教育課山口係長から教えていただいた。

 写真  8  第 157 番  知 見 寺 橋     波佐見町金屋郷(知見寺川)
  明治末期〜昭和初期      長さ 7.0m  幅員 3.0m(現在は拡幅)
  石造アーチで1mほど拡幅され、さらにコンクリートで拡幅されている。
  金屋郷の入り口にある、金屋神社の大鳥居を潜って川沿いに左折する。やや走って右手に金屋下〆郷集会場の手前になる。
  〜県の河川課川内係長の情報で波佐見町文化財保護係の坂本氏から教えていただいた。

 写真  9  第 174 番  狸山の橋(本谷池下の橋)  波佐見町村木郷の本谷池下
  明治期から昭和初期      長さ 4.5m  幅員 1.9m 
  畑の原窯跡から道なりに登り、二股を右手に入って本谷池(ほんだいんいけ)に向かう。
  1986年に波佐見町が調査した資料を基に、再度現地を歩いて出会えた橋。4年前には消失してしまったと早合点していたのだが、諦めきれずに捜し歩いた。
  拱環厚25センチのしっかりとした輪石の状態は良い。コンクリートで拡幅されて現状は有効部分2.5mの橋として現役で働いている。

  再確認したところ狸山下池下の橋は、過去には有ったけれども、既になくなっていて、調査時に名前が混乱したものだろうとの事でした。だだ、現在でもこの橋を狸山の橋と呼ぶ方が多いそうですので、両方の名前を併記することとしました。

 写真 10  第  95 番  不 動 佐 橋       波佐見町村木郷
  明治時代(推定)        長さ 約4.0m 幅員 約4.5m
  畑ノ原窯跡に至る途中にある。畑の原窯跡に向かう途中に、「不動佐会館」という右の写真の赤屋根の建物がある。その手前右側の住宅の手前に架かっていた。橋の上流側には石組みの堰があり、これも楽しめる。
  また、この橋は途中で拡幅されたが、拡幅もまた石造アーチ橋であり並列された二基の石橋が一体となって使用されていた珍しい石橋だ。
  〜波佐見町教育委員会社会教育課山口係長から教えていただいた。

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              波佐見町に残るアーチ石橋(1)  東彼杵郡波佐見町

 東彼杵郡波佐見町に残るアーチ石橋は、15橋である。ただし、飛瀬の水路橋は石造アーチ橋としてカウントしない。5橋ずつで3項に分けた。
 HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。(在りし日の稗の尾の眼鏡橋写真は、波佐見町指定文化財HPから)

 写真  1  第   9 番  稗の尾の眼鏡橋   波佐見町稗の河川公園
  明治42年架橋 平成5年移築  長さ12.0m  幅員 3.7m
  陶石や焼物などの重量物を馬車で運搬するのに明治41年に架けられた橋であったが災害工事に伴い400m程上流からこの地に移築された。もとの架橋地には「波佐見町指定有形文化財」の看板だけが残っている。

 写真  2  第 150 番  杉 尾 橋(三股川下流部の石橋) 波佐見町永尾郷
  明治末期〜昭和初期       長さ 8.5m  幅員 約2.8m
  永尾郷には集落内にもう一基の端正な石橋が有ったが、すでに架け替えられたとのこと。県道一号線から永尾郷に入り史跡「皿山役所跡」から右手に入ってすぐ。
  〜県の河川課川内係長の情報で波佐見町文化財保護係の坂本氏から教えていただいた。

 写真  3  第60・61番  熊野神社御神橋・太鼓橋(宮の前橋) 波佐見町湯無田郷
  明治38年(御 神 橋)      長さ 3.7m  幅員 1.5m
  大正 7年(宮の前橋)      長さ 5.0m  幅員 2.5m
  熊野神社の参宮橋だが、この形式の橋にしては珍しく中央の桁柱がなくリブアーチの特徴を持っている。
  橋を見ていると、奥にも石造アーチ橋が見える。コンクリートで拡幅されているが、紛れもないアーチ橋だ。大正中期に作られた、熊野神社前の太鼓橋だ。こちらのアーチ橋は大正中期に作られたもの。

 写真  4  第 155 番  飛瀬の水路橋    波佐見町折敷瀬郷(川棚川右支流)
  明治末期〜昭和初期       長さ 4.0m  幅員 約1.8m
  レンガ積のアーチ橋であるが、県内では数少ない水路橋。
  町役場から北上して溜め池で車を止め、田んぼの脇を下ると見える。波佐見町内で見られるリサイクルのレンガ塊で組まれたものではなく、通常のレンガで組まれたアーチ橋。雰囲気が他の石造アーチ橋に劣らないので掲載したが石造アーチ橋としてはカウントしていない。
  〜県の河川課川内係長の情報で波佐見町文化財保護係の坂本氏から教えていただいた。

 写真  5  第 158 番  田別当入り口の橋  波佐見町折敷瀬郷(田別当川)
  明治末期〜昭和初期       長さ 5.0m  幅員 2.5m(現在は拡幅)
  波佐見町に多いブロック状にカットしたレンガを上部に使用した橋。
  田別当に入って左手に入る道がある。
  〜県の河川課川内係長の情報で波佐見町文化財保護係の坂本氏から教えていただいた。

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            史跡「川原悠々宅跡」のクスノキ  東彼杵郡東彼杵町瀬戸郷

 国道34号線千綿駅前を過ぎると、東彼杵町瀬戸郷のバス停があり、JA千綿支所がある。史跡「川原悠々宅跡」はこの背後の高台にあり、手前の車道を上がって行くか、先の小川沿いから細い車道を高台を目指し上がって行く。
 何れも高速道の下をくぐる。道路がわかりにくいから、高台に上がって高木の場所を探す。
 Otoji.K氏HP「長崎の名木」リストの中の説明は次のとおり。

                            クスの巨木

 東彼杵町瀬戸郷の民家の屋敷内にある。遠目から見るとさほどのクスでもないが、近づいて、その幹の大きさに圧倒される。思わず息をのんだ。
 幹周り10m、樹高15m。県下のクスの巨木では、長崎市の矢上神社のクスに次ぐ5位のクスノキである。クスの根の一部は民家に入り込んでいる。根元には小さな石の祠が2つ置かれてある。

 民家は「川原悠々宅跡」として町の文化財に指定されている。小さな庭園があり、池には鯉が泳いでいる。マンリョウとシロミノマンリョウが多数植えられてあった。川原悠々は習字師であったが、後に代官となり、この屋敷に居を構えた。俳諧を嗜み、82歳で没した。

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              太ノ浦のオガタマノキ  東彼杵郡東彼杵町太ノ浦郷

 東彼杵町太ノ浦(たのうら)郷とは、自衛隊大野原演習場近く。千綿渓谷から車は行けないから、国道34号線千綿宿先の東そのぎグリーンテクノパークへ上がる道路に右折して入る。
 「自衛隊道路」と言われ大野原までかなり進む。町営バスバス停があり、左方へコンクリート道を上がって行くと、太ノ原のまとまった集落に出る。

 「太ノ原」バス停の茶畑先にオガタマノキの木が見える。町指定天然記念物の巨木。この道をまっすぐ下って行くと、中尾郷を通り大楠小学校先で俵坂峠側の国道とまた合う。
 Otoji.K氏HP「長崎の名木」リストの中の説明は次のとおり。

                        オガタマノキの巨木

 東彼杵町太ノ浦郷太ノ原の太ノ原公民館近くにある。周辺は彼杵茶の茶畑がある。茶畑の斜面にあり、枝を斜面下に垂らしていて、樹形がいい。幹周り5.7m、樹高20mほどある巨木。祠が安置されていて神木である。
 町の天然記念物に指定されている。小長井町のオガタマノキに次ぐ巨木である。幹周りから想像すると樹齢900年ほどだろうか…。巨木の傍に、別のオガタマノキの大木があり、根元で繋がっている。

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