みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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                   五両ダキ・長崎鼻  北松浦郡小値賀町柳郷

 小値賀港ターミナルから、島内を一周する県道161号線により行く。長崎鼻は島の最北となり、柳郷の交差点から右方の道へ入る。すぐ「柿の浜海水浴場」の下り口があり、そのまま進むと、長崎鼻の牧場で道は行き止まりとなる。

 五両ダキの断層は長崎鼻の左湾曲奥部にあり、牧場の柵を開けて中へ入る。牛だけいてなにもないところ。斑島の大橋と島がかすんで見える。五両ダキの近くまで歩いていけず、斑島から写した最後の遠景の断層が五両ダキのようだ。
 HP長崎県五島列島小値賀島「観光よかとこ」による説明は次のとおり。

                             五両ダキ

 死火山のクレータが波の海食により湾曲に徐々に、削り取られて段差が出来て、内部に美しい断層が露出する。これをダキと云い、小値賀の海岸付近では、至る所、色取り取りのダキを見ることできる。
 中でもこの五両ダキの湾曲奥部は、標高差が60メートルの断崖あります。
 その下には、町指定の「はまゆうの」植物が群生し夏場には、あでやかでエキゾチツクな大輪の花が咲き乱れる。その先は真っ白い砂浜に、抜けるような透明な青い海が広がる景勝の地である。

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                  姫の松原  北松浦郡小値賀町笛吹郷・柳郷

 小値賀港ターミナルから笛吹大通りを上り、信号のある交差点から右折し島内を一周する県道161号線に入る。小値賀町役場の先は右方に下り小値賀空港の方へ向かうのが県道だが、まっすぐ左方の道へ行き、島の中央を南北に進むと、島の文教地区だ。
 「幼稚園前」バス停先に北松西高・小値賀小・小値賀中と続き、この道の両側約450mが「姫の松原」通りとなる。Yahoo!地図には「松香丘」の地名もあった。

 昭和58年「日本の名松100選」、平成6年「日本街路樹百景」に選ばれた。名松100選は、(社)日本の松の緑を守る会が全国の名松、松林を選定。長崎県内では野田浜(南島原市)・千々石海岸(雲仙市)・姫の松原(小値賀町)の3ヵ所である。
 途中に志々伎神社があり、境内に元軍船の碇石といわれるものがある。
 長崎県HP「文化百選 五島編」による説明は次のとおり。

                        27 姫の松原(小値賀町)

 …この松原は小値賀島の中央を南北に走る道路沿いに幅約20メートル、長さ450メートルにわたって広がり「姫の松原」と呼ばれているが、名前の由来はだれも知らない。ただ松原の中ほどにひっそりと、何かいわくありそうな「姫松様」と呼ばれる小祠がある。この松原は古文書によると江戸時代の延宝3年(1675)に小松を植林したのが起源らしい。今から320年も昔の話である。
 小値賀島は松の豊かな島である。五島列島で唯一低位平坦な女性的と評される端麗な島姿は、一方で絶えず海風にさらされ、農業生産に影響を受ける宿命を持っている。そこで島民は防風防潮林として長年松を植林し続け、大切に育んできた。その努力は今も続けられ、全島に美しい松林の景観が保たれているのである。

 ところで、この記事にある「姫松様」の小祠や、現地説明板にある老松2本のことがよくわからない。役場では道路右側にひとかかえある松の大木2本が今もあると聞いてきたが、それと思われるのは後の方の写真。
 根元に地蔵があった。しかし、大した大木でない。これくらいの松なら、島内のあちこちで見る。昭和61年の説明板は「最近までは2本の老松が道を覆い姫松様と呼んで信仰の対象となっていた」と過去形だ。すでに大木の老松は枯れ果てたのか。
 地峡埋立地と思われる中村三叉路近くの「御前(?)様」の松も大きいと地元で聞いたが、さほどでない。

 今、HPを調べると次の「姫の地蔵さん」という写真と記事があったが、和歌山県太地町だった。古式捕鯨に関連した土地の、同じ名の松原と地蔵の伝わり方と思われる。
 私には、「みさき道」と呼ばれる道が和歌山にもあることは知っていたが、ここの地蔵の傍らに「右ハみさきみち」と現実に刻んだ標石が存在し、残っていることがわかったのがなによりも嬉しい。
                       姫の地蔵さんの伝記

 8代将軍徳川吉宗の享保12年(1727年)頃、姫の松原の道端に道しるべの地蔵さんがたてられていたそうです。
 その頃のことですが、太地浦の鯨舟が大島沖で捕鯨合戦の末、姫の松原に上陸して一休みしました。その若者たちは、この地蔵さんを鯨に見立てて、銛を投げて突く稽古をしたのだそうです。その翌日、漁に出て大鯨を見つけたので、銛を鯨にいくつも打ち込み、格闘しながら沖へ沖へと引きずられていきました。そしてとうとう行方がわからなくなり、いくら探しても見当りませんでした。

 そのときの乗組員は約30人でしたが、村中あげての大騒ぎとなり、神様に無事をお祈りしました。そのとき、祈祷師の話に、姫の地蔵さんのたたりで、若者が命を失ったのだということでした.。それから、太地の人たちは新しく地蔵尊を寄進して、亡き人の冥福を祈ったそうです。
 その後、幾度かの道路拡張で座位置をかえられ、現在の所に祠が建てられ祭られています。
 この地蔵さんは、今では若いお母さんの乳受けの御利益があるというので、近郷近在はいうにおよばず、遠方からもご利益を受けに祈願に参られます。また、お礼参りの後も絶えません。その折り、地蔵さんに前だれを献納するならわしで、何十枚かの前だれが重ねられています。

 なお、地蔵尊の前側には次のことが記されています。
  右ハわかやまみち 享保十二丁未
  左ハみさきみち  願主 太地浦 澤信坊        (養春小学校100年のあゆみより)

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                     牛ノ塔  北松浦郡小値賀町中村郷

 小値賀港ターミナルから笛吹大通りを上り、信号のある交差点から右折し島内を一周する県道161号線を右回りする。小値賀町役場の先は右方に下り小値賀空港の方へ向かう。
 途中に中村郷船瀬海水浴場があり、この手前の海岸の岩礁に「牛ノ塔」は祀られ、堤防で参道が繋がっている。
 HP「おぢかの歴史」の資料である小値賀町教育会「小値賀町歴史・文化フィールドワーク」による説明は次のとおり。
                      2 牛ノ塔 (町指定史跡)

 現在一島である小値賀島はその昔,前方地域とその西側の地域の二島に分かれていた。松浦平戸家15代を継承した肥前守源定は鎌倉時代末期,命じてこの両島間を埋め立て田となした。現在神殿と新田と呼ばれている一帯である。
 この工事は「潮見様」という人柱の伝説を生むほどの難工事で,使役した牛が多く犠牲になったという。これを哀れんだ源定は工事が竣工した建武元年(1334),これら犠牲となった牛を供養するため舟瀬の海岸に妙典経約七万字を書写した一字一石経を埋納し,その上に供養塔を建立した。
 これが『牛ノ塔』である。現在も毎年4月に牛ノ塔祭りが開催されている。

 なお、HP”小値賀風土記”に、古記録や絵図に基づいた詳しい「牛ノ塔建設物語」があるので参照。
  http://www.yosimoto-ojika.jp/usinotou.html

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