みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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             ローマ字の橋名を刻んだ一の瀬橋  長崎市本河内1丁目

 長崎市の中島川石橋群は有名なため、多くのHPなどにある。ここに取り上げたのは上流部の2橋。かさ上げしている「古橋(中川橋)」は前項で見た。次はローマ字の橋名を刻んだ「一の瀬橋」。
 現地へ行った際は、橋の次の点を見落さないように紹介してみる。

 「一の瀬橋」は本河内低部ダムのすぐ下にある。市内電車の終点「蛍茶屋」電停から左へかつての長崎街道の道へ入る。電車車庫裏で一の瀬橋が中島川を渡る。
 橋の親柱にローマ字で橋名があることは知っていたが、Kazu氏ブログの「長崎の史跡」の項を見たので、一の瀬橋も訪ねてみた。
  参 照  http://blogs.yahoo.co.jp/kazu7046/39599623.html

 「ICHINOSE BASHI」の表記は、橋の手前と渡った先の親柱2本「一瀬橋」の橋名の上に刻んでいた。しゃれたデザインの彫り。ローマ字はまだはっきりしている。
 古橋と同じように、一の瀬橋にも長崎街道さるく説明板が新しく設置されていると思ったのだが、橋自体の説明板はない。前からあった「史跡 一の瀬口 蛍茶屋跡」の説明板だけだった。

 これには幕末頃と思われる一の瀬橋の古写真はあるが、簡単な内容の説明板である。橋の詳しい説明も折り込んだ説明板が、必要なのではないだろうか。
 古写真と比べ、親柱は形が違い付け直されたのがわかる。
 長崎市HP「長崎市の文化財」による説明は次のとおり。

                    一 の 瀬 口   市指定史跡  

    指定年月日:昭和45年10月7日 所在地:長崎市本河内町 所有者:長崎市
 一の瀬口は、一の瀬橋を中心とする日見街道の一部をいう。一の瀬橋は、承応2年(1653)唐大通事陳道隆(日本名穎川藤左衛門)が私財を投じて架設した半円形の石橋である。橋名にはローマ字で「ICHINOSE BASHI」とあるが、これは明治20年(1887)ごろ刻まれたものである。
 昔は、この付近は樹林が茂り、夏は蛍の名所であり、料亭があったので、いつのころからか蛍茶屋と呼ばれた。長崎を旅立つ人と見送りの人たちが別れを惜しんで酒を汲みかわしたのも、この地であるが、当時をしのぶ遺構は、今では、この一の瀬橋と付近の街道の一部だけとなっている。

 ところが 越中哲也先生稿は違う。九州文化図録撰書3「長崎街道」図書出版のぶ書房2002年刊、「天領長崎」72頁に「現在の一ノ瀬の親柱にローマ字でItinose Bashiと刻んである。これは明治15年(1882)、日見峠に車馬の通行できる日本最初の有料道路を造るとき、この橋を出発点としたので、車の便を考え、旧石橋を量上げしたとき、このローマ字入りの橋名を建てている」
 日見新道の開通は、明治15年(1882)だから、越中先生のとおりでよいのではないか。

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               かさ上げしている古橋(中川橋)  長崎市中川2丁目

 長崎市の中島川石橋群は有名なため、記事と写真は多くのHPなどにある。ここに取り上げるのは上流部の2橋。
 かさ上げしている「古橋(中川橋)」と、ローマ字の橋名を刻んだ「一の瀬橋」。現地へ行った際は、橋のこの点を見落さないように紹介してみる。

 「古橋(中川橋)」は中川2丁目にあり、新大工通りは一方通行なので、「中川」バス停の鳴滝入口車道側から行くとすぐである。かつての長崎街道に架かった石橋。
 中島川の支流、鳴滝川を跨ぐ。石畳道が残り古橋を渡れば「トロトロ坂」が蛍茶屋の方へ続く。
 「旧江戸に通ずる長崎街道石畳保存会」が以前に設置していた現地説明板に、古橋がかさ上げし、重量により欠けやすい部分が布石により補強されていることを図示で説明されていたが、わかりにくかった。
 最近、長崎街道さるく説明板に新しく設置替えされていることを、Kazu氏ブログの「長崎の史跡」の項により知り、説明板を写しに出かけた。
  参 照  http://blogs.yahoo.co.jp/kazu7046/43911012.html

 古橋は蔦が少し払われ、かさ上げ部分と以前の親柱もよく写せた。かさ上げした部分の重量だけでも重いのに、今は車も通る。アーチ石橋の堅固さを実感できる市内で珍しく貴重な橋である。長崎市HP「長崎市の文化財」による説明は次のとおり。

                   古    橋 (中川橋)  市指定文化財

    指定年月日:昭和47年6月10日 所在地:長崎市中川町 所有者:長崎市
 鳴滝川に架かるこの橋は、桜馬場から一の瀬に通じる長崎の玄関口にあたり、承応3年(1654)唐通事・林寺?(林守壂が正か)が私費を投じて架けた。眼鏡橋から数えて6番目に架けられた石橋で、この頃堂門・玉帯・高麗・一の瀬の各橋が毎年続いて架けられている。
 創架後崩流の記録はないが、現在は勾欄親柱等をそのまま埋めこんで、約1mかさ上げしてある。径間5.1mで、この水系最大の石橋であるが、側壁石に入念な仕事ぶりを見ることができる。大正7年(1918)下流に新しく中川橋が架かり、この橋は、古橋と改称された。

 ところで、古橋をかさ上げした時期だが、このHPや現地説明板は説明していない。
HP「長崎市観光・宿泊ガイド あっ!とながさき」によると、
 「かつては“中川(なかご)の段々”と呼ばれていたようにこの橋から続く坂道は石段だった。側面から見ると約1m近く野石でかさ上げされ、欄干の丸親柱が埋もれているのがわかるが、これは明治初期に車の交通に対応するため敷石が改良されたもののようだ。他に例を見ない貴重なものになっている」とある。
 九州文化図録撰書3「長崎街道」図書出版のぶ書房2002年刊、越中哲也先生稿「天領長崎」73頁にも、「中川橋も、石段を坂道に改造したときに一ノ瀬橋同様に量(かさ)あげされている」とあり、一の瀬橋の橋名を、ローマ字入りで「ICHINOSE BASHI」と建て、日見新道が開通した明治15年(1882)ごろのことと思われる。

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