みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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                     上丹馬のエノキ  長崎市香焼町

 長崎市香焼町の豊前坊社と岩立神社のエノキが、ともに樹高約20m、根回り約4mで、樹齢約200年と推定され、町当時から引き続き長崎市指定天然記念物になっている。
 香焼にこれより大きいと思われるエノキを見かけた。豊前坊社前のエノキの車道反対側、左下となる。

 上丹馬バス停から安保トンネルの安保側出口へ下る車道があり、しばらく行くと、カーブ地点の手前右斜面地にある。上は浜浦宅で、犬が吠える。エノキが2本あり、下が目通り幹囲2m、上が同幹囲4mはあると思われる。急な斜面地に根を張り、計測ができない。根を見せているためか、大きく感じる。
 この手前の車道右脇には大きな岩があり、くりぬいた小さな穴に地蔵が祀られ、アコウの大木が横たわって生えていた。水場だったようである。

 エノキの大木は、式見小学校のが別格、幹囲5.8m(高さ1.7mで3本の幹に分かれる)で一番大きく、市指定天然記念物になっている。香焼の幹囲4mほどなら、高浜海水浴場右側の川畔に防風林として植えられた老木の大木がある。蚊焼漁港にも大木がある。
  次を参照。 http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/28653125.html
          http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/30772193.html
 後ろの2枚が、高浜海水浴場近くと蚊焼漁港のエノキ。幹囲はそれぞれ4.0mあった。

 イチョウも大音寺墓地のが、市内一の大木とされ、市指定天然記念物になっているが、茂木の玉台寺境内の方のが、幹囲は大きいと思われる。
  次を参照。 http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/47702322.html
 地区によって天然記念物指定の不均衡とならないよう、専門家・関係者による正確な調査をお願いしたい。私の間違いがあるかも知れない。一応、紹介しておく。

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            香   焼 (9) 香焼炭鉱の海岸試錐跡  長崎市香焼町

 「香焼」(こうやぎ)は、長崎港口のかつて島であった町。長崎市の南部に位置し、市街地から車で約30分である。香焼山円福寺は別項。

 (9)は、香焼炭鉱の海岸試錐跡  安保海岸に明治40年の炭層試錐跡が3本現存していた。
 香焼町「香焼町郷土誌」平成3年刊の香焼の歴史39頁に1枚の写真があり、次のとおり記している。

 (湧水や鉄道隆起のため収支伴わず横島炭鉱に続き)…香焼炭鉱も明治37年(1904)3月廃鉱(停止)となり、時あたかも日露戦争が勃発し、村としても多難なときを迎えた。しかし幸いに、山下コークス製造所は相変わらず発展しており、明治33年末より着工していた長浜鉄工場が、明治37年10月、軍需の波にのって、漸く活動を開始したことは、村の発展を期待させる事柄であった。
 香焼炭鉱は廃鉱になったが、川田社によって採掘跡の残柱採掘が行われた。香焼炭鉱はこの後も、三菱に試錐(鉱床探査)を依頼、明治40年(1907)に海岸試錐に成功し、炭層の存在を確認することができた。このときの試錐の跡は、海岸に3か所あったが、現在では第1・第2次の跡は流失している。しかし第3次試錐の跡は現在でも残っている。恵理下と栗ノ浦との間の「高石」と呼ばれる岩場にあるのがそれである。

 この海岸試錐は、永い間採掘された陸上には開拓の余地なしとみて、海底炭田の開拓を目指したものである。試錘の結果は第1次で、上5尺、、上3尺、7尺、下3尺の各炭層を認め、第2次では断層の位置で5尺、上3尺の炭層を認めている。次の第3次試錐では第1次と同じ炭層を確認している。
 操業を停止していた香焼炭鉱は、操業を再開し、明治42年(1909)には7尺層の海底炭に着炭、地元では盛大なお祝いが行われている。これ以来、香焼炭鉱は、大正13年(1924)に休止するまでの間、本格的な採炭が行われた。… 

 以上が海岸試錐の記述である。同郷土誌の鉱工業180頁には、昭和42年岩本武重氏作成の「香焼炭鉱の最盛期(T.5前後)の主要施設概説図」があり、現地の安保海岸へ行ってみた。発電所跡の赤レンガ造の痕跡は、もはや確認できない。
 現在、伊王島大橋の架橋に伴い、開通している「香焼トンネル」の安保側から海岸を「高石」と呼ばれる岩場まで歩いた。試錐跡は、第3次の跡だけでなく、概説図の位置に第1・第2次の跡も流失していることなく、現存しているのが確認できた。

 第1次試錐の跡は、海岸道路の終点すぐ手前の石垣の下に半分は埋れていた。第2次の跡は、それから海岸伝いに100mほど歩いた所。第3次の跡は、またそれから100mほど歩き、郷土誌どおり「高石」と思われる岩場手前の所にあった。ここまで来ると、栗ノ浦の対岸の岬が見えてくる。途中の海岸には炭層が露出していると思われる所もあった。
 試錐の跡の形状は、縦90cm、横70cm、高さ1m位。土台は+5cmとしたコンクリートの四角い固まり。ボーリングの鉄管穴が中心にある。荒波により破損の状況や高さはそれぞれ違うが、3つとも造りは同じだったから、試錐の跡に間違いないと思われる。写真は各4枚ずつとした。
 前の海にかつての横島炭鉱と高島炭鉱の島が近くに浮かぶ。炭鉱の歴史を学ぶことができた。

 最後の写真は、3月24日に再調査。第2次試錐と第3次試錐の跡の中間に水場であろう赤煉瓦造が残っていた。後は、恵理から栗ノ浦への山道に塞がれて残る試掘の跡「狸穴」である。

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