みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18

イメージ 19

            三和の散策 (7) 川原の風景・史跡  長崎市川原町

 長崎市の三和地区は、市街から南西に突き出した長崎半島の中央部に位置する。三和の散策(7)は、川原の風景・史跡。
 年崎へ架橋中の工事現場、年崎海岸の礫質片岩、川原本村の蛇紋岩の円礫浜、恵美須山砲台台場跡、宮崎川(モウタレ川)渡りの祠と石橋跡、秋葉山の秋葉神社、同神社からの遠望
 昭和30年2月、蚊焼・為石・川原三村合併で「三和町」が誕生。平成17年1月4日、長崎市に編入された。

 長崎さるくマップブック「三和界隈」82〜83頁による説明は次のとおり。

 写真  2〜    年崎海岸の礫質片岩
 「礫質片岩」は礫岩を原石とした結晶片岩で、全国的にも珍しいといわれています。特に、年崎海岸の礫質片岩は原石の礫も明瞭に観察できる露頭したもので、地質学的にも学術的にも貴重なものです。

 写真  5〜    蛇紋岩の円礫浜
 蛇紋岩はかんらん岩が水を含んで変質してできた岩石です。脂肪光沢を持った濃緑色の岩石で、栄上を中心に三和地区一帯に広く分布します。この蛇紋岩の礫だけでなる円礫浜は日本でも珍しい貴重なもの。川原本村海浜と川原海水浴場一帯に広がっています。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18

イメージ 19

イメージ 20

イメージ 21

            三和の散策 (6) 川原の風景・史跡  長崎市川原町

 長崎市の三和地区は、市街から南西に突き出した長崎半島の中央部に位置する。三和の散策(6)は、川原の風景・史跡。川原住吉神社のクスノキと狛犬、城山の古城址、大聖寺跡の墓碑群、薬師寺、八幡神社、法音寺
 昭和30年2月、蚊焼・為石・川原三村合併で「三和町」が誕生。平成17年1月4日、長崎市に編入された。

 長崎さるくマップブック「三和界隈」82〜83頁による説明は次のとおり。

 写真  1〜   住吉川原神社のクスノキ(市指定天然記念物)と狛犬
 川原地区の守り神として千年以上の歴史を持つといわれている住吉神社の境内には、樹齢約500年といわれる大クスノキがあり目を惹きます(目通り幹囲5.75m、樹高26m)。
 また、社殿前には趣がある一風変わった石彫一対の狛犬が社殿を護っています。

 写真  6〜   城山の古城址
 三和地区唯一の在地豪族・河原氏古城址といわれている場所で、約千年前、始祖河原大蔵太夫高満が家臣を伴ってこの地に入部したと伝えられています。城構えとしては古川堀を境に大聖寺跡及びマッテン様一帯と考えられ、半開きの井戸が残っています。

 写真 10〜   大聖寺跡の墓碑群
 在地豪族河原氏の古城址「城山」の斜面一列に並んでいる五輪塔約28基、宝篋印塔約20基の古墳群です。最も新しい五輪塔には、享禄4年(1531)の年記銘があり、最も古いのは15世紀の中頃の物と推測されています。五輪塔は宇宙の五大要素(空・風・火・水・地)を象徴した石造物です。

開く トラックバック(1)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18

イメージ 19

イメージ 20

イメージ 21

イメージ 22

        長崎学さるく“長崎港口の史跡と台場めぐり” (2)  平成21年4月

 平成21年4月26日(日)曇り。長崎学さるく幕末編の3回目“長崎港口の史跡と台場めぐり” 小菅から女神大橋を渡り立神まで歩く。講師は、長崎楽会の中尾武氏。参加、スタッフとも31人。前日からの強風は止んだ。
 小菅修船場9時半発―戸町番所跡―金鍔谷―魚見岳台場跡―女神大橋―神崎神社(昼食)―神崎台場跡―天門峰へ登頂―西泊が丘兵舎跡―西泊中―佐藤家住宅―西泊番所跡―立神公園15時半着 (距離約10km)

 ベイサイドウォーク&マラソンが毎年10月、企業や報道各社の支援のもと、大々的に行われている。さるく幕末編となると、このような史跡めぐりも力を入れてほしい。
 小菅修船場跡は通称「ソロバンドック」。国指定史跡であり、近代化遺産・機械遺産。アーチ式石橋も残る。
 戸町番所跡は国分町の住宅地となっている。長崎県史跡に指定されているのは、4本の境界標石である。入口手前石垣は山田水産別荘跡らしい。3階建て木造は戸町遊郭跡の建物。
 トマス金鍔次兵衛は、列福記念で外海の「次兵衛岩」のみが注目されている。戸町にはもともとから知られる「金鍔谷」がある。
 国指定史跡魚見岳台場から女神大橋を渡り、神崎神社上宮の広場で昼食。

 午後から神崎台場跡を見る。古台場・新台場・増台場が築かれた珍しい台場。「従是神崎台場御焔硝蔵掛并常住小屋境内」の標石2本が残る。江越先生の発見。
 天門峰に登ると女神大橋が俯瞰できる。長崎帆船まつりで飛帆、観光丸がクルージングしていた。松が枝埠頭のセイルドリルが見えた。山頂岩の明治9年「地理局測点」は近代測量史の貴重な遺跡。岩の刻みが消えかかり、魚見岳の標石とも早急な保護が必要である。
 西泊が丘までの途中、稲佐山から縦走してきたミラン、宮さんの2グループと会った。障子岩山は戦時中、高射砲陣地構築のため山容を変えた。今は西泊が丘と称して広場となっているが、棘の原だ。林間に入ると広い陣地の兵舎跡がよく残り、水槽が歴史を物語る。

 西泊中学校に出て、坂段を西泊へ下る。佐藤家住宅の母屋、石造倉庫などは国登録有形文化財。古くから貿易に関わりを持った旧家の建物である。近くの通りに古い井戸や三角溝がある。
 トンネル手前の西泊番所跡が最後の見学場所。千人番所と言われたが、標柱で場所を示しているだけである。立神公園で解散。
 写真(1)は、神崎神社上宮の広場の昼食まで、(2)は、神崎神社午後からのコース。
 次回は、5月3日(日)に”長崎街道(矢上宿ー古賀間)歩きと滝の観音・現川の史跡めぐり”

全1ページ

[1]


.
みさき/michito
みさき/michito
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事