みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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            時津の茶屋(本陣)周辺の桁石橋  西彼杵郡時津町浦郷

 江戸期、時津街道を往来する諸大名、幕府役人の休憩、宿泊にあてられた時津の茶屋(本陣)。古い屋敷が残り、外囲いに堀のような小川が流れる。
 祐徳稲荷神社の方まで行って一周すると、桁石橋が3橋あった。大きい板石2つで造った茶屋(本陣)正門橋は、風格がある。裏手の方の上流にある住宅橋は、階段橋のようになっていた。
 茶屋(本陣)の現地説明板は次のとおり。

                            茶屋(本陣)

 時津は船待ちの港として神功皇后外征ゆかりの伝説を持つ港町である。殊に元亀2年(西暦1571年)長崎開港後は長崎奉行、学者、文人の往来を始め、中国、オランダ交易品の上方、関西方面送りなど大変、栄えたところである。
 その本陣として寛永10年(西暦1633年)市場南に建立されたのが茶屋(本陣)のはじまりである。その後、茶屋(本陣)は、我国の外交内政の激動期、すなわち、徳川幕末近く、文化10年(西暦1817年)大村藩主の命によって、高谷正蔵が旧時津街道に沿い、この地に建てて諸大名、幕府役人の休憩、宿泊にあてたところである。
                                時津町教育委員会

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             本蓮寺・福済寺・観善寺と墓地風景  長崎市筑後町ほか

 JR長崎駅近く。筑後町や玉園町の高台にある本蓮寺・福済寺・観善寺と墓地風景。
 聖福寺は別項。長崎港を望めたが、高いビルが建ち、墓地の上まで上がらないと見えない。
 長崎さるくマップブック42〜43頁の「本蓮寺」と「福済寺」の説明は次のとおり。
 観善寺の大クスは、樹高20m、幹周り 8m。市指定天然記念物。

                           本 蓮 寺
 大音寺、皓台寺と並ぶ長崎三大寺の一つ。お寺になる前は、二十六聖人の一人、聖ペトロ・パプチスタンゆかりのサン・ジョアン・パプチスタ教会とサン・ラザロ病院がありました。
 その頃の井戸が、本堂右側の庭園に残っています。幕末に勝海舟が海軍伝習所で航海術を学んでいた頃、このお寺の一角に住んでいました。

                           福 済 寺
 同じ唐寺の興福寺、崇福寺と合わせて三福寺と言われ、原爆で全焼するまでは国宝に指定されていました。亀の上に乗った大きな観音様は正式には「萬国霊廟長崎観音」といい、高さ18m、地面からだと34mもあります。観音様の中にある地球の自転を示す「フーコの振り子」は、わが国有数の大きさです。

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               聖福寺 大雄宝殿・天王門・山門  長崎市玉園町

 JR長崎駅から歩いて、約15分の近さにある。長崎随一の景観の寺。拝観料不要。
「聖福八景」として多くの文人が詩に詠んだ。さだまさしの映画「解夏」幼い日かくれんぼの舞台。
 「じゃがたらお春の碑」は、裏に歌人・吉井勇の歌『長崎の鶯は鳴く 今もなほ じゃがたら文の お春あはれと』

 聖福寺は、自然につつまれ、静かに当時のたたずまいを残す。
 長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

            聖福寺 大雄宝殿・天王門・山門  県指定有形文化財・建造物

  指定年月日 昭和36年11月24日  所在地 長崎市玉園町3−77  所有者 聖福寺
 唐僧木庵に師事し、名僧の誉れが高かった長崎の人鉄心道胖のために、時の長崎奉行牛込・岡野の両氏や在留唐人の有志で一寺創立したのが、この聖福寺であるから、他の興福・福済・崇福の3福寺とは創立の由来が異なる。建築様式も3福寺の唐風朱丹塗りを避け、細部に黄檗様式はあるが、概して本山の宇治黄檗山万福寺の殿堂に近いのは、鉄心が本山に長く修行したからであろう。
 大雄宝殿は正徳5年(1715)改築のもの。棟梁は長崎の楠原与右衛門。釉瓦は珍しく、肥前武雄の製。半扉に彩色した桃の浮き彫りがある。天王殿は長崎では唯一の遺例で、布袋(弥勒)と韋駄天像を置く。棟梁藪本次兵衛以下堺の工匠で宝永2年(1705)の上梁。山門は堺の豪商が寄進し元禄16年(1703)の上梁。工匠は天王殿に同じ藪本以下堺の工匠である。

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