みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

イメージ 1

イメージ 2

         長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 558 屋形舟(1) ほか

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 目録番号: 558 屋形舟(1)      関連作品 目録番号:598(2)、628(3)、738(4)、828(5)、1766(6)
  〔画像解説〕
  川を航行する屋形船に多くの人が乗船している。船頭2人が櫓をこぎ、他の12人は客か。男女入り交じった客はそれぞれ思い思いの場所でポーズをとっているが、川遊びか渡し船の演出写真と思われる。

 目録番号:2658 隅田川の舟遊び(1) 関連作品 目録番号:2665(2)、4583(3)、4623(4)、
4772(5)
  〔画像解説〕
  2665・4543と同じ山谷堀河口の有明楼(ゆうめいろう)前の今戸河岸で撮影したもの。背後の大きな木のある辺りが牛の御前とも称された牛島神社(現在は下流の向島1丁目に移転)や長命寺(ちょうめいじ)の辺りである。中央の欄干に手をかけているの人が内田九一とすれば、九一の弟子が撮影したのものであろう。写真の周囲がカットされており、後に複写彩色され販売された写真である。

  ■ 確認結果

 目録番号: 558「屋形舟(1)」ほか関連作品の6作品は、タイトルが「屋形舟」、撮影者:未詳、撮影地域:未詳となっているが、目録番号:2658「隅田川の舟遊び(1)」ほかの関連作品と同じ作品である。
 したがって、撮影場所は東京の隅田川、撮影者は内田九一やその弟子、その他臼井秀三郎などとなる。集合が必要。
 この項は次の記事も参照。 http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/59844191.html

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

          長崎の幕末・明治期古写真考 明治絵葉書 長崎材木町魚市場

 眼鏡橋の1つ下流の石橋「袋橋」脇の中島川公園に設置されている「長崎さるく説明板」に使用されている明治絵葉書の古写真。長崎歴史文化博物館所蔵となっている。
 絵葉書のタイトルは「長崎市材木町魚市場」だが、さるく説明板は「中島川の成り立ち」として、次のとおり説明している。

     中島川の成り立ち

 明治時代の中島川の風景です。中島川は自然にできた川ではなく、長崎開港後、ポルトガルや中国との貿易港として栄えた南蛮時代に人工的に造られた川です。かつて「大川」とも呼ばれていた中島川は、まちの中心部を流れ、住民の生活のより所となる「母なる川」として、歴史的にも文化的にも重要な役割を果たしてきました。明治末期頃、中島川は輸送用の小船などが行き交い、重要な水路としてまだ利用されていました。写真は賑橋(当時の材木町)付近で、川を運搬路として利用し、魚市場等が設けられていました。

  ■ 確認結果

 中島川公園には、清水崑の少年かっぱ「ぼんたくん」に会いに行ったのではない。数年前からここに設置されている「長崎さるく説明板」を確認に行った。 

 ブログ長崎の手彩色絵葉書 http://ameblo.jp/ehagaki-nagasaki/theme-10011185899.html
 「長崎魚市場は、寛永時代 (1624-1643) に長崎市金屋町に開設され、その後、魚町、材木町へと移りました。 寛永4年 (1664) 、材木町、中島海岸に移転した魚市場は、明治後期まで使用されたようです。…
 この絵葉書の場所は築町付近で、右手には橋が見えます。この中島川には、日本初の鉄製の橋、銕橋 (くろがねばし)があります。長崎市民は親しみをこめて「てつばし」と呼んでいます」
とあり、誤解がある説明であろう。

 「長崎さるく説明板」は、袋橋の所にある。下流の常盤橋を挟んで次の下流の賑橋を向いて設置されていたので可とした。しかし、上流に魚市橋があるので、市場の変遷を少しふれるべきだろう。隣の遊さるくゴール地点地図に賑橋が載っていないので、「写真は、このすぐ下流の賑橋(当時の材木町)付近で」くらいは説明してほしい。

 ところで、古写真の右側の橋は「賑橋」だろうか。これは間違いない。HP「長崎・中島川石橋群と眼鏡橋【ここは長崎ん町】」の次記事を参照。フラットトラス構造の鉄橋の時代があった。賑橋脇には現在の通称、恵比須神社があるあたりで、電車軌道が斜めになって中島川を渡っている。
  http://isidatami.sakura.ne.jp/isibasigun2.html

   賑橋(にぎわいばし)(第十三橋)
 賑橋は江戸時代初めに木廊橋として架橋され、「榎津橋」または「第十三橋」と呼ばれた。
 1666年(寛文6)崇福寺の大壇越であった何高材(がこうざい)の寄進によって石橋に架けかえられたが、1795年(寛政7)の大水害で流失、1799年(寛政11)公費で再架橋された。
 1901年(明治34)フラットトラス構造の鉄橋に架け替えられ時、付近に魚市場があり賑わっていたことと、榎津町と材木町との間に架かっていて、どちらの町も「木」偏が付いていて、二つの木(き)が合う「にぎあう」ということで賑橋と改称されたと言われている。
 1928年(昭和3)鉄筋コンクリート橋になり、現在の橋は1990年(平成2)に再架されたものである。

 確認したのは、屋根上に少し写った背景の山並みである。賑町パーキング7階から見たら、現在の立山、長崎県立長崎東高校上の山(若杉山か。古写真の目線は低い)の稜線と思われる。
 古写真と同じような橋の光景は、逆に上流右岸から榎津町を向いても写せる。そうすると山の姿が違う星取山あたりが写る。
 あくまで絵葉書のタイトルどおり、中島川左岸(榎津町側)から材木町(現在は賑町)を向いて撮影した写真であろう。最後が「長崎さるく説明板」の設置場所。正面の橋は常盤橋である。

全1ページ

[1]


.
みさき/michito
みさき/michito
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事