みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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         長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 741 海岸の民家 ほか

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 目録番号: 741 海岸の民家
  〔画像解説〕
  大きな石の連なる海岸。岸辺からすぐ山が立ち上がっているのであろう。山から引いた水が樋から勢いよく流出し、その下で男がその水を浴びている。単なる水浴びなのか、別に意味があるのか不明である。

 目録番号:1473 伊豆熱川海岸
  〔画像解説〕
  詳細不明。東海道に隣接する海岸の風景と思われる。海に面したわずかな平地に、民家がへばりつくようにして軒を並べている。

  ■ 確認結果

 目録番号: 741「海岸の民家」と、目録番号:1473「伊豆熱川海岸」は、同じ場所を撮影していると思われる。 目録番号:1473 は、場所詳細不明。タイトルを「伊豆熱川海岸」としている。東伊豆町「熱川海岸」は、伊豆半島南東端の下田近くとなる。

 2作品とも海岸温泉の風景であろう。これは伊豆の「熱川温泉」ではなく、熱海の「伊豆山温泉」ではないだろうか。伊豆山温泉観光協会HPによる説明は下記のとおり。
 なお、同じ場所と思われる古写真が、平凡社「大日本全国名所一覧 イタリア公使秘蔵の明治写真帖」2004年11月 初版第二刷発行の、224頁東海道之部(掲載略)にある。
 タイトルは「伊豆山権現湯滝」。「伊豆山神社走湯。伊豆山権現は明治元年伊豆山神社と改称された。その創建は古く祭神も時代により諸説がある」と解説している。
 また、HP「古写真.jp: 幕末明治時代 日本古写真 販売」によると、同じ作品はタイトル「熱海」となっている。

 おって、学習院大学史料館編「明治の記憶ー学習院大学所蔵写真」吉川弘文館2006年刊49〜57頁に、「4 明治11年(1878)明治天皇北陸・東海両道巡幸写真」として掲載されている。同解説は次のとおり。
   21 熱海山之湯滝
 静岡県熱海市の中央部にある熱海温泉は、奈良時代から万病に効く霊湯として知られ、近世には将軍家をはじめ、東海道を往来する諸大名や江戸の町人まで湯治に利用した。2枚の写真は、海岸の温泉宿から流出する筧の湯を浴びる男性を撮影したもので、明治天皇の巡幸路とは無関係だが、台紙の状況等から明治5年(1872)巡幸時に撮影したもので、明治8年に没した写真師内田九一の撮影と推定できる。

    日本三大古泉「走り湯」あれこれ (伊豆山温泉観光協会HPから)

 走湯山は湯の湧き出る場所があり、走り湯と名づけられていました。…
 走り湯は源頼朝・北条政子をはじめ三代将軍や北条氏早雲などの領主たちが入浴した。1590年(天正18年)秀吉による小田原征伐によって伊豆山は焼け野原となり、その際は仮小屋草葺き屋根の粗末な風呂場であったという。

 しかしながら江戸時代の大名、歌人、茶人利休、古田織部などもお参りの際に入浴した。江戸城構築の為に伊豆山から沢山の大石が船で運ばれ、多くの者が書く大名のもとで働いており、その為怪我人も絶えず、走り湯に入っての治療も盛んで、治療効果もずば抜けていたという。江戸時代は、この温泉に一般庶民が入る為には旅籠の湯、または海に近い湯の捨て湯である波打ち際で入るしかなかったと言われる。

 そのため、ますます走り湯と伊豆山権現は有名になり、東北地方からも団体の「講」がお参りしていた。海岸にあった旅籠の風呂に入ってから宿の主人御師(祈祷師)に引き連られて、伊豆山権現までの900段近い石段(現在は873段)を昇った。
 温泉に入るときは前出の「無垢霊場 大悲心水 沐浴罪滅 六根清浄」と必ず唱え、昭和20年頃までは共同浴場に入る際にも地元で信仰の篤い者は唱えながら頭から湯をかぶっていたという。第二次大戦後間もない頃には馬の為の「馬の湯」もあった。

  走り湯の効果と三大古泉
 走り湯はかつて一昼夜に7千石(1296t・毎分900l)の湯を噴き出し、源泉温度が70度ほどあったと言われるが、乱掘が続いた結果現在は毎分180l、70度ほどとなっており、伊豆大島の噴火などで温度が上昇することもある。
 この温泉はもともと石膏泉で硫酸カルシウムやマグネシウムが多く、骨の病気、怪我傷口、膿をもった腫れ物、水虫、皮膚病などに効果があるといわれる。現在は塩分・苦味も強くなり、胃腸や神経痛、リウマチなどにも良いとされている。

 走り湯の1300年以上の歴史の中、関東大震災のときのみ噴出が止まり、土地の者たちが鉄棒でつつきまた湯が出るようになった。その際に、物凄い音が地底から響いてきたので、皆一斉に逃げ出したという逸話がある。
 日本三大古泉とは、熱海伊豆山走り湯温泉・四国松山道後温泉・神戸六甲山有馬温泉となっている。

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          長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 606 寺の境内(1)

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 目録番号: 606 寺の境内(1)
  〔画像解説〕
  未詳の寺の境内である。二層の立派な蔵の構えからみて東京芝の増上寺の寺の一部か。左隅には大灯篭の端がみえる。水盤社の構えも大きく、井戸の横の銅製と思われる飾り水盤も大きい。木の鳥はご愛敬である。

  ■ 確認結果

 目録番号: 606「寺の境内(1)」は、東京芝の増上寺ではないようである。二層の立派な付属建物の構えから調べると、浅草の「東本願寺」が考えられる。
 平凡社「大日本全国名所一覧 イタリア公使秘蔵の明治写真帖」2004年11月 初版第二刷発行の159頁に掲載されている。山門から入って、本堂の右側手前に写っている二層の白い建物が造りが似ている。

 寺の境内図や写真がなく、位置関係ではっきりしたことを言えないが、本堂前から振り返って左側の飾り水盤の方を撮影すると、二層の建物がこのような角度で写るのではないか。現在「浄華堂」となっている建物と思われる。
 土木学会図書館|戦前絵葉書ライブラリ 10.風水害 明治43年8月「1.浅草東本願寺前の浸水」に、二層建物は大きく写っているから参照。
  http://library.jsce.or.jp/Image_DB/card/10_image_thum.html

 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による寺の説明は次のとおり。現在の本堂写真は、須藤石材株式会社HPから。

    東本願寺(台東区)
 東本願寺(ひがしほんがんじ)は、東京都台東区西浅草一丁目にある浄土真宗の寺院である。正式名称は浄土真宗東本願寺派本山東本願寺。真宗大谷派から独立し結成された浄土真宗東本願寺派の本山である。境内は4250坪。本尊は阿弥陀如来。住職は、浄土真宗東本願寺派第26世法主の大谷光見(聞如)。…
 1923年(大正12年)には、関東大震災により本堂等を焼失。現在の本堂は、1939年(昭和14年)に再建されたものである。

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