みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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             四本堂公園にある長崎要塞区域標  西海市西彼町白崎郷

 国道206号線西彼町の旧オランダ村手前交差点から右折。総合体育館前を通り、北東の母衣崎へ約3.7km、「四本堂公園」の案内標識により進む。
 「長崎要塞区域標」は、四本堂公園北端のオートキャンプ場下の海岸部にある。史跡「御腰掛岩」があるすぐ上の林間に、地元が設置した碑とともにある。碑文は次のとおり。
 標石は「長崎要塞区域標」「第一五八号」「陸軍省」「明治三十二年七月十四日」である。

     長崎要塞地帯 四本堂要塞
 旧陸海軍は一八九八年(明治三十一年)要塞地帯法公布に基づき東京湾、広島湾、下関、対馬、長崎、佐世保などの重要な海岸等軍事施設の拠点として要塞地帯に指定し機密を守るための周辺への立ち入りを禁じた。
 この四本堂要塞は敵国の侵略から軍都大村、長崎を守るため設置されたものである。
 これまで、地元も存在を知っていなっかったが二〇〇八年(平成二〇年)五月標柱が発見された。長年の風化で刻字の判読が難しく、今後、永く戦争遺跡として継承していくため新たに標柱を設置する。                  平成二十年十月吉日 白崎郷

 地元のせっかくの碑と新たな標柱だが、少し誤解がある。「要塞地帯法」の公布は、明治32年(1899)7月14日。ここに四本堂要塞が設置されたのではなく、標石は佐世保要塞の軍事機密を守るため、法に基づき外周約10kmの第三地帯に建てた警戒区域標である。里中にも多く立っていた。建立の「明治三十一年」も判読が違う。佐世保に残る標石はすべて「明治三十二年七月十四日」と刻まれている。

 参考のため、当時の佐世保要塞地帯図を載せる。「佐世保要塞地帯は、佐世保市、佐世保湾、北松浦郡の西南部、西彼杵郡の西北部、大島、黒島、江ノ島、平戸島を加えた水陸一帯の区域で、佐世保市に佐世保要塞司令部と重砲兵聯隊が置かれた」と説明がある。
 2008年標石発見の経過が不明だが、この標石は佐世保の高橋輝吉氏がすでに10年位前に見つけ、地元へ知らせていた。高橋氏地図の同地に「アリ 第158」とはっきり記している。
 四本堂公園は、次のHPも参照。  http://hasamiooen.fc2web.com/2009-report-24.html

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