みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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                大瀬戸町の主な史跡 (4)  西海市大瀬戸町

 西海市大瀬戸町の主な史跡。大瀬戸町「大瀬戸町郷土誌」平成8年発行の第5節郷土の史跡117〜156頁による説明は次のとおり。項目の番号は調整。

 写真  1〜  2  (14) 瀬戸の六体地蔵

 当地蔵尊は、瀬戸西浜郷の、国道202号線沿いの峡戸(瀬波戸)に奉祀されている。本尊として、六体地蔵が岩壁に彫り付けられているが、この地蔵尊は、桜井宰相兼繁卿の3男といわれる、初世院円順が彫り付けたものといわれる。
 円順は、萱瀬村(大村市)の石場郷にある、熊野大権現の宮司であったが、その後、実子の教順に宮司を譲り、自らは領内(大村藩)を巡歴し、各地の破損した神社の再建に努めていたが、その折に瀬戸を訪れて、長濱大明神の石鳥居を建てたり、石段を築くなどしたといわれるが、当時、甚だ狭くて通行に困難していた狭戸の海岸に石垣を築き、新道を造って人々の難儀を救ったという。その折円順は、それまでこの地で亡くなった者の霊を祀り、あわせて以後の安全を祈願するため、狭戸の岩壁に、六体地蔵を彫刻したと伝えられている。
 瀬戸に住むこと7年、円順は東川棚に移り住み、かねてから信仰していた岩屋大権現の神殿を、岩窟をうがって造り、30段の石段を築いたといわれる。円順はその後、再び萱瀬村に帰り、
88歳で世を去ったという。
 以前は、入江の県道沿いにあった六体地蔵は今もなお、交通頻繁な国道沿いに鎮座し、交通安全を願っている。

 付記 一説には、円順が大村に来たのは元禄9年(1696)であるが、六体地蔵は、天和2年(1682)前に彫刻されてあるので、円順が彫刻したものではないといわれる。
  (大瀬戸町郷土誌 本町の神社196〜197頁から)

 写真  3〜  9  (15) 目一ツ坊の洞窟

 目一ツ坊は、河通川の南岸に聳える、標高330mの、峻険な山塊の頂上に近い急斜面にあり、その頂上にある巨大な岩山を目一ツ坊岩と呼んでいる。この岩山を遠くから眺めると、ちょうど帽子をかぶったように見える。この周辺には、かつての石鍋製作所跡があり、現在もその未完成品が散在し、滑石露頭面にはその痕跡をとどめている。
 なおこの近くには、高さ6〜7mの断層間の間隙に、通称「弁慶岩」という洞窟があるが、この洞窟については次のような話が伝えられている。
 「巨岩の内には洞窟があり、この洞窟に近づくと、その身に凶禍が及ぶ」といわれ、この洞窟には誰1人入った者はいないという。また「この洞窟の奥には石棺が置いてある」とも伝えられるが、それをまた見た者はいないといわれる。
 一説には、かつての古代人の住居であったとか、キリシタン信者の隠れ場所であったとかいわれるが、いずれも定かではない。
  (大瀬戸町郷土誌 口碑・伝説・民話228〜229頁から)

 写真 10〜 14  (16) 小田貝塚遺跡

 小田貝塚遺跡は、大正13年に長崎考古学会によって発掘調査が行われ、弥生時代の貝塚として周知されている。そのときの発掘記録によれば、石鏃・石斧・土器の破片・人骨の一部・獣骨・石乳棒に13種類の塩水産・淡水産の貝殻が出土しており、本県西南部地域における弥生遺跡の特徴が伺える貴重な遺跡といわれている。
 遺跡は、雪浦川支流である小田川と河通川に北と南を挟まれており、両河川の合流点にも近い。標高は7〜14mほどである。なお、貝塚周辺の山地や河通川の上流には、鳥越城跡・石鍋製作所跡・つがねの滝・岩背戸渓谷・オシドリ渕などの史跡名勝がある。
  (現地説明板から)

 写真 15〜 17  (17) つがねの滝

 河通川は河路延長約8kmである。つがねの滝、おしどり渕等高度200m前後には大きな遷移点がある。地形の侵食が進んでいる。この滝の高さは約20m。周辺では多くの種類の動植物を観察できる。
 この川には、つがねがよく育ち水の流れとともに滝に落ちることから「つがね落としの滝」の名がある。美しい景観と涼を求めて訪れる人が多い。夏の風物に清流でのソーメン流しがある。
  (大瀬戸町郷土誌 郷土の自然10頁から)

 写真 18〜 19  (18) 多以良柳海岸の化石層

 西彼杵半島県立公園柳浜海水浴場の先。多以良柳海岸の化石層(タマキガイ 蛇の目層)
  (大瀬戸町郷土誌 郷土の自然28頁から)

 写真 20      (19) 玄武岩の岩脈? 

 場所:西彼杵郡大瀬戸町高帆山西海岸  約8800万年前頃の中生代白亜紀の終わり頃にできたかこう岩の割れ目に,約800万年前の玄武岩マグマ(黒い部分)が割り込んで(貫入)いる様子が観察できます。柳海岸から南西へ約1.5km,海岸沿いに歩いたところにあります。
  (長崎県の地質現象HPから)

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                大瀬戸町の主な史跡 (3)  西海市大瀬戸町

 西海市大瀬戸町の主な史跡。大瀬戸町「大瀬戸町郷土誌」平成8年発行の第5節郷土の史跡117〜156頁による説明は次のとおり。項目の番号は調整。

 写真  1〜  2  (10) 奥浦の金山跡

 奥浦部落の広瀬神社の登り口から、雪浦ダムへ約100m程行った「やなば」という道路傍に、人が立っても出入りが出来るほどの坑道がある。この坑内に溜まっている水は、どんな旱魃の時でも、その水位が変らないといわれており、またその深さはどのくらいあるか見当がつかないという。この坑跡が、かつてここから金を採掘したといわれる奥浦の金山跡である。
 この奥浦金山は、町内の長畠にある岩山(タカの巣)の金山とともに、寛永7年(1630)に、大村藩主喜前(よしあき)が藩の経済力を確保する目的で、豊臣秀吉の生涯の雄図であった文禄・慶長の役が終って朝鮮から帰ってから、朝鮮各地の金山を参考にして、寛永4年(1627)に、大串(西彼町)を中心として着手した金山開発の内の1つであった。
 この金山採掘については、当時大村藩の家老職であった大村彦右衛門が、寛永7年に京都から深江屋助右衛門、田中助兵衛の2人を招き、大串金山を採掘させた同じこの年に、雪浦金山の開鉱を図って採鉱させたといわれる。
 しかし、わずか1年たらずで中止していることから、さしたる鉱脈も発見できなかったものと思われる。…

 写真  3〜  6  (11) 松島の狼煙場跡・遠見番所跡

 松島の狼煙場は、標高218mの遠見岳の頂上に設けられ、文化6年(1809)大村藩主純昌の代から始められた。この狼煙場は、長崎異変の際に、神浦の大野岳からの火を受継ぎ、狼煙をあげて村中に異変を知らせ、更にこの火を隣村の多以良、七釜、太田和へと伝えた。

 松島の遠見番所は、安政5年(1858)に、大村藩主純熙が外国船の来航、漂着、密貿易などを監視させるため、外洋の展望のきく、狼煙場の遠見岳頂上に設けた。

 写真  7〜  8  (12) 松島炭鉱跡とその変遷

 松島を一周すると、松島炭坑の全盛時代を物語るボタ山や、赤レンガの廃屋に、焼山、仁崎に残る水没犠牲者の弔魂碑や供養塔が、かつての大惨事を思い起こさせる。
 郷村記によると、松島の石炭山の歴史の始まりは、天明元年(1782)とあり、五平大石の発見から約200年後のことである。…
 明治18年になって、三菱合資会社が竪坑を掘り採炭を始めたが、出水多量のため採算がとれず、明治21年に中止していたものを、明治38年、佐賀銀行の創始者古賀善兵衛がこれを買収して事業に乗り出し、明治39年に第1坑、引き続いて第2、第3坑と開坑した。
 大正2年(1913)に松島炭坑株式会社がこれを買収し、大正3年に第4坑の開坑に着手したが、大正5年に第2坑が浸水、翌大正6年には第4坑が完成したものの、大正8年に第1坑が水没した。それでも第4坑の完成により、出炭量も年間40万トンにも達し、大正10年には約51万5千トンを記録して、松島石炭産業の全盛期を迎えた。釜浦の海岸通りや、対岸の板浦が、夜の訪れとともに弦歌で賑わったのもこの頃である。…
 時代のすう勢はとどめがたく、約180年間にわたる変遷と盛衰の歴史を残し、昭和38年、石炭の島に終止符を打つことになった。

 写真  9〜 13  (13) 高帆山の狼煙場跡

 多以良の高帆山は、本村の西北端にある火受山とともに聳立する、海抜232mの山で、頂上には狼煙場跡がある。この狼煙場は、文化6年(1809)に、大村藩主純昌の代から始まったといわれ、長崎異変の際、松島の遠見岳の火を受継ぎ、狼煙をあげて村内に異変を知らせ、更にこの火を隣村の七釜、太田和へと伝えた。
 一説には火受山が当時の狼煙場であったとも伝えられる。

 写真 14〜 19  (14) 多以良の岩倉神社

 多以良内郷字高尾の高台に、権現岩と呼ばれる巨岩がそそり立っているが、この岩は、高さ約33m、周囲約30mといわれる円筒形の奇岩で、岩上には樹木が生えている。この岩の根本に、祭神天照大神を奉祀した岩倉神社がある。
 当岩倉神社は、寛文5年(1665)に創建され、寛政7年(1795)に社殿が建立された…
 なお、多以良内郷字江里にある現在の社殿は、明治38年(1905)12月に、拝殿として建立された… (大瀬戸町郷土誌 本町の神社175〜176頁から)

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