みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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          長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 608 寺の御堂(1)

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 目録番号: 608 寺の御堂(1)
  〔画像解説〕
  神仏分離によって解体された、鶴岡八幡宮の輪蔵か。輪蔵は神楽殿左にあり、経文が納められていた。すでに解体作業に入ったものか、木材が積まれている。

  ■ 確認結果

 目録番号: 608「寺の御堂(1)」は、HP ”がらくた置場 by s_minaga”の「相模鶴岡八幡宮寺大塔」に、同じ写真を取り上げ、次のとおり説明している。
 次の元治元年撮影か明治3年撮影かは不明のベアト撮影、横浜開港資料館蔵の写真を見ても、解体された「鶴岡八幡宮経蔵」と考えられる。

  ○明治3年5月直前経蔵写真:撮影時期・撮影者不明
 鶴岡八幡宮経蔵(推定):下掲載の経蔵:(ベアト撮影)と比較しても、八幡宮経蔵であることは確実と思われる。
 前面には木材らしきものが積まれている。経蔵もしくは前にあった護摩堂などの解体に入ったものとも思われる。

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   長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:6327 小石川薬園でのボードインの送別会

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 目録番号:6327 小石川薬園でのボードインの送別会

  ■ 確認結果

 目録番号:6327「小石川薬園でのボードインの送別会」は、慶應義塾大学 高橋信一教授HP「教育の原点を考える」2008年12月の記事 ”朝日新聞社刊「写真集 甦る幕末」の再評価”が、この作品を次のとおり取り上げている。
 撮影者は、「内田九一」ではないだろうか。

 No.268
    268 A.F.ボードイン医師の小石川園送別会
 上野の寛永寺境内で明治3年8月撮影となっているが、明治政府がA.F.ボードインに3000両の慰労金を贈ったのは明治3年閏10月28日(1870年12月20日)(「太政官日誌」第1卷)(33)である。A.F.ボードインは1870年9月から11月にかけて大学東校で教鞭を取った後、オランダに帰国する。この写真は帰国直前の閏10月30日(西暦1870年12月22日)の送別会で内田九一によって撮影された。この時点で、A.J.ボードインは休暇を取って帰国していたので、彼が関係する写真ではない。大型のB3アルバムはA.F.ボードインのアルバムと推測される。

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        長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:なし 「view on the tokaido」

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 目録番号:なし 「view on the tokaido」 ベアト撮影

 目録番号:5044 箱根街道(3)
  〔画像解説〕
  現在の小田原市入生田並びに箱根町山崎辺りから湯本方向を眺めた写真である。中央の道は東海道(現在の国道一号線)で、道の両側の民家には荷車や人力車・桶等が見える。兄弟らしき子供3人も写っている。右端に電信柱が見え、明治6年(1873)の東京・長崎間の電信敷設後のものと分る。
 
  ■ 確認結果

 ベアト撮影の「view on the tokaido」。長崎大学のデータベースには見当たらない作品。HP「ドゥーワンコレクション自由日記2」歴史 のカテゴリで、珍しい次の記事を見つけた。3枚の写真も同HPから。

 HPには具体的な撮影場所を記していないが、カテゴリの次記事に、「古老が語る箱根山崎の歴史」という本は、私の地元の郷土資料ですとあり、神奈川県足柄下郡箱根町湯本山崎の風景と思われる。

     古写真の撮影地をさがしてみました。 2009年 06月 27日

 写真は幕末期に日本に伝来しました。同時期にヨーロッパの写真家が日本に来てタイクンとサムライの時代の日本をたくさん撮影して今も奇麗な状態で現存しているものが多いです。
 その中でフィリックス・ベアドという写真家がいます。時々TVなどにも出てくる写真「エジプトのスフィンクスの前に並ぶサムライ」を撮ったのもこの人です。かなり冒険好きだったようです。

 ベアドは東海道を歩きその途中の景色を撮影しました。半分以上は場所が特定されていない写真だと思います。その中の一枚に私はどうしても気になるものがありました。
 それがこれです。「view on the tokaido」と題されている、江戸時代の東海道。背景の山並みと道の形状がどこかで見たことがある。そんな気がしました。
 「これは自分の家の前じゃないのか?...まさか」 思い当たるところから同じ方向に写真をデジカメで撮ってみました。ビビっと きたのはこの場所です。

 家並み、松並木はまるで違います。しかし、ここは昔のままの東海道の旧道で、道の形はほとんど変わっていないはずです。ついでに写真を重ねてみました。するとすばらしく道が一致しました。
 やったー歴史的大発見です。カメラを見つめる農民らしき人は私のひーひーおじいさんかもしれません。かってに想像がふくらみます。

 ちなみにベアドはベネチア人ということですが日本がえらく気に入ったらしく在住したらしいです。当時の日本、危険でもあったと思いますがそれ以上に楽しかったのでしょうね。
 またベアドはその後故郷の探検隊がアフリカを探検するということになり、冒険好き魂が復活して写真をとるために日本からアフリカに旅立ったそうです。

 なお、長崎大学のデータベースには、似たような作品として、目録番号:5044「箱根街道(3)」がある。「現在の小田原市入生田並びに箱根町山崎辺りから湯本方向を眺めた写真である」解説している。ベアト撮影の写真と場所は少し違うようだが、背景の山などは同じように思われる。

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                     長崎の西空の夕日  11−02

 長崎市南部の団地、わが家から見た夕日。電柱と電線は邪魔なので近くにも出かける。以下、続く。
 
  写真  1〜 3  平成23年 2月22日の18時14分頃
  写真  4〜 6  平成23年 2月23日の18時 1分頃
  写真  7〜 9  平成23年 3月10日の18時20分頃  
  写真 10〜12  平成23年 3月17日の18時30分頃

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      長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:4337 大名行列と見物人(1) ほか

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 目録番号:4337 大名行列と見物人(1)
 
 目録番号:4343 大名行列と見物人(2)

  ■ 確認結果

 目録番号:4337「大名行列と見物人(1)」、目録番号:4343「大名行列と見物人(2)」と同じような写真が、”WEB 浮世絵”北斎・広重の浮世絵と東海道の古写真 はじめに に掲載されている。

 その説明は、「明治初めに再現された大名行列 撮影データ不明」。撮影場所は不明だが、家並みや通りの様子から場所は特定できると思われる。

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