みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18

イメージ 19

イメージ 20

                      大山登山  鳥取県大山町

 マイ50ccバイクによる野宿旅。離島を主に訪ねている。今回は島根県「隠岐の島」をメインに、2011年9月7日から17日まで出かけた。途中、筑前大島・秋芳洞・津和野・大山へ寄った。その主な史跡、風景、石橋、巨樹など。

 写真は、宍道湖、松江城、大山観光道路岡成池展望PA、大山並木天狗松、大山寺本堂、大山夏山登山道五合目、元谷など、大山七合目、山頂近くの木道、大山頂上(弥山 標高1709.4m)、山頂避難小屋、下山中の景色、ブナ林、大山橋から山頂を振り返る

 大山登山ホームページによる標準所要時間は次のとおり。私が隠岐の島の帰路登った9月15日の山頂は、ガスがかかって展望を写せなかった。下山した14時頃から晴れてがっかりした。

  ▼ 夏山登山道  所要時間【往復】:約6時間
ホテル大山(しろがね・本館)==(5分【しろがねより】/10分【本館より】)==夏山登山口==(登り50分・下り45分)==三合目==(登り45分・下り40分)==行者分かれ==(登り15分・下り10分)==六合目==(登り40分・下り35分)==八合目==(登り20分・下り20分)==弥山山頂

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18

イメージ 19

                     津 和 野  島根県津和野町

 マイ50ccバイクによる野宿旅。離島を主に訪ねている。今回は島根県「隠岐の島」をメインに、2011年9月7日から17日まで出かけた。途中、筑前大島・秋芳洞・津和野・大山へ寄った。その主な史跡、風景、石橋、巨樹など。

 写真は、津和野入口付近からの遠景、鷺舞の像、多胡家老門・大岡家老門、殿町城下通り、津和野カトリック教会、弥栄神社、弥栄神社の大ケヤキ(津和野町指定天然記念物)、同神社内のカゴノキ抱木、津和野城跡馬場先櫓(国指定史跡)、太皷谷稲成神社、同神社からの展望、大元神社跡のクスノキ(島根県指定天然記念物 所在地:津和野町日原 島根県一の大きな木 かつての現地説明板は次のとおり)

   天然記念物  大元神社跡のクス
   島根県指定天然記念物 第一号 (指定年月日 1958年8月10日)
 樹高約31m、胸高周10.6m、根元の周16.6m、枝張り東西約42m、南北約42m、もともと2本であった樟が成長するにつれて、基幹が約4.2mのところで合体したもので、樹齢約400年と推定される。
 太平洋岸ならばともかく、北緯34度33分のかかる山間部に、これだけの樟の巨樹があるのはまことに珍しい。
  昭和41年3月20日   島根県教育委員会、日原町教育委員会
  所在地 島根県鹿足郡日原町大字池村字石楠山1903 (現津和野町)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

   長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:3434 東山手から大浦天主堂を望む(1) ほか

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

 目録番号:3434 東山手から大浦天主堂を望む(1)
  〔画像解説〕 超高精細画像
  この写真は、東山手の丘から大浦居留地背後と南山手を撮影した写真である。撮影時期は、明治10年頃と思われる。写真の正面には大浦天主堂があるが、創設時にあった正面両端の尖塔がない。大浦天主堂の右下に、明治8年(1875)に完成した羅典神学校が見えている。その左下が妙行寺、その右がベルビューホテル(現全日空ホテル)である。その上の松の木のところにグラバー邸が建っている。ベルビューホテルより写真下に建つ洋館の一列が下り松居留地で、確認し辛いが、その前を大浦川が写真中央左から右へと流れ長崎港へ注いでいる。その大浦川へ突き当たるように通る正面の道路は、海岸から大浦海岸通、大浦1番通に次ぐ、大浦2番通りである。大浦居留地の背後には、倉庫や小規模な工場のような建物が密集している。和風と洋風の混在した、明治初期の長崎の外国人居留地の様子が撮影されている。

 目録番号:6163 東山手から大浦天主堂を望む(2)
   〔画像解説〕 ボードインコレクション 超高精細画像
  長崎を訪れた写真家フェリックス・ベアトが東山手から撮影した大浦外国人居留地と大浦天主堂ですが、撮影時期は大浦天主堂が完成しているので慶応元(1865)年と思われます。建築を指導したのは天草の棟梁の小山秀之進です。その右には司教館や文久3(1863)年に建てられたグラバー邸が鮮明に見えます。グラバー邸の松は曲がっているところから長崎弁で「よんご松」、その右下に見える松は地名となる「下り松」と呼ばれました。 -6163-

  ■ 確認結果

 目録番号:3434「東山手から大浦天主堂を望む(1)」が、朝日新聞長崎地域版2011年9月10日付「長崎今昔」に掲載された。
 「ウイルヘルム・ブルガーが1870年、東山手13番(現:活水女子大付近)から撮影した大浦外国人居留地です」と解説している。

 新聞記事の解説はほぼ間違いないようである。現在の写真を私は東山手13番館の2階ベランダから写してみた。2階からの高低差があるが、大浦天主堂と妙行寺の位置は合う。中央の大通りは、大浦海岸通りから3本目で、大浦2番通りであろう。
 ただ、撮影地を「東山手13番」とは限定しないで、13番館下あたりの車道からでも撮影できたのではないだろうか。

 この作品には、データベースに関連作品がある。ボードインコレクション中、F.ベアト撮影の目録番号:6163「東山手から大浦天主堂を望む(2)」が、同じような構図で撮影している。
 こちらは明らかに大浦天主堂と妙行寺の位置が違う。中央の大通りは、大浦海岸通りから2本目で、大浦1番通りであろう。
 柴多一雄氏(前長崎大学附属図書館長)著「長崎古写真紀行」長崎文献社2011年6月刊90〜91頁に掲載され、現在の写真は「活水女子大構内」から撮影したとあとがきに記している。

 私の感じでは、F.ベアト撮影(2)は大浦天主堂や妙行寺をまだ近く、下から見上げている。撮影地は活水女子大の高台からでなく、(1)の13番館下あたりの車道からまだ右へ下った場所(オランダ坂入口現:東山手館あたりの岩場)からではないだろうか。
 同じ長崎大学なので、それぞれの解説は、正しい検証をして統一して説明してほしい。

 新聞記事の「同年撮影のベアトの写真に写っている二つの尖塔が消えています。台風で飛ばされたようです」は、同年撮影とは(2)の作品のことだろうか。側面尖塔が無くなったのは台風のためか、改築のためか不明である。
 撮影者が不詳のままになっていたり、撮影年代もバラバラである。新しい事実がわかったらデータベースやボードインコレクションHPは、すぐ正しく修正してもらわないと、利用者が戸惑うと思われる。

全1ページ

[1]


.
みさき/michito
みさき/michito
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事