みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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         長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:2930 堂ヶ島洞窟の住居

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 目録番号:2930 堂ヶ島洞窟の住居
  〔画像解説〕
  堂ヶ島から早川を越えて、薬師堂の裏手の山道を登り白糸の滝へ至る直前にある洞窟で、室町時代の名僧夢窓国師が修行した伝承を持つ。洞窟の入り口には幼い姉妹と老翁が、中にも人影が見える。岩の上には草履や下駄が干してあり、箒や手桶なども見える。水は白糸の滝の清流を利用していたのだろう。

  ■ 確認結果

 目録番号:2930「堂ヶ島洞窟の住居」の現況は、天地人氏HP「画廊アモン Sideway 古写真」にあるので参照。同HPの説明は次のとおり。
  http://yass.m78.com/sideway/hakone/koshyashin1.html
 このほか、箱根・軽井沢・妙義など古写真との、現在の対比写真があり参考となる。

  上の写真の撮影場所で、180度回転すると洞窟が有ります。明治の頃には人が住んでいた様ですね。現在は入口の所が半分以上埋まっています。玉簾の滝などは、関東大震災で崩壊して埋まってしまったそうなので、こちらも同様なのかも知れません。もう少し下がれば全体が写せたのですが、小竹が密集して生えているため無理でした。下段は内部の様子です。

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          長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1131 庭園内の茶屋

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 目録番号:1131 庭園内の茶屋
  〔画像解説〕
  茶屋の縁側、日だまりに休む数人の人物。庭には鉢植えや盆栽が並べてある。陽光のもと、右手の樹木が地面に影を落としている。整理番号5-36と同一。

 目録番号: 212 茶屋の庭園(1)
  〔画像解説〕
  茶屋の縁側で休む6人の人物。あるものは腰掛け、あるものは座しながらこちらを見ている。右手前、庭には鉢植え盆栽の類が、地面あるいは棚上に数多く並べてある。陽光の下、右端の樹木が庭に影を落としている。場所不明。

 目録番号:2638 茶屋の庭園(3)
  〔画像解説〕
  タイトルは「TEA HOUSE」だが茶を喫している人物はいない。茶屋のプライベートな庭であろうか。縁先には数多くの盆栽などが並び、軒先には棚が設えてあるようだ。植木職人の家の様でもある。縁側中央に座る人物の半纏には「染?小」の文字が染め抜かれている。

  ■ 確認結果

 目録番号:1131「庭園内の茶屋」は、目録番号: 212「茶屋の庭園(1)」及び目録番号:2638「茶屋の庭園(3)」と、同じ作品である。タイトルを同じようにしないと、関連作品で出てこない。
 なお、3枚目の目録番号:2638「茶屋の庭園(3)」は、「撮影者:未詳」となっているが、「小川一真」だろう。

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     長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:2506 舟遊びする芸妓たち(1) ほか

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 目録番号:2506 舟遊びする芸妓たち(1)
  〔画像解説〕
  覆い屋がついた日除船(ひよけぶね)で、一般には屋形船(やかたぶね)あるいは屋根船と呼ばれる。涼を求めて京都の渓流を流れ下る船で、乗客の中にはかんざし類で飾り立てた髪に、だらりの帯を締めた振り袖姿の京都祇園の舞妓がいる。

 目録番号:4881 舟遊びする芸妓たち(2)

  ■ 確認結果

 目録番号:2506「舟遊びする芸妓たち(1)」と、目録番号:4881「舟遊びする芸妓たち(2)」の屋形船は、同じ船と思われる。
 保津川か、京都の渓流を流れ下る船で、京都祇園の舞妓が乗っているなら、「撮影地域:京都」として良いと思われる。

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           長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:2129 高鉾島(9)

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

 目録番号:2129 高鉾島(9)
  〔画像解説〕
  日下部金兵衛、小川一真などの混合写真を収載した、蒔絵大型アルバムの中の一枚。キャプションには201TAKABOKOと記されている。これは小川の整理番号で撮影時期は明治20年代後半。戸町の入り江の小高い丘から長崎港口の高鉾島を望んでいる。向こう側の岬は神崎で先端は神崎鼻、後ろに神ノ島が重なって見える。手前の岬は女神である。ここが長崎湾で一番狭い瀬戸である。江戸時代、この港口を挟んで戸町と対岸の西泊に番所が置かれ、肥前藩と福岡藩が隔年で港の警備にあたった。同じアングルの写真は多いが、この写真の場合は、集落、墓地、入り江の帆船などが鮮明である。対岸には石炭が積まれ、ストックヤードになっている。停泊している船はイサバ船であるが、港外の高鉾島の背後に写っている高島の炭鉱から、石炭を運搬する専用船のように思われる。ここに貯炭された石炭は長崎港に停泊する船舶に提供されていたのではなかろうか。
 
  ■ 確認結果

 目録番号:2129「高鉾島(9)」の画像解説中、「手前の岬は女神である」は、正しくは「女神」ではない。女神1つ手前の現在、井筒造船所のある岬である。
 「港外の高鉾島の背後に写っている高島の炭鉱から」も、「高島」は遠くてこの写真に写っていない。高鉾島の背後に写っているのは、右が「伊王島」、左が「香焼島」であろう。

 数多い「高鉾島」関連関作品において、上記の間違った解説は多く見られる。
 この項は次の記事など参照。 http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/50369330.html

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