みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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      長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:な し 長崎彩色寺社名不明作品

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

 目録番号:な し 長崎彩色寺社名不明作品

 目録番号:1291 大音寺本堂(1)
  〔画像解説〕 超高精細データベース
 F.ベアトの撮影。大音寺は、本博多町にあったキリスト教の施設ミゼリコルディアが元和6年
(1620)に破却された跡地に、僧伝誉が創立したという浄土宗の寺院で、現在地へは寛永15年
(1638)に移転したと伝えられる。幕末期には堂塔の頽廃が著しかったので大修繕が施され、元治元年(1864)に竣工したというが、本堂は天保3年(1832)に改築されたばかりであったから、大修繕には及ばなかったかと推察される。がともあれ、撮影されたのはその竣工後、間もない時期であろう。本堂の形式は、間口11間半に奥行き10間の平面に入母屋造りの屋根を架け、正面に中央唐破風の屋根装飾がある向拝を付している。但し、昭和戦前期の写真では、向拝は唐破風がない形式となっているので、これは大正年間の大修繕時に変更されたのであろう。戦後、火災に遇ったため、昭和37年3月に鉄筋コンクリートによる再建が成就した。いずれも規模は不変で、堂前の蘇鉄は今も健在である。

 目録番号:5359 大音寺中門(3)
  〔画像解説〕 超高精細データベース
 上野彦馬の撮影。大音寺は、本博多町にあったキリスト教の施設ミゼリコルディアが元和6年
(1620)に破却された跡地に、僧伝誉が創立したという浄土宗の寺院で、現在地へは寛永15年
(1638)に移転したと伝えられる。幕末期には堂塔の頽廃が著しかったので大修繕が施され、元治元年(1864)に竣工したという。右手の重層、入母屋造、楼門形式の建物が中門で、脇の築地塀、前後の石段ともども現存する。左手のアーチ型の石門は、その背後にみえる安永9年(1780)に完成した開山・伝誉上人碑への入り口で、門塀も同時期の建設とみられる。中門の左上は文化9年(1812)に再建された鐘楼で、その右手には本堂の屋根も覗いている。鐘楼の右脇の大木は、昭和50年に市の天然記念物に指定された「大音寺のクロガネモチ」である。本堂が戦後に鉄筋コンクリート造に建て替えられたり、画面に写る石灯籠が一部失われたりしているが、全体の景観は今もよく残されている。

  ■ 確認結果

 ポケットブックス | アンティーク絵葉書専門店 長崎県商品一覧にある「長崎彩色寺社名不明」の作品。
 次のデータベース目録番号:1291「大音寺本堂(1)」と、目録番号:5359「大音寺中門(3)」のとおり、長崎市鍛冶屋町にある浄土宗の「正覚山大音寺」であろう。

 中央唐破風の屋根装飾がある向拝、ソテツ、鐘楼、クロガネモチ、石灯籠など比較。明治時代?の貴重な古写真。長崎大学附属図書館が購入してほしい。
 鐘楼は、同じ写真がHP「長崎古えはがき」の「DAIONJI」に掲載されている。

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        長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:4864 長崎梅香崎洋館群(1)

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

 目録番号:4864 長崎梅香崎洋館群(1)
  〔画像解説〕 超高精細画像データベース
  撮影者不詳。大型アルバムに貼り付けられたモノクロ1枚もので、黒ペンによりNagasaki-Posteset telegraphe sur le 'Bund',on quai,→Collined'Oura(「バンド」(波止場)における電報電話局、大浦の丘)とフランス語のキャプションがある。これは出島の外海岸から梅香崎の洋館群を撮影したものである。4棟右端は梅香崎1番の長崎郵便電信局(明治19年<1886>に本博多町から移転)であるから、撮影は移転直後の明治20年(1887)頃であろう。以下順に2番デンマークの大北電信長崎局(わが国国際通信の草分け)、3番の日本郵船長崎支店(明治18年<1885>開設)、4番アーレン商会(後の明治36年<1903>に横浜正金銀行が大浦8番から移転)。その左は明治2年(1869)架設の梅香崎橋。その左手の白い建物は梅香崎5番。右端は明治10年(1877)の台風被害から再築された長崎税関の庁舎と倉庫。丘の上には十人町の日本人家屋が立ち並んでいる。

  ■ 確認結果

 目録番号:4864「長崎梅香崎洋館群(1)」の撮影場所は、「これは出島の外海岸から梅香崎の洋館群を撮影したものである」としているが、「古地図から検索」画面のとおり、出島の東側海岸通りから対岸の梅香崎居留地(右から左へ1番〜4番)と梅香崎橋を望んで撮影している。
 現在の長崎市民病院あたりとなるだろう。

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