みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

             長崎名勝図絵の風景  22  海 門 山(権現山)ほか

 「長崎名勝図絵」は、長崎奉行筒井和泉守政憲の命を承け、当時長崎聖堂助教で儒者であった、西疇 饒田喩義強明が、野口文龍渕蔵の協力を得て編述し、これに画家の竹雲 打橋喜驚惟敬の精緻な挿絵を加え、完成したもので、執筆は文化、文政年間(1804−1829)であったと思われる。平易に読める文体に書き改めた詳訳が、丹羽漢吉先生の訳著によって、長崎文献社から長崎文献叢書第一集・第三巻「長崎名勝図絵」として、昭和49年(1972)2月発行されている。(発刊序から)

 本ブログ「長崎名勝図絵の風景」は、主な図絵について現今の写真と対比させる試み。デフォルメされた図絵が多く、現在ではそのとおりの風景はほとんど写せない。おおかたがわかる程度の写真として撮影している。解説は詳しく引用できないので、図書を参照していただきたい。
 「黒船礁」は、日南海岸の鬼の洗濯岩に似た「脇岬のビーチロック」(県指定天然記念物)のことである。

  長崎名勝図絵 巻之二下   南邊之部

 164 海 門 山   (文献叢書 142〜146頁  所在地 長崎市野母町)

  長崎の南七里 野母浦の高山。他の山に接せず、これだけが高く聳えているので、登って見ると、周囲が果てしなく見渡せる。権現山、日の山、火の山とも称する。山上の木立ちの中に、火山権現の祠がある。夜になると、山の頂に燈火が現れその光は尋常のものではない。人皆これを霊異とした。外国の船が入津するに当たって、この燈火を目印にした。また熊野権現の祠がある。…

 165 野母の遠見番所 (文献叢書 144〜146頁  所在地 長崎市野母町)

  権現山の内にある。港から中番所まで約580丈、さらに上の番所まで230丈。又霧番所がある。…寛永15年(1638)2月、松平伊豆守源信綱が、…野母崎は港外の高山で、南は薩摩、西は平戸五島まで見える最適の場所であり、ここに番所を設けて、異船が見えたら速刻飛船(足の速い舟)で奉行所に注進させよ、とあって、ここに遠見番所が建てられた。…

 166 圓通山観音寺  (文献叢書 144〜147頁  所在地 長崎市脇岬町)

  長崎の南七里 御崎村にある。野母浦の南で、深堀に属する。元享釈書に肥之御崎と称す。所謂日域西南之隅、異木奇岩ありとしているのがここである。この地は阿膠木(あこうぼく)を多く産する。西北に野母浦があり、浦に鬚巌(たてがみいは)がある。古来奇石異木寺と称している。昔和銅年中(708−714)行基菩薩が創立されたもので、規模雄壮、僧房棟を連らね、法燈大いに隆盛であったが、のち切支丹の横行は、この地にも災が及んで、衰滅に瀕した。
 天文6年(1536)御崎備後守廣重が重建、僧良圓が財を募って修めた。今寺の前、数百畝の田は、古寺の遺址である。祀るところの千手観音は、行基菩薩が、長良橋の梁木から七体の像を刻んだ。そのうちの一本で、材は榧の木。立像の高さ8尺。長谷寺にあるものと全く同じである。この寺は昔からの景勝の地で、且つ霊跡が極めて多い。…
  長崎の湊より肥の御崎にいたれば西南もなき処、唐船行きかふ潮路なりといふに
   郭公むなしちくしの沖の雲     石蘭

 167 黒 船 礁   (文献叢書 144〜147頁  所在地 長崎市脇岬町)

  野母海中にある。昔覆没した蛮船が、年を経て遂に石と化し、礁となったという。一名板礁。

 168 樺   島   (文献叢書 144〜147頁  所在地 長崎市野母樺島町)

  野母浦の南五十町、民家多く繁栄している。海岸の巌石は、その形奇にして、漢画の山水を見るようである。中に一奇洞がある。…

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

              長崎名勝図絵の風景  21  河 原 池(川原池)

 「長崎名勝図絵」は、長崎奉行筒井和泉守政憲の命を承け、当時長崎聖堂助教で儒者であった、西疇 饒田喩義強明が、野口文龍渕蔵の協力を得て編述し、これに画家の竹雲 打橋喜驚惟敬の精緻な挿絵を加え、完成したもので、執筆は文化、文政年間(1804−1829)であったと思われる。平易に読める文体に書き改めた詳訳が、丹羽漢吉先生の訳著によって、長崎文献社から長崎文献叢書第一集・第三巻「長崎名勝図絵」として、昭和49年(1972)2月発行されている。(発刊序から)

 本ブログ「長崎名勝図絵の風景」は、主な図絵について現今の写真と対比させる試み。デフォルメされた図絵が多く、現在ではそのとおりの風景はほとんど写せない。おおかたがわかる程度の写真として撮影している。解説は詳しく引用できないので、図書を参照していただきたい。
 雌池「川原大池―阿池姫(おちひめ)伝説と湖畔風景」は次を参照。最後の写真が雄池(川原小池)跡。昭和52年埋立てられ、平成16年「三和記念公園」として整備された。
  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/15265670.html

  長崎名勝図絵 巻之二下   南邊之部

 162 河 原 池   (文献叢書 139〜142頁  所在地 長崎市宮崎町)

  長崎の南五里半 河原村にある。池が二つあり、一を雌池、一を雄池という。雄池の方が小さい。雌池は雄池の南にあって、海に近い。広さは数百畝ばかり。池の水は青く澄みちぎって、塵一本浮いていない。…(龍と化した阿知姫伝説が続く)…村人は雄池雌池併せて二霊池と称する。後世一寺を建立、池の祭祀に当たらせた。河原山龍池院法音寺という。雌池の傍にあり、土地の人は、池の御前と呼んでいる。この雌池の伝説とよく似た話が、普の干寶の捜神記にある。和漢と同じ話ではある。
   うくものは紅葉もめでず池の神  沈山   池辺にある発句の石碑

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

              長崎名勝図絵の風景  20  雄  浦(大浦)ほか

 「長崎名勝図絵」は、長崎奉行筒井和泉守政憲の命を承け、当時長崎聖堂助教で儒者であった、西疇 饒田喩義強明が、野口文龍渕蔵の協力を得て編述し、これに画家の竹雲 打橋喜驚惟敬の精緻な挿絵を加え、完成したもので、執筆は文化、文政年間(1804−1829)であったと思われる。平易に読める文体に書き改めた詳訳が、丹羽漢吉先生の訳著によって、長崎文献社から長崎文献叢書第一集・第三巻「長崎名勝図絵」として、昭和49年(1972)2月発行されている。(発刊序から)

 本ブログ「長崎名勝図絵の風景」は、主な図絵について現今の写真と対比させる試み。デフォルメされた図絵が多く、現在ではそのとおりの風景はほとんど写せない。おおかたがわかる程度の写真として撮影している。解説は詳しく引用できないので、図書を参照していただきたい。

  長崎名勝図絵 巻之二下   南邊之部

 147 雄   浦   (文献叢書 136頁  所在地 長崎市大浦町)

  梅が崎の側にある。旧名大浦。大村領である。木々の生茂った崖が、入海を挟んでおり、漁家数十戸がある。雄浦欵乃(欵乃は船唄)と題し、長崎十二景の一である。

 148 道栄が浜    (文献叢書 136頁  所在地 長崎市松が枝町)

  大浦第一の景勝の地で、昔林道栄が大村侯から賜わり、ここに仮寓していたので、道栄が浜と称するのである。

 149 妙 行 寺   (文献叢書 136頁  所在地 長崎市相生町)

  雄浦にある。一向宗の道場。もと高力左近将監の別業であった。寛文年中(1661−72)大村純長公が寺に寄進した。一説ではこの寺地は、興福寺の唐僧如定が退隠していた所という。今年文政2年(1819)の春火災に罹り、堂宇悉く灰燼に帰した。側の山上に日親の祠がある。

全1ページ

[1]


.
みさき/michito
みさき/michito
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事