みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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                琴平町の大センダン  香川県仲多度郡琴平町

 国指定文化財等データベース及び香川県HP「香川の環境」巨木による解説は、次のとおり。

名称: 琴平町の大センダン
ふりがな: ことひらちょうのだいせんだん
種別1: 天然記念物
指定年月日: 1953.03.31(昭和28.03.31)
指定基準: (一)名木、巨樹、老樹、畸形木、栽培植物の原木、並木、社叢
所在都道府県: 香川県
所在地(市区町村): 仲多度郡琴平町
解説文:
 根廻り6.9メートル、地上1.5メートルの幹の周囲6メートル、樹高13メートル、推定樹齢300年、センダンの巨木として貴重なものである。

  (香川県解説)
 市街地にあって美しい樹姿を保っている老大樹は貴重である。
 センダンは、団地の落葉高木。初夏に紫色の花をつけ、果実は黄色に熟す。「栴檀は双葉より芳し」のセンダンとは全く別樹である。
 本樹は、観光バス乗降場の真中にある。
 この地は、町立の幼稚園跡、その前は墓地であったところ。年間のバス乗入れ台数は、3000台を超える。
 平成元年には、踏圧防止、通気透水性確保の保全事業が実施されている。樹高、幹周とも指定当時より一段と生長し、旺盛である。
 徳島の「野神の大センダン」の衰弱が著しい今、本樹は全国的にも貴重である。
 センダンの古名は「あふち」、愛する人との出会いの木。
 センダンは墓地に多く、不気味な印象を与えがちである。しかし、センダンに罪はなく、材質はマホガニーに似た美しいものである。
【データ】
樹高13.6m  胸高幹周 6m  枝張り 25m
所在地 仲多度郡琴平町  指定状況 国指定特別天然記念物
【道 順】
JR琴平駅下車、徒歩約5分

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                 金刀比羅宮(2)  香川県仲多度郡琴平町

 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による解説は、次のとおり。(1)は登り、(2)は下りの風景。

金刀比羅宮

 金刀比羅宮(ことひらぐう)は、香川県仲多度郡琴平町の象頭山中腹に鎮座する神社。こんぴらさんと呼ばれて親しまれており、金毘羅宮、まれに琴平宮とも書かれる。明治維新の神仏分離・廃仏毀釈が実施される以前は真言宗の象頭山松尾寺金光院であり[1]、神仏習合で象頭山金毘羅大権現と呼ばれた。現在は神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人金刀比羅本教の総本部。全国の金刀比羅神社・琴平神社・金比羅神社の総本宮でもある。

 長く続く参道の石段が有名で、奥社まで登ると1368段にもなる。海上交通の守り神として信仰されており、漁師、船員など海事関係者の崇敬を集める。時代を超えた海上武人の信仰も篤く、戦前の大日本帝国海軍の慰霊祭だけではなく、戦後の朝鮮戦争における海上自衛隊の掃海殉職者慰霊祭も毎年、金刀比羅宮で開かれる。境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られる。金毘羅講に代表されるように古くから参拝者を広く集め、参道には当時を偲ばせる燈篭などが今も多く残る。

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                 金刀比羅宮(1)  香川県仲多度郡琴平町

 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による解説は、次のとおり。(1)は登り、(2)は下りの風景。

金刀比羅宮

 金刀比羅宮(ことひらぐう)は、香川県仲多度郡琴平町の象頭山中腹に鎮座する神社。こんぴらさんと呼ばれて親しまれており、金毘羅宮、まれに琴平宮とも書かれる。明治維新の神仏分離・廃仏毀釈が実施される以前は真言宗の象頭山松尾寺金光院であり[1]、神仏習合で象頭山金毘羅大権現と呼ばれた。現在は神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人金刀比羅本教の総本部。全国の金刀比羅神社・琴平神社・金比羅神社の総本宮でもある。

 長く続く参道の石段が有名で、奥社まで登ると1368段にもなる。海上交通の守り神として信仰されており、漁師、船員など海事関係者の崇敬を集める。時代を超えた海上武人の信仰も篤く、戦前の大日本帝国海軍の慰霊祭だけではなく、戦後の朝鮮戦争における海上自衛隊の掃海殉職者慰霊祭も毎年、金刀比羅宮で開かれる。境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られる。金毘羅講に代表されるように古くから参拝者を広く集め、参道には当時を偲ばせる燈篭などが今も多く残る。

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                 琴弾公園  香川県観音寺市観音寺町

 国指定文化財データベースによる解説は次のとおり。香川県の文化財は解説がない。

名称: 琴弾公園
ふりがな: ことびきこうえん
種別1: 名勝
指定年月日: 1936.12.16(昭和11.12.16)
指定基準: 一.公園、庭園
所在都道府県: 香川県
所在地(市区町村): 観音寺市観音寺町
解説文:
西讚ノ中心地タル觀音寺町ニ在リ公園ノ中央ニ琴彈山(標高五八.六メートル)アリ廣キ砂濱ヲ隔テゝ瀬戸内海ニ臨ム山ハ花崗岩ヨリ成リ山上山下松樹ヲ以テ蔽ハレ内海罕ニ見ルノ美林ヲ成セリ山上ノ眺望又頗ル佳ナリ

  (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』解説)
琴弾公園
 琴弾公園(ことひきこうえん)は、香川県観音寺市にある公園。瀬戸内海国立公園に含まれ、国の名勝に指定されている。1897年に県立公園として開園。設計は園芸師の小沢圭次郎。

概 要  財田川右岸の琴弾山と有明浜からなり、琴弾山からは燧灘に浮かぶ伊吹島や、砂で造られた寛永通宝の銭形砂絵を眺めることができる。琴弾山麓には四国八十八箇所第68番札所である神恵院、第69番観音寺や、連歌師・山崎宗鑑の一夜庵などがある。桜の名所として日本さくら名所100選に選定されている。

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                 豊稔池堰堤  香川県観音寺市大野原

 国指定文化財データベースによる解説は、次のとおり。香川県の文化財は解説がない。

名称: 豊稔池堰堤
ふりがな: ほうねんいけえんてい
員数: 1所
種別: 近代/産業・交通・土木
時代: 昭和
年代: 昭和4
西暦: 1929
構造及び形式等: マルチプルアーチ式コンクリート造堰堤、堤長145.5m、堤高30.4m
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項:
指定番号: 02498
国宝・重文区分: 重要文化財
重文指定年月日: 2006.12.19(平成18.12.19)
重文指定基準1: (二)技術的に優秀なもの
重文指定基準2: (三)歴史的価値の高いもの
所在都道府県: 香川県
所在地: 香川県観音寺市大野原町田野々
所有者名: 豊稔池土地改良区
解説文:
 豊稔池堰堤は、県西部の柞田川上流に位置し、県の用排水改良事業の一環として大正15年3月起工、昭和4年11月竣工の溜池堰堤である。工事は、顧問である佐野藤次郎の指導のもと、農林技師の杉浦翠、県農林技師の木村真五郎などを中心に進められた。
 堰堤は、川狭窄部の岩盤上にコンクリート造で築かれ、両端部を重力式、中央部をマルチプルアーチ式とし、下流側に石張の水叩を設けている。
 豊稔池堰堤は、我が国最初期のコンクリート造溜池堰堤として、農業土木技術史上、高い価値がある。また、アーチ式堰堤とバットレス式堰堤の特長を兼ね備えた先駆的な構造形式が、昭和前期における堰堤建設の技術的達成度を良く示しており、重要である。 (詳細解説は省略)

  (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』解説)
豊稔池ダム
 豊稔池ダムと豊稔橋豊稔池ダム(ほうねんいけダム)は、香川県観音寺市にある現存する日本最古の石積式マルチプルアーチダム。2006年(平成18年)、国の重要文化財(建造物)に指定されている(指定名称は「豊稔池堰堤」)。
 命名は、香川県出身で大蔵大臣などを歴任した三土忠造による[1][2]。

 讃岐山脈から流れ出る柞田川を上流で堰き止め、柞田川の左岸に広がる水田を潤している豊稔池ダムは、度重なる大旱魃への対策として1926年(大正15年)に着工され、1930年(昭和5年)に完成した。このとき、地元住民による組合が部分請負が工事にあたり、延べ15万人による人海戦術により約4年の短期完成を実現するという地元一体となって成遂げられた公共事業であった。ダム補修工事により上流部はコンクリート補強されているが、下流部には当時の古い石積みが現存している。

 多連式アーチダムとしては、宮城県仙台市の大倉ダム(二連式)を含め、全国に二つしかなく、当時米国で最新技術であったマルチプルアーチが適用されるなど土木史、ダム技術史を語る上においても貴重な建造物である。

データ(大正期)
旧土砂吐樋門と旧中樋取水口堤高 - 32.3m
堤頂長 - 158.4m
堤体積 - 21,000m³
総貯水容量 - 1,590,000m³
有効貯水容量 - 1,590,000m³
流域面積 - 9.9km²
湛水面積 - 16ha
利用目的 - 灌漑
事業主体 - 香川県
施工業者 - 豊稔池土地改良区
着工年 - 1926年
竣工年 - 1930年

豊稔池
 ダムによって形成された人造湖は豊稔池として2010年(平成22年)3月25日に農林水産省により「ため池百選」に選定され[3]。湖畔には「豊稔池遊水公園」が整備されている。
 現在も、豊稔池からは約530haの灌漑を行っており、「大野原は月夜に焼ける」と詠われり、旧大野原町の大野原音頭では「……里をうるおす豊稔池の、石積堤は城のよ〜う、城のよう……」と歌われて、豊かな大野原平野を潤している水源である。
 稲作と野菜、「らりるれレタス」、果樹等による複合農業を中心とした集約型農業を行い生産性・経済性が高い経営を行っている。
 田植えの時期には地上30メートルの堤からの放水や、ユル抜き行事(毎年7月中旬から下旬)の際には、そのヨーロッパの古城を思わせる概観と勢いよく流れ出る放水の絶景に多くの観光客が訪れる。

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