みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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            八幡神社本殿及び拝殿  兵庫県南あわじ市賀集八幡

 南あわじ市HPの「県指定文化財」による説明は、次のとおり。現在、改築中であった。
 国道28号八幡交差点から北へ県道31号に入る。すぐ賀集八幡西交差点の対岸に八幡神社の参道がある。 

   八幡神社本殿及び拝殿

 賀集八幡神社の本殿は、現存する棟札から寛永8年(1631年)に藩主蜂須賀氏によって建てられたことがわかっています。
 建築様式は和様を基調として、それに唐様を混用した建物ですが全体としての調和をよく保っています。蟇股(社寺建築で荷重を支えるための部材)や脇障子欄間の彫刻、向拝の手挟み等細部の手法にも江戸時代初期の特徴がよく表われています。拝殿は本殿に続いて造営された一連の建築と見られています。内部を柱列で三分し、中央間を除き四周を腰羽目板張りとした構成は国重文の広峰神社拝殿(註 姫路市か)に通ずるものがあり、重要遺構とされています。昭和49年に兵庫県指定重要文化財に指定されました。

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                  淳仁天皇陵  兵庫県南あわじ市賀集

 兵庫県HPの「淡路島百景」による説明は、次のとおり。
 国道28号賀集交差点から南の県道76号へ入る。すぐ近くに見える小高い山形が、淳仁天皇陵である。

   84 淳仁天皇陵 (じゅんにんてんのうりょう)

 所在地:南あわじ市 賀集
淳仁天皇は、天平宝字2 年(758)に第47 代天皇に即位しました。6 年間の在位の後、皇位をめぐる争いに巻き込まれ、親王として天平宝字8 年(764)に淡路島へ流されました。天平宝字9年(765)10 月に逃亡を試みるものの捕らえられ、翌日、33 歳の若さで亡くなったとされています。
古文書では「淡路廃帝」などと称され、淳仁天皇という名が贈られたのは、明治時代になってからのことです。
山形の常緑広葉樹が茂る淳仁天皇陵は、平坦な三原平野のなか、淡路島の歴史を感じさせるランドマークとなっています。

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              神代国衙のクスノキ  兵庫県南あわじ市神代国衙

 HP「人里の巨木たち」全国巨樹探訪記による説明は、次のとおり。
 国道28号国衙交差点から北へ県道66号へ入る。しばらく進んだ鎮守神社にクスノキがある。
 
名称 神代國衙のクスノキ (じんだいこくがのくすのき)
樹種 クスノキ
樹高 15m(注1 環境庁「日本の巨樹・巨木林 近畿版」による)
目通り幹囲 5.7m(注1)
推定樹齢 200〜299年(注1)
所在地の地名 兵庫県南あわじ市神代國衙
天然記念物指定 なし

 国道28号から県道66号(津名五色三原線)を北に200mほど入ったところに、このクスノキが立っている。
 途中から2幹に分かれ、本来ならば大きな樹冠を形成するところだが、葉が極端に少ない。現在の樹勢は危機的な状況にあると言ってよさそうだ。このままでは、近いうちに、ほんの一部の枝を残して、大部分が枯死してしまうのではなかろうか。
 幹囲5.7mは、日光寺のビャクシンと並び、南あわじ市では最大クラスの巨木である(2012年3月現在、環境省巨樹データベースによる)。残念なことにならねばいいが。

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              淡路国分寺跡塔跡  兵庫県南あわじ市八木笑原国分

 現地説明板は、次のとおり。三原町は、現南あわじ市。
 南あわじ市街の県道126号笑原交差点近くから、案内標識により進む。

   国指定史跡 淡路国分寺跡塔跡
指定年月日 昭和26年6月9日
所在地 三原町八木笑原国分327−1
  
 天平の昔に建立された淡路国分寺の今に遺る壮大な塔跡である。
 中心礎石は、塔跡基壇に建てられた大日堂の中にあり、直径約1.36メートルの円形の自然石の表面を加工、直径約75センチメートルの円柱座と、さらにその上にホゾを彫り出している。
 これを中心に188.93平方メートルが指定されたが、この範囲には、中心礎石のほに5個の礎石がある(いずれも動かされている)。昭和59年〜63年の発掘調査で、塔跡は1辺13〜14メートルの基壇と推定され、また、中心礎石は、北へ約2メートル移動していることがわかった。
   昭和10年3月吉日  三原町教育委員会 三原町文化財審議委員会

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                  養宜館跡  兵庫県南あわじ市八木養宜中

 県指定文化財現地説明板は判読できない。兵庫県立歴史博物館HPの「ひょうご歴史の道」による説明は、次のとおり。
 南あわじ市街の県道126号中八木交差点から北へ入ると、館跡がある。「養宜館之碑」石碑は、館跡前の車道を西へ進むと角にある。

   養宜館跡(やぎやかたあと)

 養宜館跡は県の史跡で、室町時代の淡路守護細川氏の居館であった。土地の人間は大土居(おどい)と呼び、守護職の館としては立派なものだと言われる。外堀の跡である帯状の水田が、鎌倉時代の築城形式を伝える。1340(暦応3)年、足利尊氏の命をうけた細川師氏が淡路に攻め入ったことをきっかけに養宜館へ入る。その子孫が淡路の守護大名として君臨するが、1519(永正16)年に淡路細川氏が事実上滅亡すると館も廃城となる。館跡の西方には、昭和2年に建立した「養宜館之碑」と記された石碑が立つ。『淡路国名所図会』には石垣や堀が誇張して描かれているが、東側の土塁や堀跡の残存状況から規模の大きな館であったことは疑う余地はなく、中世城館遺跡として貴重である。

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