みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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                      絵 島  兵庫県淡路市岩屋

 淡路島観光協会淡路島ポータルサイト「あわじナビ」による説明は、次のとおり。
 長崎大学データベースの古写真は、本ブログ次の記事を参照。
  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/59410027.html

 絵 島
所在地/ 兵庫県淡路市岩屋
兵庫県淡路市岩屋 岩屋ポートビル前
アクセス:岩屋港からすぐ

 国生み神話に伝わる「オノコロ島」だとされる場所の一つ。
 古来より、和歌を詠む名所として名高く、平家物語の「月見」の巻に「平家が福原の新都に移った当時(1180年)栄華の夢に耽った人々は絵島の月を見ようとして須磨から明石海峡を渡り、絵島の月を愛でながら歌会を催した」との記述が残されています。昔から絵島は、その美しさで多くの人々を魅了し、一度は行って見てみたいと思わせていたようです。
 
 西行法師は、「千鳥なく 絵島の浦に すむ月を 波にうつして 見るこよいかな」(山家集)という歌を詠みました。夜間には島全体がライトアップされます。

 島に渡ると、県の郷土記念物に指定されている地質学的に珍しい褐鉄鉱沈殿砂岩層(約二千万年前の砂岩層)に直にふれることができます。岩屋港、岩屋ポートビルに隣接し、近くの大和島とともに淡路地域の誇る景勝地として知られています。

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             久留麻(浦川)疎水のトンネル跡  兵庫県淡路市<浦川>

 旧東浦町平成12年発行「東浦町史」第2編歴史第3章近世409〜411頁は、以下のとおり。掲載図・写真も同町史から。
 浦川の河内橋上流から取水、疎水トンネル入口跡が下流の長瀬橋右上側の車道崖に残ると地元で聞いたが、私が撮影してきた写真は、これかは未確認。トンネル奥は、右左に溝状が深く続いていた。疎水記念碑(移設)も新池の堤にあったそれらしきものを写してきている。

 用水トンネルを造る―来馬村
 浦川水系の水を来馬村の用水にという事業は、洲合池への新溝建設だけではなかった。安政3年(1856)に始まり明治5年(1872)に完成した疎水は、浦川の水を来馬村に導くために長さ1200尺(約360m)にわたって山を掘り抜いたものであった。
 工事の中心となったのは森嘉四郎(疎水開墾記念碑には「企本人」とある)であり、来馬村岩屋街道沿いで綿屋・酒屋を手広く営んでいた商人である。
 工事は高低を考え、現在の県道北淡東浦線の河内橋から南西約100mの所に井関を設け浦川から取水し、溝で洲合池の北まで導いた後、標高80mほどの山の尾根下を高さ約1m、長さ約300mのトンネルで標高差5mほどを北山田池まで落としたのである。その後、再び溝で七尋池の北まで導いた後、南東に張り出している山尾根の下を上茅池までトンネルを通し、下茅池を経て新池へ溜め込んでいる。
 工事にかかるまでは、洲合池への取水と同じように浦村との協議が行われ、約定書が作られたであろう。その文書は見当たらないが、内容は基本的に洲合池取水時のものと変わらないと想像できる。ただ、完成後5年たって新たに付け加えたものと考えられる約定書が残る。
  一、久留麻村穴抜き通水の儀、用水中タリトモ自然降雨これ有り、除水ニ相成海中へ捨り候
   節は、右穴抜へ通し致すべき事          (「路谷池田主文書」前出)
とあり、用水が必要な春・夏は「穴抜き」へ通水できなかったのであろうが、雨が降って海へ流れてしまうほどの増水があったときだけ、春・夏でも「穴抜き」へ通水できるようにするというものである。この条項に続いて「穴抜き」へ通水するかどうか判断する「水守」を浦村に雇い入れることも決め、この「水守」が流水の加減を見て久留麻村へ通知するようにしている。 

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                  恵日寺庭園  兵庫県淡路市木曽下

 津名一宮IC先県道66号の春日神社前から県道468号へ入り、西へ向うとほどなく恵日寺がある。現地説明板は次のとおり。

県指定文化財 恵日寺庭園
指定年月日 昭和47年3月24日
所有者・管理者 恵日寺

 淡路島のほぼ中央、行者山の山麓にある山畔を利用した江戸初期の池泉庭園である。
 書院広縁に面して細長く、中央から左手にかけてヒョウタン型の池を設け、対岸の中央正面に一段落しの枯滝があり、滝の左手に亀出島、右手に鶴出島がある。滝口の右方には蓬莱石組、左方の奥には三尊石組がある。池の中央には此岸と彼岸を結ぶ自然石の夢の浮橋をかけ、それを渡って仏の世界に入る。滝の背後の斜面には多数の石を配置し、モッコク、モチの自然木があり、サツキの刈込み、その間をぬってバベ、サザンカ、サルスベリの植栽が散見される。
  平成元年年10月 兵庫県教育委員会

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                     妙勝寺庭園  兵庫県淡路市釜口

 国道28号の釜口交差点から西の高台へ約1kmほど進むと、白塀と石垣に囲まれた法華宗本門流御太刀山妙勝寺がある。大クスノキもある寺である。
 現地説明板は次のとおり。

県指定文化財 妙勝寺庭園
指定年月日 昭和55年3月25日
所有者・管理者 妙勝寺

 江戸初期の様式を有する池泉鑑賞式庭園で面積374平方メートル、淡路最古の庭園である。
 滝部は、築山最上部に遠山石、次いで左右の数石からなる滝添石を組み、前面の蓬莱式池泉には、向って右に鶴島、左に亀島が配されとくに鶴を象徴する羽石、鶴首石と亀頭石が注目される。
 各所にモミジ・ゴヨウマツ・ソテツさらにヒラドツツジ・ナンテンなど十分に吟味された植栽がなされている。
 このように、池割、石組、植栽樹よりみて名勝としての価値がある。

  平成2年11月 兵庫県教育委員会

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                 妙勝寺の大クスノキ  兵庫県淡路市釜口

 HP「全国巨樹探訪記」による説明は、次のとおり。

名称 妙勝寺の大クスノキ(みょうしょうじのおおくすのき)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 クスノキ
樹高 26m(注2)
目通り幹囲 7.5m(注2)
推定樹齢 300年以上(注2)
所在地の地名 兵庫県淡路市釜口(注3)
兵庫県指定天然記念物(1980年3月25日指定)

注1)1995年2月に兵庫県教育委員会が設置。天然記念物指定名称もこれに同じ
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 近畿版」による

 国道28号近くの釜口小学校の西を高台に向かうと、800mほどで法華宗本門流御太刀山妙勝寺の横に出る。白い塀と石垣に囲まれた、なかなか立派な寺だ。
 御太刀山とは変わった山号だが、これについて案内板に説明があった。
 建武3年(1336)、後醍醐天皇勢に都を追われ、船で九州に落ち延びる途中の足利尊氏が、釜口沖で風待ちをしていた夜、山腹に燈火が見えた。あれはどこの灯かと尋ねたら、妙勝寺だという。「妙勝」とは縁起がいい。近いうちに勝利を掴むことになる前兆であろうと、太刀を奉納して必勝を祈願した。そんなことがあったという。
 こののち、最後は戦さに勝利して、足利幕府を創立したのは周知の通りだ。尊氏はたいそう喜んで、寺に足利家の家紋を使用することを許可したそうである。
 残念ながら、この話にクスノキは出てこない。
 大クスノキは、向かって左手の墓地のほぼ中央。玉垣に囲まれて立っている。
 少し前の写真では、葉が少し疎らに見えたが、今は樹勢が良さそうだ。樹冠は墓地を多い尽くさんばかり。
 まだまだ大きくなりそうである。

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