みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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             川原慶賀「長崎眺望」全図と、どこから描かれたか再考

 2014年(平成26年)1月5日付の長崎新聞第1面トピックス記事において、日本唯一の道教の寺だった「崇玄観(すうげんかん)」を、川原慶賀「長崎港眺望図」から特定し、位置を現在の椎の木町、創建時期不明とされる「丸尾神社」一帯ではないかと、発表されている。
 私たちはこれに疑問を感じ、本ブログで疑問点を先に指摘しているので、次を参照。
  川原慶賀「長崎港眺望図」は、どこから描かれたか
   http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/68982195.html
  長崎名勝図絵による「崇玄観」の編述
   http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/68989158.html

 眺望図は4枚一組。出島のオランダ商館員フィッセルのコレクションとされ、オランダのライデン国立民族学博物館が所蔵している。江戸期の1820年前後の風景とみられる。
 長崎新聞では左側の3枚しか掲載がなく、それも左右端の一部をカットして、読者にとってわかりにくい記事と図版である。
 西武美術館1980年発行「鎖国の窓を開く:出島の絵師 川原慶賀展」(制作講談社)に、右側の1枚となる金比羅山など続いて描いた部分があった。これで眺望図全体の詳細な画像を見ることができる。
 同巻末の解説は、次のとおり。眺望図はライデン博物館HPにも収録されているようである。

●長崎眺望 184〜187                        絹本著色 4枚一組 (B)
 長崎の一大眺望である。4枚合せると270センチにもなるこのような眺望図の例を私は知らない。神戸市立南蛮美術館に衝立になった慶賀筆「長崎港図」(絹本69.0×85.5cm)があるが、本図もまた「長崎港図」とあまり時期を隔てずに描かれたものと考えられる。「長崎港図」とは視点を変え、長崎の北東部おそらく彦山からの眺望であろう。
 この地点から視野に入るすべてを写している。一つ一つの山や島の形から市街地の家並、道筋にいたるまで、見えるそのままを遠近法を用いて描き、不自然さを感じさせない。慶賀はシーボルトとの出会い以後いっそう洋画的手法による写実性を増していくが、本図は、それ以前にすでに洋画的技法をかなりの程度まで会得していたことを示している。      (兼重 譲)

 さて、この川原慶賀「長崎眺望」は、どこから描かれたのだろうか。金比羅山など描いた4枚一組の、右側1枚の存在まであまり調べてなかったので、現地確認調査をし直した。
 調査に協力した方のコメントなどが多く推測したとおり、これは「愛宕4丁目」(どこを特定されたか、「弥生町」との町境も説明が不明)や、「彦山」からではない。
 絵図のポイントは、稲佐山と岩屋山の稜線重なり具合と、港口の高鉾島や伊王島などが同じように見えるかで、おおよそが判断できる。

 「弥生町の高台、長崎女子短期大学背後の標高240mのピーク」から描いたものと、やっと確信できる地図や資料が揃った。
 これによると、道教の寺「崇玄観」は、椎の木町「丸尾神社」一帯にあったと考えにくい。茂木村田上名にあった黄檗宗「観音寺」(現在は「徳三寺」)の建物を、眺望図で道教の寺と勘違いされているのではないかと、あらためて感じた。
 絵図説明の「星取山」は、ここは「唐八景」と思われる。「長崎名勝図絵」の崇玄観記録は研究されたのだろうか。

 現地の現在のピークは、藪の広場となっている。周囲は雑木や竹の高い木立に覆われ、慶賀図どおりの長崎眺望全体は、伐採しない限り確認できない。現在の写真はそのため、図とかなり合わないが、できる限り付近から撮影したものを載せているので、繋ぎ合わせて全体を考え、それぞれが研究を進めていただきたい。詳しい理由や写真説明は省く。
 山名や地名などは、主なものだけ表示した。推定地点からのカシミール3D作図は、升本氏、国土地理院地形図による対象山などとの線引き確認は、入江氏の協力による。

(地図線の説明) 地図の北から反時計回りに
  青 線  慶賀の絵の右端
  赤 線  琴ノ尾岳 金比羅山 風頭山 愛宕山 岩屋山 茂里町新田堤角 正覚寺 出島 稲佐山
  青 線  慶賀の絵の中央、二枚繋ぎ(正確には四枚)の中央
  赤 線  鍋冠山 天門峰 伊王島と沖ノ島の界 高鉾島 沖ノ島左端 徳三寺(観音寺) 星取山 唐八景 熊ヶ峰
  青 線  慶賀の絵の左端

 「伊能忠敬測量日記」は、茂木街道の測量を、次のとおり記録している。眺望図に描かれている横黒線は、ピントコ坂を上がって田上を通るこの旧茂木街道なのである。
「文化十年八月二十三日(1813年9月17日) 晴天。
 同所(長崎市炉粕町)に逗留して測る。御料所の長崎村小島郷の二印より初めて、茂木村への街道を測る。右に一向宗正覚寺。右に八剱社。地蔵堂。高来郡茂木村枝田上名。百姓の伝蔵宅で小休止。
 右は石動山観音寺(現在は徳三寺)。右に浄土宗智恩寺の末寺で松原山田上寺。田上名の在所。字転石。…」

 付近の当時の地形を知るため、明治34年測図旧版地図を載せた。図に描かれているという長崎村森田庄屋屋敷側(現在の長崎市立桜馬場中学校)からは、写真では矢の平の谷奥上に見えるのが、このピークである。
 長崎全体の眺望が良い「この地点がまだ開発されずに残っていることが驚きです。早急に手を打つべきと思います」との声がある。「川原慶賀大作の地」として、長崎市や長崎女子短大によって、公園化を図ることが考えられる。
 長崎新聞の報道姿勢は、読者に理解されやすい記事となるよう一考をお願いしたい。

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                    コスタ・アトランティカ長崎初入港

 松が枝国際観光ふ頭に、クルーズ客船が入港していた。船名は「COSTA ATLANTICA」。長崎には初入港で、中国からの客のようである。1月26日、朝9時頃入港、写真は午後5時頃。
 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』では、次のとおり。
 3、4枚目は、女神大橋の方を見ると、釣人がおり「ヤノウオ」が上がった。左の空にはきれいな光の虹(彩雲とか幻日の一種だろうか)が見えた。右はジェット機雲。

 コスタ・アトランティカ(Costa Atlantica)は、コスタ・クルーズが運航しているクルーズ客船。

概 要 コスタ・アトランティカ級の1番船で、2000年6月30日、フィンランドのクヴァルネル・マサ造船所ヘルシンキ工場で竣工。船価は3億7500万ドル。 客室は全部で1,057室あり、そのうちの845室が海側に面している。 7月16日より東地中海クルーズに就航した。 主機には環境に配慮してNOx排出量を低減させたヴァルチーラ 9L46D型ディーゼルを採用し、イタリア船級協会(RINA)が定めた新環境基準を満たした最初の船舶となった。 また本船の各デッキには「La Strada」、「La Dolce vita」等、イタリアの映画監督フェデリコ・フェリーニの作品名が付けられている。 その後同型の2番船が2003年に建造され、さらにカーニバル・クルーズ・ライン向けにほぼ同型船(カーニバル・スピリット級)が4隻建造された。

船 歴
 起工
 進水 1999年11月11日
 竣工 2000年6月30日
 その後

主要目
 総トン数 85,619 トン
 全長 292.6 m
 幅 32.2 m
 吃水 8.0 m
 主機 ディーゼル・エレクトリック
 (ヴァルチーラ 9L46D型ディーゼル 6基)
 出力 84,800馬力(総出力)
 48,000馬力(推進出力)
 航海速力 22.0ノット
 最高速力 24.0ノット
 船客定員 2112名(最大 2680名)
 乗組員 920名

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