みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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                      永平橋記念碑  日置市伊集院町下谷口

 日置市HPの「指定文化財一覧」伊集院地域 市指定による説明は、次のとおり。
 伊集院町の市街地にある。この記念碑の文字は西郷隆盛が郡方書役の時に書いたといわれている。橋は石造りの眼鏡橋で岩永三五郎によって架橋されたものであった。

 25 歴史資料
   永平橋記念碑(エイヘイバシキネンヒ)
 下谷口1926-1前  嘉永3年(1850)11月29日に着工、翌年1月20日竣工した石造眼鏡橋に伴って作られた碑である。碑に刻まれた文字は西郷隆盛のものと伝えられている。

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                     大渡橋記念碑  日置市伊集院町寺脇

 日置市HPの「指定文化財一覧」伊集院地域 市指定による説明は、次のとおり。
 太田発電所近くにある。この記念碑の文字は西郷隆盛が郡方書役の時に書いたといわれている。橋は石造りの眼鏡橋で岩永三五郎によって架橋されたものであった。

24 歴史資料
  大渡橋記念碑(オオワタリバシキネンヒ)
 寺脇54-3近く  嘉永3年(1850)11月20日に着工、翌年2月8日竣工した石造眼鏡橋に伴って作られた碑である。刻まれた文字は西郷隆盛のものと伝えられている。

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                      ヤッコソウ発生地  日置市東市来町湯田

 鹿児島県教育委員会HP「鹿児島県の文化財」による説明は、次のとおり。開花写真は現地説明板から。
 場所がわかりにくいが、国道3号湯田市街手前からJR鹿児島本線北側沿いの道へ入ると、向湯田に入口案内板がある。奥の星原宅裏山が指定地である。

    ヤッコソウ発生地
【所 在 地】日置市東市来町湯田 4008 − 4
【種  別】国指定天然記念物
【指定年月日】大正 11 年3月8日

 ヤッコソウは世界最大の花を咲かせるラフレシアと同じラフレシア科の植物で,シイ属の植物の根に寄生する1年生の種子植物である。10 月から 11 月に高さ約7 cm の鱗片葉のついた花茎を出し,頂端に白色の花を1個つける雌雄同体の植物で,花には蜜があり小鳥などが吸いに来ることもある。
 ヤッコソウの名は,その形が江戸時代の「奴」の姿に似ていることから,明治 41(1908)年に牧野富太郎によって命名発表された。嘉永年間(1848 〜 53 年)には,奄美大島に配流された名越左源太が『南島雑話』の中で,珍しい植物があるとこの植物を図入りで説明している。
 ヤッコソウの分布は四国,九州南部,種子島・屋久島,奄美,沖縄であるが,各自生地での発生個体は少なく,産地も減少している。東市来町湯田の指定地は,稲荷神社境内の右横約 100m2 であるが,指定地以外では,神社の裏山一帯,付近の民有林,遠くは,皆田,市来町大里の宇都,串木野市冠岳,吹上町などにも見られる。

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                        萬 福 池  いちき串木野市羽島

 現地説明板は、次のとおり。水神の石碑裏は「弘化五年」と記されている。案内板等と一緒に,西郷隆盛の足跡と言われている「石」がある。サイズ?は、かなり大きい。
 後ろの写真は、県道43号その先、串木野サンセットパークからの夕日。

      萬 福 池
 萬福池は、弘化4年(1847)11月14日薩摩藩直営の工事として始められました。
 当時24歳の西郷隆盛は、薩摩藩の河川土木方の書役助として萬福池の工事に加わっています。工事は順調に進み、弘化5年(1848)3月2日に竣工し、その後、今日まで地域農業の発展に大きく寄与しています。(昭和37年には老朽化のため堤等を改修し、現在に至っています。)当時、西郷は、特に農民に理解を示し、嘉永4年(1851)には農政建向を出し、農政改善の方策ついて説いています。
 西郷隆盛の農政への熱烈な魂が、この静かな池面を通して伝わってくるようです。
        平成15年3月  いちき串木野市教育委員会

 HP「さつまの国の言い伝え」によると、次のとおり。

    2013年09月22日 萬福の池 いちき串木野市
 いちき串木野市は羽島から山のほうに行くと、萬福という集落がでてきます。そこに周囲2キロほどの池があります。今回は、萬福の池にまつわる話です。
 むかし、この村で何年にもわたって飢饉が起こりました。村人たちは、毎日天を仰いでは雨が降ることを祈っていました。飢饉が続くたびに、村を出て行く者が出てきました。

 そこで村の人たちは、皆で氏神様に心を込めて願掛けを行いました。それから、七日目に不思議なことが起こりました。社の方から、神様の声が聞こえてきました。村人たちは、その声を聞き逃すまいと耳をすませました。
 「みなの者、よく聞くがよい。明日の朝早く、この村から二キロほど北に行くがよい。そこに池を作った」
 神の声を聞いた村人たちは、大喜びして朝が来るのを今か今かと待っていました。

 次の日の朝早く、村人たちは神様のお告げのあった所に行ってみました。そこには、広々とした池が出来ていました。池から一筋の水があふれ出て、村の田んぼに注がれていました。そうして半日もたたぬうちに、すべての田んぼは甦りました。村人たちの喜びようといったら、ありませんでした。

 不思議な事に、池の水はどんな時も水が減るということがありませんでした。それからというもの、幸福に恵まれた村の人たちは、池を「萬福の池」と呼ぶようになりました。やがて、池の近くに人が住むようになりました。そこが今の萬福なのだそうです。

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                     天狗鼻海軍望楼台跡  薩摩川内市寄田町

 現地説明板は、次のとおり。県道43号寄田新田に入口案内板が2か所ある。狭く藪で荒れたコンクリート車道を約1.5kmか2km入り(離合・Uターンは難しい。駐車場なし)、あと山道を500m歩く。
 望楼台に着く手前の雑木林内平地が営舎跡と思われる。

    薩摩川内市指定文化財
     天狗鼻海軍望楼台   昭和60年3月27日指定

 ここ天狗鼻は、北は天草、南は野間岬、西は甑島が望める見晴らしの良い場所で、江戸時代にも見張り台が置かれていたと言われています。
 明治28年(1895)の日清戦争終了後に日本海軍は国内の要所に沿岸防備のために望楼台を設けました。ここ天狗鼻に設置されたのもそのひとつで 日露戦争時には海軍兵が常駐し、ロシアのバルチック艦隊の北上を監視していました。
 鹿児島県内にはここ天狗鼻(常設)、下甑島の釣掛崎(仮設)、佐多岬(常設)の3か所設置され、現存するのはこの天狗鼻のみです。また、国内で現存するのは、北海道宗谷岬の大岬旧海軍望楼台とここ天狗鼻海軍望楼台の2か所のみです。

  天狗鼻海軍望楼台の概要
竣  工 明治33年(1900)3月30日
運用開始 明治33年(1900)8月20日
業務廃止 明治38年10月19日 日露戦争終結による
種  別 常設海軍望楼台(佐世保鎮守府所属)
設  備 無線通信(艦船との交信設備)
任  務 海上監視、通信、気象観測
配置人員 望楼手ほか計4人(戦時中、適宜増員)

  天狗鼻海軍望楼台図 (写真図のとおり)

   平成22年2月  薩摩川内市教育委員会

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