みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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                          藤の棟堤  長与町三根郷

 三根郷の「藤の棟堤」の場所は、所在地図のとおり。川平や東長崎へ抜ける県道45号のカーブ地点から左の谷間へ入る。本川内郷に近代的な「長与ダム」が完成し、現在ではこれが長与町最大か。
 サイト「近世以前の土木・産業遺産」長崎県リストによるデータは、次のとおり。

    藤の棟堤 とうのむね
(西彼杵)長与町 溜池 堤長23m 江戸期 長与町郷土誌・上 p519 町内最大の溜池 -

 長与町教育委員会編「長与町郷土誌・上巻」平成6年発行のその他の古跡519頁による説明は、次のとおり。

    藤の棟堤(とうのむね 別名新堤)
 長与川の最上流、三根郷藤の棟というところにある。この堤は、大村藩時代に造られたといわれている。その規模の大きさは長与町随一で、長与町の水田は昔からこの堤に大きく支えられていた。『長与村誌』によれば、
 面積・二町六反(約二万五千七八五平方メートル)
 貯水量・一三万トン、堤防の長さ・二三メートル八〇
『郷村記』には、土居長・二八間半、根切横・二五間、尺八・一二間、懸田・五二町五段四畝一八歩となっている。いつごろ完成したものかわからないが、この堤の築造もまた昔時としては大変な費用と労役を必要としたであろう。

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                        七葉迫の堤  長与町平木場郷

 平木場郷の「七葉迫の堤」、次の「藤の棟堤」の場所は、所在地図のとおり。七葉迫の堤の築堤記念碑は、池に向かって堰堤右側のすぐ道脇上の木立内(黄囲線)に立つ。正面は大きな字で「水神」と刻む。隧道がこの横のコンクリート水路か?。
 サイト「近世以前の土木・産業遺産」長崎県リストによるデータは、次のとおり。

    七葉迫の堤 ななはさこ
(西彼杵)長与町 溜池 慶応2(1866) 長与町郷土誌・上 p517-518 横平地区の水不足解消のために築造 -

 長与町教育委員会編「長与町郷土誌・上巻」平成6年発行のその他の古跡517〜518頁による説明は、次のとおり。

    七葉迫の堤と築堤碑
 平木場郷七葉迫にある大きな堤がある。現在の洗切小学校より東北の方、学校を近距離に望むことができる。ここは文久3年(1863)12月造成に着手し、2年8か月の歳月を費し慶応2年(1866)8月に完成したもので、当時としては大事業であった。堤の池に向って右側の小高い丘に築堤記念碑かが隠れるように立っている。その碑から次のような刻字が読みとれる。
 碑文 文久亥十二月
     慶応二寅 八月成就
     出夫  二九、五三九人
       内   二七、一四三人三合 長与村
               四三八人    伊木力村
               五五六人四合 浦上村
               九三五人一合 時津村
               四六六人二合 東高田村
 この碑文からもわかるように、工事は地元の人々だけの労力ではなく、近郷近在の人々の労力提供もあって完成している。
 当時、横平一帯の農民は水不足に悩み、水げんかが絶えなかったといわれるだけに、この堤の完成には関係者のなみなみならぬ期待と、ひとかたならぬ努力のあとがしのばれる。それにしてもこの労役はまた、農民たちにとって極めて過酷なものであったろうことも同時に推察される。
 その後長年月のうちに、水もれ等で隧道新設工事の必要に迫られるようになったが、戦争や水利権の問題などで容易に実現せず、ようやく昭和29年に至り、野中市五郎氏を中心とした地元関係者の熱意もあって新設隧道工事に着手、半年を経て立派な隧道が完成した。
 この間、工事が南行したが、野中氏の私財を投じての工事完遂のことなどその苦労が今も伝えられている。

 

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                        洗切継ぎ場・跡  長与町平木場郷

 サイト「近世以前の土木・産業遺産」長崎県リストによるデータは、次のとおり。

    平木場郷の洗切継ぎ場・跡 ひらこばごう
(西彼杵)長与町 <長崎往還> 石垣 江戸期 長与町郷土誌・上 p515-516 石垣のみ残る(個人宅) 長崎奉行や大名の長崎往来の際、馬・わらじの交換、飲水などを行った場所 3 C

 長与町教育委員会編「長与町郷土誌・上巻」平成6年発行のその他の古跡515〜516頁による説明は、次のとおり。
 この項は、本ブログ次も参照。  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/65040027.html

    洗切陣屋跡(継場跡)
 平木場郷洗切にあり、県道33号線長崎バス洗切停留所のすぐ近くである。現在は古立正明氏(平木場郷206番地)の屋敷になっている。土地の人たちはここを継場と呼んでいる。
 藩政のころ、長与村は長崎往還の定助郷として、長崎奉行や諸国の大名が長崎往来の節は、村から人・馬・野菜・たいまつ・ぞうり・わらじなどを提供する定めになっていた。それらはみんなここに集められ、人々は、ここで馬を乗り替えたり、わらじを履き替えたり、のどを潤したりして旅を続けていた。ここには、きれいな清水のわき出る井戸もあった。
 また、長崎に急変が起ったときなどは、ここが大村藩士たちの一つの集結地ともなっていた。
 今も昔をしのばせる古い石垣や、ため池が残っている。ちなみに、この屋敷が、のち、洗切小学校発祥の地となった。

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