みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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                       人柱観音供養塔  松浦市今福町東免

 松浦市HPの指定文化財一覧による説明は、次のとおり。観音堂場所は松浦鉄道今福駅近く、御厨・今福街道の「丹後橋」手前角である。松浦市史跡マップに追記した。
 新田開発や人柱伝説は、「松浦市史」昭和50年発行の記録も載せる。新田石垣の遺構は現在では確認できない。海岸に捨て石が近年まで残っていたらしいが、護岸工事ですべて埋め立てられたと聞いた。

       人柱観音供養塔  (ひとばしらかんのんくようとう)
       市指定有形民俗文化財 平成21年9月30日指定
 観音供養塔は砂岩製で、宝珠・笠・龕・中台・竿よりなっている。龕部は笠をはさんで上中下3段に別れ、各11体の観音像が刻まれている。供養塔の風化を防ぐため人柱地区の観音堂にて大切に保存されている。常時見学が可能である。
 伝説によれば今から約300年前江戸時代の初め頃、当時は今福小学校の下からMR今福駅の奥まで海が入り込み潟となっていた。時の領主丹後守松浦信貞公はこの干潟を埋め立てて新田を造ろうと思われ、家臣の田代近松という人物にこの工事の監督をあたらせた。工事は海潮に侵され、幾度堤防を築いても崩壊し工事は頗る難工事で進捗しなかった。「堤防の崩れること数度、工事の完成しないのは海神が埋め立てを欲しないからであろう。だれか人身御供となり、海神に捧げれば堤防工事は完成するだろうと住民に相談したが互いに災厄を避けようとして誰一人申し出る者がいない。困った田代氏は、お互いに着けている袴に横ぶせをあてている者があればこの犠牲者と定めよう。」と提案し、住民も従った。袴を調べたところ横ぶせをあてたものは田代氏のみであり、田代氏は生きたるままの身体を白犬と共に堤防に埋められた。田代氏の人身御供の犠牲により堤防も完成し、埋め立て工事も竣工した。この埋め立ての犠牲となり、悲惨な最期をとげた田代氏及び白犬の霊を慰めんと、この観音供養塔を建ててその冥福を祈っている。

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                   逃の浦の石塁(元寇防塁)  松浦市星鹿町岳崎免

 現地説明板は、次のとおり。国道204号星鹿港入口に城山展望台への案内板がある。城山の麓、墓地の三叉路から左の海岸へ狭い車道を下る。

      逃の浦の石塁(元寇防塁)
 城山山麓の鷹島に面する汀線には、かつて、野面積みの石塁が約1kmにわたり延々と元寇の役当時のまま残されていました。しかし、昭和初期の台風で、星鹿浦防波堤決壊の時、修築材として沖の石を取ったので、石塁が大波に洗われ崩壊しました。原型をとどめているのはこの「逃の浦の石塁」だけとなりました。
 海側は高さ2m・幅45〜50cm・内法高さ1m、総延長約300mの石塁で、その内側には幅5mの武者走りを思わせる平場があり、背後は崖がせまっています。
 地元住民は、この石塁を夷狄から郷土を守るために、当時の領主・領民が共に血と汗を流して完成した「元寇防塁」として伝えています。
                松浦市・松浦市教育委員会・松浦市観光協会

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                        星鹿城山  松浦市星鹿町岳崎免

 長崎観光/旅行ポータルサイト「ながさき旅ネット」による説明は、次のとおり。国道204号星鹿港入口に城山展望台への案内板がある。城山は標高128.3m。

     星鹿城山  刈萱城跡。展望所からは、美しい風景を一望できます。
 建久2年(1191)、源頼朝の命でこの地に下向した加藤左衛門重氏がこの地に刈萱城を築き、その後城を棄てて紀州高野山に移ったと伝えられています。
 山頂には本丸の輪郭が残っており、展望所からはスケールの大きな眺望が楽しめます。

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                  平戸オランダ商館(1639年築造倉庫)  平戸市崎方町

 平戸観光協会HP「達人Navi 平戸」による説明は、次のとおり。
 松浦史料博物館から展示が移されている「オランダ船鉄錨」を撮影に行ったが、遺産サイト公開は許可を必要とし、現在手配中。

      平戸オランダ商館(1639年築造倉庫)(ひらどおらんだしょうかん)

1639年建造のオランダ商館倉庫を忠実に復元した資料館。
所在地  〒859-5104 平戸市崎方町2477
問合せ  TEL:0950-26-0636 FAX:0950-26-0638
交通アクセス  平戸港交流広場から徒歩5分
駐車場  身体障害者用のみ
営業時間 8:30〜17:30
定休日  毎年6月の第3週 火・水・木
料 金  大人300円、小中高生200円

Information
2011年9月20日オープンした「平戸オランダ商館」。中は当時の貿易に関する史料や貿易品などが展示。平戸オランダ商館のある崎方町一帯は、1609年(慶長14)和蘭船が入港し、1641年(寛永18)長崎出島に移転するまでの約33年間、平戸が我が国唯一のオランダ貿易港として賑わった。 商館は当初、土蔵付き民家を借りてスタートしたが、その後周囲の民家を壊して、新たに建築。本館をはじめ、宿泊所、調理場などが整備されていった。貿易の積荷を保管する倉庫も何棟も建築され、1639年には日本で初めての西洋の石造建造物とされる 「1639年築造倉庫」が完成。2011年にオープンした「平戸オランダ商館」はこの倉庫の忠実な復元となり、貴重な建物である。1641年、幕府の命により商館は取り壊され貿易は長崎出島に移転した。

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