みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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                       山谷大堤  佐賀県有田町山谷切口

 サイト「近世以前の土木・産業遺産」佐賀県リストによるデータは、次のとおり。
 国道202号山谷交差点から国見道路へ上がる県道326号が、山谷大堤の脇を通って行く。

  山谷大堤 やまたに
(西松浦)有田町 (山谷切口) 溜池 長約100m 貞享元(1684) ため池百選 WEB 保存状態良好 地元の山谷村民だけで築造/岳の棚田の最下部に位置し、良好な景観を創出 1 C

 ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。

  山谷大堤
所在地 佐賀県西松浦郡有田町山谷切口
貯水量 98.7 km3
淡水・汽水 淡水
湖沼型

 山谷大堤(やまたにおおつつみ)は、佐賀県西松浦郡有田町山谷切口にあるため池である。2010年(平成22年)3月25日に山谷大堤として農林水産省のため池百選に選定され[1]。また、上流は1999年(平成11年)に岳の棚田として[2]日本の棚田百選に認定されている。

概要
 山谷大堤は山谷切口にあり、国見山の中腹に位置し、湖畔に建っている多くの石碑に明確に歴史が刻まれており1684年(貞享元年)当時の山谷村の人々が力を合わせて造り上げたことが記されており、「善女龍王」という文字が刻まれている、「善女龍王」というのは雨の神、竜神の化身で神泉苑に残る空海の法力比べ伝説に由来があるといわれている。江戸時代より旱魃に襲われた時、黒髪山で雨乞いを行っていたため、同山にあった寺の僧侶が建立したと伝わり碑文に「半蓑雨」とあるようにこの池が古くから下流の旱魃の被害の軽減に役に立ってきた。 後方にはさらに4基の石碑が立っており、1908年(明治41年)や1933年(昭和8年)石碑には決壊による改修工事の記録があり、現在で45haの水田の灌漑に利用されている[3]。池は灌漑のほか治水や防火用水としての利水機能も担っている。

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                  出島表門橋デザイン再考を  長崎新聞「声」欄から

 長崎新聞2014年(平成26年)12月21日(日曜日)付「声 みんなのひろば」欄に掲載された長崎市会社役員K.M氏(79)の意見。文化庁がこの計画をほんとうに許可するのだろうか。後世に禍根を残す復元だろう。河川防災上で問題があるなら、眼鏡橋のように水流の一部を変えるなど、知恵を出すべきだろう。
 この項は、本ブログ次を参照。 出島の表門橋「旧出島橋」は、アーチ式石橋だった
   http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/69594672.html

      出島表門橋デザイン再考を   会社役員 K.M(79)    

 出島表門橋の復元計画が進み、先般地元説明会で橋についての質疑応答がありました。かたや出島敷地内では第3期出島復元整備事業として6棟の建築が着々として進んでおり、2016年秋には表門橋の供用開始を含め、往時の姿が見られると楽しみにしています。
 ところが、表門橋のデザインについては当時とは想像もつかぬイメージデザインが提案されていました。出島復元は橋を含めての話で、今回の整備は観光長崎の目玉としてアピールするチャンスです。
 中島川には擬宝珠(ぎぼし)を付けた石橋が最も似合い、出島表門橋も19世紀初頭をほうふつとさせる設計にしてこそ史跡としての意義があると思います。
 川原慶賀による出島絵図や歴史的資料が多岐に存在しており、それらを参考にして当時をよみがえらせるべきではないでしょうか。江戸町側から表門橋に足を踏み入れ、タイムスリップしながら出島を訪ねる、まさに歴史への第一歩と言えましょう。
 1996年には出島史跡整備基金が設立され、募金活動まで行われました。それに応えるためにも表門橋のデザインについては議論すべきで、再考を求めてやみません。(長崎市)

 出島復元「2050年目標」は、長崎市に整備審議会が提言をしている(朝日新聞2014年3月5日)。「出島表門橋架橋プロジェクト」は、長崎市HPを参照。表門橋デザインは、写真のとおり。
  http://www.city.nagasaki.lg.jp/syokai/792000/792600/p025477.html

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              佐世保市に残るアーチ式石橋?(5) 横手橋  佐世保市横手町

 佐世保市(世知原町・吉井町・宇久町を除く)に残るアーチ式石橋12橋を、先に紹介していた。
 ブログ「させぼばってん」氏の「佐世保市の石橋」の項によると、次のとおり「横手橋」が掲載されていたので、現地確認に行った。  http://kujyuukushima.blog.fc2.com/blog-entry-106.html
 国道35号横手入口交差点から宇土越への県道53号に入る。新しい横手橋の左脇に残っていた。アーチ下面はコンクリート補強?となっている。川床に降りられず、近くで確認できない。
 完全な石橋か。HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」データにない橋で、上記ブログの(規格外)梅田町「病院橋」とも現地調査をお願いしたい。

   横手橋(初代) 〜横手町〜
 横手町に架かっている初代横手橋です。あえて初代と書いているのは1枚目の写真にある現行の橋が現在の横手橋だからです。
 意外と走っていると気がつかないかもしれませんが、橋の下流側にもう一つ橋が架かっています。これが初代で現行は実は3代目。2代目はどうしたかというと、川に対して直角にかけられた為に通りにくく事故が起きていたため取り壊されて3代目になったそうです。

 7〜9枚目の写真は、佐賀県有田町「山谷大堤」のすぐ下流側で見た一見アーチ式の石橋?。コンクリート製の上に積み石をしているようだが、これも不明である。

(2014年12月21日19:05 追 記)
 HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」氏にこの記事の写真を見てもらった見解は、次のとおり。

 まず、病院橋ですが、2010年3月に末永さんと川崎さんという方と3人で下に降りて確認しましたが、残念ながらコンクリート製でした。
 横手橋(初代)ですが、写真を見る限りでは、コンクリート製だと言えます。仮に石橋だとすると、もともと輪石であったと思われる部分がそっくりコンクリートに変わっていることになりますので、工法的にはあり得ないと思います。
 「山谷大堤」下流側のアーチですが、まずアーチ部分をコンクリートで打設して壁石もコンクリートで固めてありますので、石橋ではないと言えます。

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