みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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                      西海道(西路)の道路遺構  基山町長野

 サイト「近世以前の土木・産業遺産」佐賀県リストによるデータは、次のとおり。出典精査の結果、「航空写真に□印のところ」と、基山町の具体的な場所が示された。
 4月23日、現地を再訪。道路痕跡が確定して残る畑地を正対して撮影してきた。航空写真とともに現地写真を載せ、記事を差し替えた。畑地先は工場となり柵囲いがあるため、撮影できない。
 基山町教育委員会は先般訪ね、「基山町史」の資料をもらい、調査の協力依頼をしている。

      西海道(西路)の道路遺構 さいかいどう
(三養基)基山町 <西海道(西路)> 道路 長約60m 古代(律令期) 木下 良 畑となっており、判別が困難/現在確認できる場所は、甘木鉄道と小郡市との境界線の交差する南側の60m程度のみ 筑後と肥前の国境沿いに西海道西路が通っていた 4 C

 資料は、平成21年発行「基山町史 上巻」特説 基肄・養父両郡の官道391頁。青線部分の文と図特説−7 筑後・筑前の直線国境に解説があった。

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                          関屋土塁跡  基山町宮浦

 基山町HPの「観光・文化」基山山頂(基肄城跡)の中による説明は、次のとおり。県道300号基山町玉虫交差点手前の佐賀銀行角から東へ入る。標柱が基山郵便局前バス停近くの会社敷地に建っていた。関屋土塁跡が正しくはどれか、少しでも残っているかは基山町に未確認だが、付近の現況を写してきた。
 同基山町の「とうれぎ土塁」跡は、本ブログ次を参照。 http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/70272922.html

      基山山頂(基肄城跡)

 …基山町役場周辺に目を向けると、現在はわずかにしか残っていませんが、「関屋土塁」と「とうれぎ土塁」の場所を確認することができます。
 関屋ととうれぎ土塁想定図
(基山町教育委員会 2012 『ふるさと基山の歴史』より転載) 
 この二つの土塁は、基肄城と関連のある防衛施設であったといわれています。
 「関屋土塁」は、城ノ上丘陵と千塔山丘陵の間に、「とうれぎ土塁」は千塔山丘陵と向平原丘陵の間に築かれたと考えられています。
 太宰府市と大野城市にある水城の小形という意味で、「小水城」とも呼ばれています。

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                          石櫃の追分石  筑前町石櫃

 筑前町HPの「指定文化財」による説明は、次のとおり。国道386号筑前町石櫃交差点から北側1本上の通りに入る。旧街道の石櫃交差点があり西へ戻ると、すぐ次の角にある。

     追分石(おいわけいし)

 (資料写真なし)
 指定種別 町指定有形民俗文化財
 員数 1基
 所在地 石櫃(いしびつ)52−6
 指定年月日 平成17年3月22日
 管理者(所有者) 筑前町
 文化財の状況
  江戸時代の初め頃の道標で、「右 肥後 薩摩道」(天下道)、「左 豊後 秋月 日田 甘木道」としるされている。
  石櫃は、当時山家宿の下宿として賑わい,道標は山家宿の問屋、武作が世話人となって設置したとされる。

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