みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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                       杵築の馬つなぎ石1  杵築市南杵築

 サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。杵築市役所東の「飴屋の坂」石段を南台武家屋敷の方へ上がる。上角から右に入り2軒目が旧藩医・飯塚玄庵邸だったらしく、現在は甲斐宅となっている。
 「馬つなぎ石」は旧宅地中央の入口石段脇にあったが、宅地改造で石段はなくなり、「馬つなぎ石」は数年前、新築した同宅の玄関前庭に移され、一時保管されていた。底横30cm、高さ50cm、上部穴は直径7cm。

      杵築の馬つなぎ石1 きつき
杵築市 旧藩医・飯塚玄庵邸・前 馬繋石 江戸期 WEB(みさき道人) 原位置 1 C
      
 この項は、本ブログ「杵築の馬つなぎ石  杵築市猪尾三川 橋詰公園」を参照。同説明板から、南台武家屋敷の旧藩医・飯塚玄庵邸入口にも馬つなぎ石が現存することがわかった。
  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/70803329.html

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                        市(いち)の領境石  大分市市

 サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。大分市街府内大橋を渡った宮崎交差点から国道210号により西へ向かう。トキハ先にハンズマンがあり、手前の交差点から右折し、住宅地内の肥後街道に入る。すぐ市公民館入口の標識があり、公民館前に「市(いち)の領境石」があった。
 市の天満神社境内である。

      市の領境石 いち
大分市 天満神社 境界石 江戸期 WEB(みさき道人) 移設 (正面)「従是東 臼杵領」/臼杵領〜延岡領 2 C

 この項は、本ブログ次を参照。同国道210号沿い「光吉の領境石」説明板から、市の天満神社境内にも領境石が現存することがわかった。  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/70805124.html

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                  大野の大清水井戸・徳尾の清水井戸  臼杵市下ノ江

 臼杵市HPの文化財 > ふるさと再発見による説明は、次のとおり。臼杵市街から北東に県道205号、途中から市道に分かれて下ノ江地区に2つの清水井戸を訪ねる。
 JR日豊本線の下ノ江支所前踏切に「大清水 寺尾の石塔婆(略称 薬師様)」の案内標識があり、標識に従い進むと薬師堂下に、一つ目の「大野の大清水井戸」(写真1〜7)があった。横1.2m、幅1.1m、高さ0.6m。
 「徳尾の清水井戸」は、踏切へ戻りさらに直進する。下ノ江駅入口を過ぎ、県道546号となったGSがある浜田バス停から下の川橋を渡る。中村公民館から左へ曲がると、すぐ先の崖面に二つ目の「徳尾の清水井戸」(写真8〜12)があった。横2.4m、幅1.6m、高さ0.8m。

      清水井戸

地 域 佐志生・下ノ江地域
名 称 清水井戸(そうずいど)
所 在 臼杵市下ノ江
備 考 昭和55年7月調べ
説 明
 下ノ江方面には、昔から地域の人々に親しまれ、利用されてきた井戸があります。これらの井戸の水は、臼杵の三大清水井戸に数え上げられていたほどで、一に臼杵の平清水、二に大野の大清水、三に徳尾の清水井戸と呼ばれ、豊富な水量とその清らかさは、使う人々にとって一種の清涼剤となっていたと思われます。
 下ノ江地区に今も残っている二つの清水井戸のうち大清水井戸は、下ノ江小学校から日豊本線の踏切をわたり、北へ200mばかり行った字大清水地区に、清水井戸は、中村地区公民館から北西へ60mほど行った字徳尾地区にあります。二つの井戸とも、どんなかんばつに際しても、枯れることはなかったといわれるだけに、今でも溢れんばかりの清水が湧き出ています。
 井戸は、人々の生活と直接深いかかわりを持っていただけに、井戸にまつわる物語や言い伝えも多く残っています。とくに大清水の井戸水(地元では卵水とも呼んでいます)は、イボをとるのに効くといわれ、この井戸水と上手の台地にある薬師堂境内の土とを練り、イボにつけるとコロリと落ちる霊験があるとの言い伝えもあります。
 しかし、今日のように各家庭に上水道が完備され、井戸の利用が減るに従い、このような話も自然に人々の記憶から消えてゆくものと思われます。井戸は、人々にとって自然の恵みを与えるだけでなく、情報交換の場、あるいは社交の場として地域の連帯感を培う役割を果たしていました。たそがれ時、井戸で水を使う人々の喧騒と語らいの姿も少なくなった昨今、時の流れとはいえ私たちの周りから一つ、また一つと井戸端の風物詩が消えてゆくことに一抹の寂しさを感じます。

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                      平清水(ひらそうず)大井戸  臼杵市福良

 サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。県道33号臼杵市街三重塔のある龍原寺前の平清水バス停のまだ南側、JR上臼杵駅へ行く三差路に入ると、左側にすぐこの大井戸がある。寸法は測り忘れ。

      平清水大井戸 ひらそうず
臼杵市 (福良> 湧水(石造) 寛永20(1643)以前 WEB(みさき道人) ステンレス製の屋根型蓋 臼杵の三大清水井戸の1つ/「井戸」と呼称されているが、実態は湧水/周囲に江戸期の切石敷の井戸端 3 B

 現地説明板は、次のとおり。

      城下町歴史散歩  平清水(ひらそうず)大井戸

 この井戸は、古地図等から寛永20年(1643年)にはすでに使用されていた井戸です。「平清水(ひらそうず)」の地名の由来にも関わる井戸では、とも言われています。江戸時代から地元の有志によって石敷き等が整備され、大事に利用されていました。
   臼杵市     

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                          金毘羅水  臼杵市二王座

 現地説明板は、次のとおり。臼杵市二王座歴史の道の甚吉坂「金毘羅社」のすぐ下にある。

       城下町歴史散歩  金毘羅水

 金毘羅社の土地の岩盤をくり抜いて掘られているところから金毘羅井戸と呼ばれています。現在、ほとんど使用されていませんが、この金毘羅水は、海添の山下水、市浜の近衛水と共に臼杵名水の一つに数えられていました。
   臼杵市     

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